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2018年3月13日

保守の良識より、革命の愚行を 
――沖縄と憲法改正――

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西部邁が死去した。氏の交流の広さを示すように、多くの論者が追悼文をよせている(加藤尚武「君の魂の叫びを聞く」『中央公論』3月、保阪正康×浜崎洋介「自裁死・西部邁は精神の自立を貫いた」『文藝春秋』3月ほか)。60年安保のブントとしてはじまった西部の思想全体をここで取り上げる余裕はないが、生前掲げた「保守主義」について検討してみたい。

保守主義のおおよそについては、宇野重規×大澤真幸「転倒する保守とリベラル」(『現代思想』2月)がよくまとまっている。保守主義はエドマンド・バーク『フランス革命の省察』にはじまる。バークによれば、人間の理性は不完全なものにすぎない。いっぽう、伝統には先人の良識が長い年月をかけて蓄積されている。目指すべきは、伝統を保持しつつ、現在に適応できるように漸進的に改良していくことだ。しかし、フランス革命の支持者は理性を万能視し、一挙に合理的な社会を構築しようとした。バークにとって革命は伝統を破壊する愚行にほかならなかった。

大澤が注意をうながすように、保守主義は過去を理想化する復古主義ではなく、「広い意味でのリベラリズムに含まれる思想」なのだ。しかし、多くが保守主義者を名乗る現在、「保守のインフレーションや無意味化」(宇野)がすすんでいる。

西部邁の薫陶を受けた中島岳志もやはり「保守こそがリベラルマインドを持っていなければならない」と述べている。理性を万能視しない保守主義者は、異なる意見にも寛容になり、多様な意見を聞きながら合意形成をおこなうべきだという(中島岳志×神保哲生×宮台真司「ポスト・トゥルース時代の保守とリベラルの役割」『サイゾー』2月)。保守主義者は民主主義を「多数派の専制」(トクヴィル)と批判する。中島は安保法制を強行した安倍政権について、「立憲主義を否定する政府は、歴史や死者から解放された存在」であり、「危険な存在」だとしている。いっぽうで「立憲民主党が中核となって共産党と共闘する「リベラル保守」政権」の誕生に期待をよせている(『保守と立憲』スタンド・ブックス、2月)。が、奇妙なのは日本の伝統であるはずの天皇制にまったく言及がないことだ。いまや天皇制こそがリベラルマインドをもつ保守主義として漸進的に改良されているではないか。

バークは伝統を相続財産に喩えた。慣習、言語、共同体、憲法や国家は死者から受け継ぎ、子孫に伝えるべき遺産とされる。しかし、受け継がれるのは良識ばかりではないだろう。中島は「三十年前なら自民党宏池会ですよ」という枝野幸男の発言を引用し、「自民党から失われつつある保守本流を継承する方向性」を評価している。日米同盟とともに日本国憲法に肯定的だった宏池会を受け継ぐことは、自主憲法制定を目指す安倍晋三ら清和会系の対抗にはなるかもしれない。しかし、それは同時に戦後民主主義の負の遺産である沖縄の基地を相続することにもなる。

2月4日に沖縄県名護市市長選がおこなわれ、辺野古基地工事を進める安倍政権が支援した新人が当選した。11月には沖縄県知事選もひかえている。立憲民主党の沖縄政策は「辺野古基地移設ゼロベースでの見直し」「日米地位協定の改定」だ。政権交代を成し遂げた鳩山由紀夫内閣が基地移設を「最低でも県外」としたが実現できず、退陣に追い込まれたことを考えれば、それはたしかに現実主義的で漸進的な改革なのだろう。そして、同時に明らかな後退だ。

バークの有名な考えに「時効(prescription)」がある。合法性は歴史によってつちかわれるといったものだ。解説書では「時効取得」の例をもって説明されることがあるが、正確ではない。平穏かつ公然と他人の物を一定期間占有したのちに所有権を取得できる「時効取得」に対して、バークの場合はそれがたとえ暴力的になされたものであっても認めているのだ。「時効こそ、草創においては暴力的だった政府を長年月の慣行を通して熟成し、合法性の中に取り入れて来るものなのです」(『フランス革命の省察』)。琉球処分やアメリカ占領をいうまでもなく、沖縄は暴力によって主権を奪われてきた。仮に「時効」を認めるにしても、歴史に見合った繁栄はあるかどうか。沖縄の子どもの貧困率は本土の約二倍だ。

ところで、人間の理性は不完全であるという保守主義の人間観は、現在科学的に証明されている。人間は合理的な思考が苦手で、しばしば不合理な選択をすることが認知心理学によって明らかにされた。行動経済学者のリチャード・セイラーなどは合理的な決定ができる環境=「選択アーキテクチュア」を整え、民主的な意思決定に生かそうとしているが、保守主義者は伝統によって不合理な選択を防ごうとしたといえる。しかし、保守主義者がいくら「死者の良識」を強調しようとも、普通選挙という制度には「革命の愚行」があらかじめふくまれていないか。

先の対談で、大澤真幸が昨年のアメリカ大統領選で起こった興味深いエピソードを紹介している。アメリカでは投票権をもたない子どもによる模擬選挙が大統領選前におこなわれる。大抵は本選の結果にほぼ一致するため、一般的には予測の重要な指標とされているが、今回はヒラリー・クリントンの圧勝とでていた。つまりこういうことだ。子どもは政策の内容が理解できないため、親が肯定的に言及した候補者を選ぶ。家庭でクリントン支持のようにふるまった親=有権者が多かったのだろう。しかし、投票所では親たちはトランプを選んだのだ。ここに大澤はリベラル=ポリティカル・コレクトネスへの反発を読み取っているが、投票と革命の問題として解釈できるだろう。

アメリカ大統領選からわかるのは、有権者が投票するとき、家族や社会といった関係から切断されるということだ。また、PCといった先人の良識からも切断されるということだ。ひとはなにものにも関係しない自由な個人として投票する。伝統を相続すべき親がトランプに投票したように、普通選挙においてさえ、革命の愚行はあらかじめ存在している。選挙の日がお祭り騒ぎになるのはこのためだ。

憲法改正の発議が年内にも予想されており、それに向けた議論がいくつか提出されている。立憲主義を掲げたとしても、国民投票そのものの当否は問えないだろう。しかし、その愚行は別の次元から問い直さればならない。

バークの『フランス革命の省察』は「革命に反対する革命的書物」(ノヴァーリス)と言われた。しかし、フランス革命にたいする革命的批判はハイチ革命だろう。フランス革命の影響の下、植民地だったハイチで黒人奴隷たちが「自由、平等、友愛」とおなじ理念のもとで反乱を起こした。理性による人間の解放を説き、革命を支持した啓蒙主義は奴隷制を黙認していた(スーザン・バック=モース『ヘーゲルとハイチ』)。愚行そのものを問い直す出来事が、真に革命的なのだ。

憲法改正の国民投票といった愚行も沖縄から問い直さなければならない。フランス革命がハイチから問い直されたように。改憲・護憲両勢力が唱える「独立」や「平和」といった理念は、沖縄からみればまったく意味が変わってしまう。沖縄から米軍基地を真になくそうとすれば、日米同盟を見直さなくてはならない。日米同盟を見直すならば、憲法9条を見直さなくてはならない。鳩山内閣の失敗を見れば、現憲法のままで本土に米軍基地を引き取ることは不可能だし、9条に自衛隊を明記する安倍改憲案も不十分だ。日本国憲法に革命の切断が必要なのだ。

ちなみに西部邁は沖縄について次のような発言をしていたようだ。
「基本的な立場は、ヤマトンチュとして申し訳ありませんと。米国に戦争で負け、土下座して沖縄を差し出してしまった。米軍には出ていってもらうべきなんだ」(『沖縄タイムス』1/22)

差し出して守られた伝統は天皇制にほかならなかった。そして、いまや天皇制こそが、日本国憲法を保持する最大の保守主義者だ。ここから憲法改正という愚行が問われるべきだろう。 (わたの・けいた=批評家)
2018年3月9日 新聞掲載(第3230号)
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