ジェンダー写真論 1991-2017 書評|笠原 美智子(里山社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年4月7日

テキストが孕む内なる運動 
語ることで可視化した営為の記録

ジェンダー写真論 1991-2017
著 者:笠原 美智子
出版社:里山社
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ジェンダーの観点は、少なくとも言葉のうえでは、こんにちの社会に流通し、教育現場や行政組織など、制度にも入り込んでいる。美術館にもそうだ。だが、1980年代までの日本のアートシーンでは、ジェンダーの語もまだ一般的ではなかった。1970年代以降、国際的には、同性愛作家や女性作家、非白人男性作家の作品が席巻する状況が展開してきたが、無風地帯の日本に風穴を開けたのが、本書の著者、笠原美智子氏だった。社会学をベースに学び、アメリカで写真を学んで帰国して東京都写真美術館の学芸員になった著者が、1991年に企画した写真展「私という未知に向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」が、糸口になった。これが、日本の美術館で初のジェンダー、フェミニズムの観点からの展覧会となったのである。

本書は、ジェンダーの視座から写真、アート作品をまなざし、走り続けてきたそんな著者の、三十年近くに渡る論考を集めた待望の書である。同時に、女性やLGBTであることを問いとした写真家や美術家たちの表現の歴史を、語ることで可視化してきた営為の記録でもある。本書の大半は、展覧会図録に寄せたテクストをもとにした必然として、社会を牽引する美術館の役割や制度についても考えさせる。多面体として、さまざまな角度から読み、考えることができるのが本書の特徴であり、他書にない魅力である。

本書は、「世界篇 民族とセクシュアリティ」と、「日本篇 戦後と高度経済成長とジェンダー」の二つのパートから成る。世界篇では、既存の女性イメージを解体するセルフ・ポートレイト、病と老いを巡る視線のポリティクス、エイズをめぐる表象といったテーマ群が、日本篇では、現代日本女性の意識や拡大家族のテーマ群が配され、膨大な数の表現者の――有名作家から新進の者まで――、多岐にわたる作品が、豊富な図版と共に紹介されている。そして、読めば、ダイアン・アーバス、ロバート・メープルソープ、ダヤニータ・シンやシンディ・シャーマン、トリン・T・ミンハ、ハンナ・ウィルケ、やなぎみわ、石内都や森栄喜、澤田知子、荒木経惟らが、写真を通じて格闘を繰り広げる広大な海に、読者は投げ込まれることになるだろう。

投げ込まれる、とは、他ならぬ著者自身が展示企画を通じ、書くことをも通じて、作家たちの格闘の運動に投げ込まれ、共にその運動を分け持とうと苦闘するが故にテクストが内なる運動を孕むから、そうなる。例えば、ヘテロである著者は、直接の当事者ではない自身がレズビアンやゲイのアーティストの作品展を企画し、作品について書くなかで、自らの仕事の意味を問い、「ホモフォビアの社会の構成員として」当事者性を見出そうと格闘している。社会が貼りつけてくると感じられてならないレッテルへの違和感を誰しも覚える、そんな普通の人間としての感覚を梃子にして、著者の格闘は為される。そのようにして、社会における自己、〈反映する〉と同時に〈形成する〉写真メディアの機能、アイデンティティと写真、作品の意味など、根底的な問いが引き出され、書かれていく。

本書は、その底に静かに根底的な問いが流れ続けているから、膨大な作家の、さまざまな時期の多岐にわたる表現の、目まぐるしい騒然たる紹介に陥ることがない。各々のテクストが一冊の書物にまとめられることで、問いの流れや展開が一層はっきりと浮かび上がり、作家たちの仕事も本書も共に、問うべきを問うた実にシンプルで実直な仕事の連なりであるとわかる。そのシンプルさに、本書の醍醐味がある。
この記事の中でご紹介した本
ジェンダー写真論 1991-2017/里山社
ジェンダー写真論 1991-2017
著 者:笠原 美智子
出版社:里山社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年4月6日 新聞掲載(第3234号)
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