不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか 書評|鴻上 尚史(講談社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年2月3日

9回出撃、9回生還 佐々木友次の全く特異な体験

不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか
著 者:鴻上 尚史
出版社:講談社
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陸軍初の航空機による特別攻撃隊「万朶隊」がフィリピン・カローカン飛行場を飛び立ったのは、昭和19年11月12日午前3時。800キロ爆弾を抱えた99式双発軽爆撃機(99双軽)4機に、直掩の隼戦闘機20機がついた。海軍の特攻隊「敷島隊」に遅れること3週間だった。

発表の戦果は「戦艦一隻、輸送艦一隻を撃沈」とあるが、アメリカ側資料は「揚陸舟艇修理艦、特攻機により損傷」と記するだけ。真相は不明だ。万朶隊は、茨城県の鉾田教導飛行師団で最優秀の操縦士・通信士らを集めて編成後(10月21日)、フィリピンの第4航空軍に配属された。

じつは12日出撃の万朶隊には、将校操縦士は1人もいない。4人全員が下士官パイロットで、しかも4人の首には4人の将校操縦士の骨箱が吊されていた。直前の11月4日、マニラに向かう99双軽が敵襲により墜落。岩本益臣隊長以下、全将校操縦士の戦死という悲劇があったからだ。以来、万朶隊は第4飛行師団の指導を受けることになる。

その4人の下士官操縦士中に、本書の主人公である佐々木友次伍長がいた。当時最年少の21歳。「陸軍最初の特攻兵」というにとどまらず、彼にはその後、「生きて帰らぬ」はずの特攻出撃をそのつど生きて帰り、つごう9回の特攻出撃をするという、全く特異な経歴が加わってゆく。なぜ、そんなことが可能だったのか。

1つには亡き隊長が、爆弾投下できぬよう改造された特攻用99双軽をさらに改造して、投下できるようにしておいたこと。彼には、機材や人材に余裕のない日本に特攻作戦は不可能、繰り返しの爆撃こそ至当との確信があったからだ。

1つには、若くして死んでゆかねばならぬ下士官操縦士への整備兵らの同情は強く、何かとサポートのあったこと。1度など、敵艦まで誘導義務のある先導機が率先してUターンし、帰還を促してくれた由。

1つには、佐々木自身「すべてはご寿命」と思いつつ「人間、滅多に死ぬものではない」との強い生命意志のあったこと。そんなさまざまなことが重なって9回の出撃命令、9回の生還という希有の体験となった。(将校操縦士に対しては当然、もっと強い死の圧力が加わった)

佐々木は復員後、故郷の北海道で農業を営み、平成28年に92歳で亡くなっている。著者は、入院中の晩年の佐々木に5回のインタビューを重ね、本書の後半はそのインタビューと、特攻に対しても一定の歴史距離を置きうる世代たる著者自身の特攻論とに当てられる。たとえば熱中症を案じつつ誰も何もいえぬ現代の甲子園野球ブームを、かつて特攻隊をくるんだ空気の遠い反響と見るなど、ユニークな視点も多いが、それも本書前半の「9回出撃、9回生還」の事実の重さからはやはり隔たりがある。
この記事の中でご紹介した本
不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか/講談社
不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか
著 者:鴻上 尚史
出版社:講談社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月2日 新聞掲載(第3225号)
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