ミシェル・フーコー、経験としての哲学 方法と主体の問いをめぐって 書評|阿部 崇(法政大学出版局)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年4月7日

二つの「考古学」から「系譜学」へ 
フーコーの哲学的方法を明らかにする

ミシェル・フーコー、経験としての哲学 方法と主体の問いをめぐって
著 者:阿部 崇
出版社:法政大学出版局
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本書はフーコー研究者、阿部崇による最初の単著であり、その主題は、フーコーがその思想を展開するために用いた「方法」を、彼の作品の発表順に沿ってクロノロジカルに明らかにすることにある。キーワードとなるのは、フーコーが採用した二つの思想的方法である「考古学(アルケオロジー)」と「系譜学(ジェネアロジー)」である。ここで重要なのは、阿部がフーコーの諸著作を丁寧にたどりながら、フーコーの思想の中には二つの異なった「考古学」があり、第二の「考古学」が「系譜学」への移行を可能にする、と指摘する点である。その理路を、阿部の「方法」に従って、フーコーの作品の発表順に追っていこう。

まず、初期の代表作である『狂気と非理性』(=『狂気の歴史』)から『言葉と物』の時代、すなわち一九六六年までのフーコーにとって問題であったのは、ある時代の知を内的に規定している歴史的な知の枠組み、すなわち「歴史的アプリオリ」を明るみに出すことだった。「歴史的アプリオリ」とはカントの言う「アプリオリ」とは異なって、認識の普遍的条件ではなく、認識を歴史的に規定する条件のことであり、それは時代によって根本的に変化するとされる。そうした各時代の「歴史的アプリオリ」を歴史的=批判的な仕方で析出するという哲学実践が、「考古学」と呼ばれる哲学的方法である。

しかし、この「歴史的アプリオリ」は同時に、カント主義的枠組みに沿うものでもある。なぜなら、「歴史的アプリオリ」とはあくまで認識主体において認識のあり方を規定する枠組みである、という意味で主体の認識作用を前提としているからだ。ここで阿部は、『知の考古学』(一九六九年)の時代のフーコーが、このカント主義的枠組みを突破するような第二の「考古学」を練り上げた、と主張する。阿部によれば、『知の考古学』のフーコーは、言説の集合体であるアルシーヴと、その構成要素である言説、言表を分析し、そこから「歴史的アプリオリ」を析出することで、言わば主体なしで「歴史的アプリオリ」を析出するもう一つの「考古学」を確立した。そして、この「考古学(アルケオロジー)」は、まさしくアルシーヴの学という意味で「アルケオロジー」と名付けられているのである。

歴史的出来事としての言説、言表の分析から、主体を経由することなく「歴史的アプリオリ」を析出する、というこの新たな方法、「考古学」のこの新たな定義こそが、フーコーが一九七〇年代に練り上げる「系譜学」への通路を形作るだろう。「系譜学」においてフーコーは、認識主体ではなく権力関係から出発して主体を定義するが、そのとき主体は構成的主体ではなく、権力によって「構成された主体」(エティエンヌ・バリバール)として定義される。これによってフーコーは、カント主義の残滓であった「前提としての主体の認識作用」なしで、しかもより直接的に歴史的な権力関係によって「構成された主体」を定義できる。「系譜学」というこの新たな方法こそが、カント主義に内在的な仕方で「人間」という認識主体の歴史性を析出する、『言葉と物』までのフーコー的方法の内的突破を可能にするのである。本書のオリジナリティはこのように、アルシーヴの学としての第二の「考古学(アルケオロジー)」が「系譜学」への道を開いた、という点を明らかにした点に存する。

阿部は本書で、フーコーの方法をその晩年に至るまで、系譜学に内在する「主体化=隷属化assujettissement」、「主体化subjectivation」の概念から明らかにしているが、その部分はいささか駆け足気味であり、ここでも阿部が採用するクロノロジカルな分析という方法を採用するべきだったように思われる。また、transcendantalというフランス語の訳語が「超越論的」(「経験的なものと超越論的なものが混ざり合っている」、七〇頁)、「先験的」(「経験的=先験的二重体」、一三四頁)と一定せず、「超越的transcendant」とも混同されている(「先験的なもの=超越的な性質」、一三四頁)点にはいささか問題があり、これら概念間の関係のより詳細な検討が必要だっただろう。ただ、こうした細部は本書の価値をいささかも貶めることはない。本書はフーコーの哲学的方法を、二つの「考古学」と「系譜学」という視点から明晰に明らかにしているのである。
この記事の中でご紹介した本
ミシェル・フーコー、経験としての哲学  方法と主体の問いをめぐって/法政大学出版局
ミシェル・フーコー、経験としての哲学 方法と主体の問いをめぐって
著 者:阿部 崇
出版社:法政大学出版局
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年4月6日 新聞掲載(第3234号)
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