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2018年3月30日

追悼 石牟礼道子

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2月、石牟礼道子氏が亡くなられた。90歳だった。代表作『苦海浄土』は、水俣病患者とその家族の苦しみや希望、企業との闘いの過程を克明に描き出し、そして人が人としてあることの罪深さと崇高さを文学として昇華させた文学史に残る傑作であった。また祖母の「おもかさま」を描いたものをはじめ、その他の作品や詩なども、気高さを感じさせるような美しい文章で綴られた印象深いものであった。多くの人たちから惜しまれつつ世を去った石牟礼氏を偲んで、本紙では縁のある方たちに追悼文を寄せていただいた。また読書人のウェブサイトでは、2011年に河出書房新社の「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」から『苦海浄土』三部作が一冊となって刊行された際の、石牟礼氏へのインタビューをアップしたので、そちらもご覧頂きたい。(編集部)

■2011年2月25日号「石牟礼氏インタビュー」はこちら


石牟礼道子(いしむれ・みちこ=作家)2月10日、熊本市の介護施設で死去した。90歳。

1927(昭和2)年、熊本県宮野河内村(現・天草市河浦町)生まれ。水俣実務学校(現・水俣高校)を卒業後16歳で代用教員として田浦小学校に赴任。51年頃から新聞や雑誌に短歌の投稿をはじめ、歌誌『南風』の会員となる。58年、谷川雁らの「サークル村」に参加。59年、水俣病患者の姿に衝撃を受け、執筆を決意。69年、水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」第1部を刊行。翌70年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが辞退。74年に第3部「天の魚」、04年の第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結。73年「苦海浄土」などの作品で「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。93年「十六夜橋」で紫式部文学賞。03年、詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞。14年「祖さまの草の邑」で第32回現代詩花椿賞。04~14年、「石牟礼道子全集・不知火」(全17巻・別巻1)が刊行された。
第1回
万人に対して開かれていた/石内 都

(C)Ishiuchi Miyako「不知火の指#1」
■「不知火の指」
 
石牟礼道子さんの訃報は突然でした。その日は朝十時半くらいに桐生に着いて、迎えに来てくれた女性から教えられて、本当にびっくりしました。今ちょうど、石牟礼さんが原作の新作能「沖宮(おきのみや)」(二〇一八年十月~十一月、熊本・京都・東京公演、https://www.okinomiya.jp/)のイメージ撮影をしていて、染織家の志村ふくみさんが衣装の糸を染めて織るのですが、石牟礼さんが志村さんに頼まれたことらしいんです。ですから少なくとも、お能が上演されるまではお元気でいて欲しかった。たまたま私は石牟礼さんの『完本 春の城』(藤原書店)を読んでいて、今度このお能の仕事で天草の海を撮りに行くのですが、天草は彼女が生まれた土地で、お能の舞台が島原の原城です。本当に彼女の遺言のようになりました。

石牟礼道子さんの手と足を撮影したシリーズ「不知火(しらぬい)の指」は、二〇一四年と二〇一六年の二回撮っています。最初の二〇一四年の撮影のときはリハビリの施設に居られて、その施設内の談話室のような場所で撮影しました。二回目の二〇一六年の撮影は熊本市現代美術館の依頼で、開館十五周年の企画「誉(ほまれ)のくまもと展」(熊本をテーマにした現代美術と写真の企画展)に、新しく撮った写真を展示したいという美術館の要望があったのと、石牟礼さんに付き添っておられた、思想史家・評論家の渡辺京二さんとのツーショット写真を撮りたいということもあって、体調は良くなかったと思いますが、入院先の病室の前の廊下で撮影させていただきました。

私は撮影に時間をかけずに、ぱっとすっと撮るタイプなので、あまり長い時間は撮っていないのですが、「不知火の指」では、石牟礼さんの手と足とポートレイトを撮影しました。撮るときも「お願いします」と声をかけたら、石牟礼さんは本当に素直に、すっと手を差し伸べて、足もすっと出してくれて、恥ずかしがらないんです。だから、身体を“さらす”というのとはもっと違った意味で、“羞じる”とはこういうことじゃないんだということを私は石牟礼さんから学んだんです。歳をとるということは、恥ずかしいことじゃない。自分がどんどん老いてしかも大変な病気を抱えて、普通はそんな状態で他人と会いたくない。でもそういうこととは関係なく、彼女は万人に対して開かれていた。来る者はこばまないような気持ちを持っていて学ぶことがたくさんありました。言ってみれば“先輩”ですから、時代、女性、表現者ということも含めて。彼女は生き方が一貫していて筋が通っている。こういう生き方をできる人がいるということと、女性の歳のとり方というものをすごく学びました。

はじめてお会いするまでは、もちろんそれまでも石牟礼さんにお会いしたいと思っていましたが、なかなか手立てがなくて、いつかは会えるだろうと思っていました。一番最初にお会いしたのは、シリーズ「絹の夢」(二〇一二年)を制作していた頃だと思います。石牟礼さんはそのころもご病気ではあったけれど、まだお元気で病院にいらして、詩人の伊藤比呂美さんが、「都さん、(石牟礼道子さんを)撮らないと駄目よ」と連れていってくれたんです。石牟礼さんはご自分で洋服を作ったりされていたので、比呂美さんは私に石牟礼さんの服や着物を撮らせたいと、「都さん撮らない?」と、そういう話だったんです。ただ、そのときはもう石牟礼さんは服も着物もあまり持っていないということで、私が撮っていた銘仙や着物のお話をして、当然石牟礼さんも銘仙も持っていらして、「懐かしい」とおっしゃって銘仙についてのお話をされていました。

石牟礼さんという方は、来る人を拒まない。普通は病気で入院されていて、そんな大変な状態を他人の目にさらさないと思うのですが、石牟礼さんは何かが違うと思いました。来る人に対して、“受け入れる”という気持ちがすごくある方で拒否しない。何かを伝えるという意味においては、どんな状態であろうとすごく前向きで、そのことに驚かされました。

最後にお目にかかったのは、昨年二〇一七年九月の「誉のくまもと展」のオープニングの日でした。会場に居合わせた新聞記者の方が、「もし良かったら、石牟礼さんのところに一緒に行きませんか」と声をかけてくださって、入院先の病院に連れていってくれたんです。石牟礼さんは体調は少し良くなられたときだったようですが、かなりお痩せになったという印象でした。それでもご本人はそんなことを気にされていなくて、そんな状態なのに接待してくださるんです。自分が飲んでいた柚子茶を、「もし良かったら飲まない?」と言って、接待していただいた。そのときは写真は一切撮らずにご挨拶だけして帰りましたが、あらためてこの人は普通の感覚以上のなにか大きなものを持っていらっしゃる方だと思いました。
石内 都氏
■『苦海浄土』/九〇年の時(とき)が刻まれた手足
 
私は最初は読み切れなくて、あるときまで『苦海浄土 わが水俣病』(初版一九六九年講談社/講談社文庫一九七二年、新装版二〇〇四年)を全部読んでいなかったんです。でも、ある日突然読みはじめて全部読んで驚きました。いままでなんで私は読んでいなかったのかと思って後悔しながら、石牟礼さんに会いたいと思いました。「不知火の指」も写真を撮るというより、彼女に会ってみたいという気持ちの方が強くて、それが伊藤比呂美さんに通じて撮影に結びついた。本当に写真を撮って良かったと思いますし、ポートレイトはたくさんありますが、手足を撮る人はいなかったでしょうし、比呂美さんのおかげです。私はこれまでにもいろいろな方の手足を撮っていますが、末端の手と足というのは、その人の人生がすべて表れています。

「不知火の指」は、熊本で一番最初に展示しましたが、そこで七点、今回の「肌理(きめ)と写真」(横浜美術館/二〇一七年十二月九日~二〇一八年三月四日)では五点を展示しました。皮膚より肌理(きめ)という意味で、皮膚の向こう側が撮れたらいいなと思って撮っていますが、写真というのはひとりでは撮れないわけです。相手がいて私がいて、適度な距離感がないと良い写真にならない。そういう意味で、写真には相手に対してなにか伝わっているものが写っているのではないかと思うのですが、私は運良くそういう人たちと出会って写真を撮ることが出来た。石牟礼さんは、特に『苦海浄土』をはじめとする作品を生み出してきた指も含めて、彼女が刻んできた時(とき)や時間の重さを見たいという思いがあって、本当に気持ちよく撮らせていただいて感謝しています。
■童女のような/ある種の美しさを突き詰める
 
石牟礼さんは特別な方かもしれないですね。いままで、あのようなタイプの女性の表現者はいなかったのではないでしょうか。歳をとってもどこか歳をとらない、童女のような、なかなかいるようでいません。歳をとるというのは表面的なことではないことを感じました。九〇歳で亡くなったけれど、ちゃんと生きた方だと思います。もうちょっと長く生きていただきたかったけれど……。すごく小柄な女性ですが、抱擁感のある不思議な人で、なにかでっかいものを感じさせる。やはり詩人だから、ある種の美しさを突き詰めたいという気持ちがあったのではないでしょうか。それは言葉の美しさだったり、表現だったり、文字や詩、いろいろなことがあるけれど、美に対する感覚が非常に優れた方だと思います。石牟礼さんが亡くなって大きな存在を失いました。彼女のような人はもう二度と出てこないのではないでしょうか。ですから、あとは石牟礼さんの文章を読むしかない。その中から教えてもらうことはたくさんあると思います。 (談)
(いしうち・みやこ=写真家)
横浜美術館「肌理と写真」展会場にて
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2018年3月30日 新聞掲載(第3233号)
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