大西巨人と六十五年 書評|大西 美智子(光文社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年2月10日

意志は強し、生命より強し 
六十五年の共同戦線に培われた意志

大西巨人と六十五年
著 者:大西 美智子
出版社:光文社
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「天路の奈落」の守部鏡子や「伝説の黄昏」の松田兼吾、大西巨人の描く、自らの言動に躓き一歩一歩変わってゆこうとする人間が好きだ。一冊にあらわれるのはまさにそのように、懸命に努力を重ねて生きてきたひとりの人間の姿である。空襲の日先祖の位牌を抱えて逃げた少女は、「古い考えにとらわれず(略)自分の意志を主張すること」という巨人の言葉を胸に響かせて自らの「意志」によって生き始める。「癩病」についての慣習的な認識を科学的根拠で封じて結婚の意志を貫き、「幼い頃から植えつけられている差別」の感覚を一枚一枚引きはがしてゆく。狭い町内を巨人とふたり街宣して歩く姿は生き生きとして、「巨人がいたから出来た」という共に生きる喜びは、少女にとって自らを変えてゆく「うれしさ」に満ちている。

一方で、「病院へ行く日だがお金がなく中止にする。古書を売り、二百五十円。夕食のおかずを買って、残金四十円。大西、三十円ナイトショーの映画へ。チャイナマーブル十円で、無一文に。米、一粒もない」といった執拗に具体的な記述の連続は痛切に、「就職はしない(略)おれにしか書けない小説を必ず書く」という作家の意志を実践する者の苦難を伝える。だがそれさえ、隠し立てなく、過剰さや情緒を排した文章それ自体が、「人間はありのままが大切」「金がないことは恥ではない」といった巨人の信条の、絶えざる実践でもある。巨人は、「うそつき、ごまかし、あいまい」さがなく「論理的」であることを、労働者階級の文体に求めて自ら、一字一句を選び取る過程にその努力を続けたが、美智子もまた、言葉を記す過程に巨人の信念を血肉化させていったに相違ない。同じ筆で死に臨む巨人の姿を克明に写した。描写は、人間の生命にごまかしなく向き合う意志を示して圧巻である。

かつて巨人は小説の結末を、主人公自らの意志による死で締め括った。生命をも凌駕する、人間の意志に対する強い信頼があらわれるが、美智子の筆が伝えた作家の最後はこれと異なる。美智子は、物語の妻のようには夫の死に同行せず、死ではなく生への意志を一心に信じて、意味不明の言葉を絶叫し続ける巨人と正面から全力で対峙する。小説の夫婦が最後に持った、満月のごとき豊饒な時間はそこにない。「クリエーティヴ・パワー」を喪失させる老いを許さず自死を選ぶ、小説の主人公の意志は、堅固に静謐で尊い。だが、「絶対私は出来る」と自らを励まし、一進一退を続ける巨人に語りかけ続け、その姿を言葉に記し続けたひたむきな人間の行いを、意志と呼ばず何と呼ぶのか。

巨人の言葉に導かれて生きた一人の少女はいつか自らを刺し貫くその言葉によって立ち、巨人が大切にして生きたひとつひとつの信条を自らの言葉で実践し、巨人はその言葉の中に最後の生を全うした。「意志」は、六十五年の共同戦線に培われた美智子の意志により、最後の一瞬まで貫徹されたと思う。

この結末を、人間の成し得る可能性として作家、巨人は予測できただろうか。「意志は強し、生命より強し」との言葉が蘇り、人間の意志の尊さを思う。
この記事の中でご紹介した本
大西巨人と六十五年/光文社
大西巨人と六十五年
著 者:大西 美智子
出版社:光文社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月9日 新聞掲載(第3226号)
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