落としもの 書評|横田 創(書肆汽水域)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年2月24日

ひっそりと光る味わい深い個性 
ちょっとだけ踏み外した人たちの群像劇

落としもの
著 者:横田 創
出版社:書肆汽水域
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落としもの(横田 創)書肆汽水域
落としもの
横田 創
書肆汽水域
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六編からなる短編集。

一編ずつについて細かく語る紙幅の余裕はないのだが、まとめて語ることを許さない個性に満ちた登場人物たちが跋扈する。あえて暴力的に括るとすれば、ちょっとだけ踏み外してしまった人たちの群像劇ということになろうか。

「お葬式」では、寝たきりの祖母を介護の末、自宅で看取った母が、しかしその葬式にふて寝を決め込んで列席しないという状況が、孫娘を視点人物として描かれる。母と娘との骨肉の葛藤はしばしばとりあげられる話題ではあるが、一歩離れて外から見るとなぜそれほどまでに拘泥するのかわからない。

母は物理的な世話こそするものの、寝たきりの祖母の話し相手は孫娘しかいない。理知的で物知りの祖母と話していても、若いころに母をむやみに抑圧したとは思えない。親子の間のひびはいつどのようにして入ったのか。

孫娘が、はるか昔に母が祖母に宛てた手紙を見つけ、すべての謎は氷解……するならばよく整えられた短編ということになろうが、この手紙を読んでさえ、二人の仲がこじれた真の原因はわからない。少なくとも私にはここに淵源があるとは思えなかった。

おそらくどれほど深刻な葛藤があったとしても、そこに真の原因などはないのだ。ただ、どちらかが、あるいはどちらもが少しだけ踏み外してしまっただけなのである。そしてそのほんの踏み外しが積もり積もるのが親子という切っても切れない近い関係なのだ。

祖母は実のところよくわからないが、手紙を読み、言動から察するに、母の方は少なくともちょくちょく踏み外しがちな人間であることがわかる。そしてそれは孫娘との関係でもいずれ積もってゆくはずだ。孫娘とてまた決して踏み外すことのない人間というわけではないのだから。

つづく表題作「落とし物」では、主人公自身が踏み外してしまうひとである。これは現在の医学で見れば明らかに一種の発達障害に分類されるだろう。しかし、名前をつけたからどうなるというのか。主人公が他人との距離感においてしばしば踏み込みすぎてしまうからといってそれを「障害」として括り出すことが誰の幸せにつながるというのだろうか。

「踏み外し」と言ってはきたが、だれがその境界を決めるのか。たしかに端から見ればいささか常軌を逸しているような人物ばかりが集まってはいるが、彼らの一歩を踏み外しと見るかどうかは、その場に居る当事者だけが決めるべきことだ。少なくともここにいる「踏み外し」の人たちとなら、ちょっとだけこちらが境界を緩めさえすれば仲良くやっていけそうな気がした。いや、あるいはもしかしたら自分がその「踏み外し」の一人で、周りの人たちに赦してもらっているかも、とも。

書肆汽水域という出版元ははじめて知った。本書が、六本の短編の初出である四つの出版社のいずれからでもないところから出されたということにどういう事情があったのかは知らないが、出版界のなんとない閉塞的な状況を感じざるをえない。一方、こうした一見地味な作品を手掛けようという小出版社の心意気に感じ入る。

地味は滋味である。刺戟は控えめだが、ゆっくりと何度も噛みしめるべきもので、その味わいは装幀にも滲み出ているが、やはり手に取って読んでみないことには始まらない。書店で売れ筋の派手な作品の横にそっと置かれるのかもしれないが、まさに本書の登場人物たちさながらに、さほど目立たないが実は味わい深い個性をそこでひっそりと光らせるだろう。
この記事の中でご紹介した本
落としもの/書肆汽水域
落としもの
著 者:横田 創
出版社:書肆汽水域
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年2月23日 新聞掲載(第3228号)
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