主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿 書評|伊勢﨑 賢治(集英社クリエイティブ)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年3月10日

主権の問いの回帰と憲法の脱問題化 
――「平和主義」の現在――

主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿
著 者:伊勢﨑 賢治、布施 祐仁
出版社:集英社クリエイティブ
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米国による支配の継続と主権剥奪の現実――伊勢崎賢治と布施祐仁の共著が提示するこの認識は、いうまでもなく、日本の読書人にとって、何ら目新しいものではない。「対米従属論」的磁場の影響が今日の「反安倍」的諸勢力にまで及んでいるように見える点からしても、右派の議論における「反米保守」的風土の執拗な存続という事実からしても、それはむしろ、政治的スペクトルを貫いて観察される戦後日本の基本的感受性に属する認識であって、その意味で、本書が描き出す「日本の姿」に、本質的に新しい要素は何ひとつないといってよい。二人の著者の狙いは、まさにこのおなじみの風景に改めて読む者を直面させ、「国際比較」を通して状況の「異常さ」を際立たせることで、事態の転換に向けて、左右の垣根を跨いだ広範な世論をかき立てることにあるように見える。「ドイツ、イタリア、韓国、フィリピン、イラク、アフガニスタン」(第五章)にできることが、なぜわたしたちにはできないのか……。

米兵の犯罪を前にしての「沖縄県民の怒り」と「韓国国民の怒り」が対比される第一章からすでに明示され、結論的な第五章の「伊勢崎賢治からのメッセージ」でも繰り返されているように、主たる理由のひとつは、沖縄への基地の集中により、問題の国民化が妨げられる点にある。しかし本書は、誰の眼にも明らかなこの事実に再度立ち返るにとどまり、困難の克服に向けた議論に焦点を当てているわけではない。それでは本書の主要な企図はどこにあるのか。

著者たちにとっての執筆意図は、何より、二人で書くことそのもののうちにあったと考えることができる。「新九条」のための改憲を唱える平和構築の専門家と「護憲派」のジャーナリストが共同作業を行うこと。それにより、改憲の是非をめぐって煽り立てられる政治的情熱を、いったん抑制すること。日米地位協定の改定による主権の回復についてなら、誰もが最優先の共通課題として取り組みうるはずだ……。

しかしここで確認しておくべきは、日本国憲法第九条に何らかの画期性があるとしたら、それはまさしく、主権の顕著な制限を定式化している点に求められるということだ。たとえば一九九七年のある対話のなかで、加藤周一は「第九条は明らかに主権の制限だ」と説き、樋口陽一はそれを受け、「主権の絶対性に風穴を開けること」の重要性を確認している(『時代を読む』、岩波現代文庫)。この観点からするなら、「主権なき」状況からの脱却を自明の目標として掲げることは、「普通の国より、もう少しよい点」(加藤周一)を持った国――すなわち主権の相互制限による平和実現への道の先導者――たるべき潜在的可能性の断念を、含意しているのだということもできよう。はたしてそれでよいのだろうか。

それでよい、というのが、著者のひとり伊勢崎賢治の確信であるように見える。主権の自明性を解きほぐした新たな国際関係構築の動力となるどころか、第二次大戦後の日本は結局のところ、米国の戦争を支持し、その遂行の一拠点たるべく主権の限定を甘受することで、一国的な平和を享受してきたのにすぎない。しかも、こうして自国内で「主権に鈍感となった日本」は、自衛隊の海外派遣に際して、受け入れ国の主権にも鈍感になりがちだ。「日・ジブチ地位協定」は、日米地位協定以上に対等性を欠き、日本に有利な取り決めとなっている(第一章)。要するに、かつての発言を引くなら、「憲法9条は日本人にはもったいない」のだ(『朝日新聞』2009・5・2)。そうであるなら、「普通の国より、もう少しよい点」をいつか獲得できるかもしれないなどという漠たる展望とは縁を切って現状を直視し、現に存在し海外に活動の場を広げている自衛隊が、派遣先の地域で混乱を引き起こさないよう、必要な法的措置を整えていくべきではないか――このように考えているはずの伊勢崎は、日本の主権と同程度かあるいはそれ以上に、派遣先の地域の主権を気にかけている。じっさい、「そもそも自衛隊は誰も殺さないという人類の理想を体現した誇らしく尊い組織であり、人を殺す軍隊と同等に扱うのは非礼極まりない」といった読む者みなを深くたじろがせずにはいない断定(五野井郁夫、共同通信、2017・10・12)が、改憲反対の根拠として全国の新聞に配信されている事実を前にしては、人を殺しうる組織としての現実に見合った法的枠組みの整備を急務と心得る伊勢崎の信念を、ある切実な思いとともに受け止めないのは誰にとってもむずかしかろう。

さて、紛れもない現実に根差したこのような確信に対して別の確信を――日本は九条とともに、「普通の国より、もう少しよい点」を備えた存在たりうるという確信を――、しかるべき現実的な根拠を添えて対置することができるものだろうか。興味深いことに、もう一方の著者であり「護憲派」――といっても、第二次安倍内閣の閣議決定に先立つ一連の解釈改憲に従って自衛隊の合憲性を受け入れるその立場は、伊勢崎が本書の外で指摘するように「解釈改憲派」というべきものだが――である布施祐仁は、明文改憲を志向する伊勢崎と比べ明らかに、在日米軍基地の今後に関し、米国の思惑への配慮を示している。布施の単独名義で書かれた「あとがき」によれば、日米地位協定の改定案において「在日米軍基地が日本の施政下以外の他国、領域への武力行使に使われることの禁止」を明記しようとした伊勢崎を押しとどめて、布施は――「それをアメリカがのむことは一〇〇%ないだろうから」――「日本政府の了解」があればよいことにしようと提案したのだという。本書刊行後にインタヴューを受けた彼は同様の観点から、北朝鮮有事に巻き込まれないように地位協定を改定したとしても、日本が中東などへの派兵の拠点を提供し続ける限りは――「いいか悪いかは別にして、現実に日本に基地があって、そこにあることが、アメリカにとって非常に価値が高い」――、日米同盟は安泰であるはずだと述べている(『IWJ』2017・12・3)。ほとんどシニカルなこうした「現実主義」が『平和新聞』編集長の口から発せられるのが、二十一世紀日本というものなのだ。こうなるとたしかに、憲法九条と平和主義といっても、国内向けの「独り言」(第五章、「伊勢崎賢治からのメッセージ」)以外のものにはなるまい。「いいか悪いかは別にして」、わたしたちはこのような――憲法九条の問いの実質的な脱問題化という――現実のなかを生きているのである。
この記事の中でご紹介した本
主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿/集英社クリエイティブ
主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿
著 者:伊勢﨑 賢治、布施 祐仁
出版社:集英社クリエイティブ
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年3月9日 新聞掲載(第3230号)
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