炎と怒り 書評|マイケル・ウォルフ(早川書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!
▶メールマガジン登録

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

読書人紙面掲載 書評
2018年4月7日

予想外の「暴君誕生」をめぐる傑作の「小ネタ集」が映し出すアメリカ政治の闇

炎と怒り
著 者:マイケル・ウォルフ
出版社:早川書房
このエントリーをはてなブックマークに追加
トランプ政権の暴露本として、世界的に読まれている例のあの本だ。

仕事柄、すぐに読む必要があったため、原著が刊行された今年1月にキンドル版をダウンロードし、一気に読んだ。熟練のジャーナリストのマイケル・ウォルフ氏は自称「ホワイトハウスを飛び交う“ハエ”」のように、トランプ政権のすべてをその場にいるかのように眺める。そして、その動きをゴシップ記事のようにまとめあげる。

その話題の本の達意の翻訳が完成した。原著の著者の息遣いも翻訳でも確実に伝わってくる。読ませる技術が満載の原書と全く変わらない翻訳者グループの高い能力を褒めたい。

アメリカ政治を知っているものなら、内容は圧倒的に面白いはずだ。

告白しよう。私自身もわくわくしながら読んでしまった。内容はいま起きている現在進行形なものばかりであり、過去の政権の暴露本に比べて極めて衝撃的だ。

ウォルフの取材対象の範囲も大きく、すでに退任した人物を含めて、当選前後から政権1年目までのトランプ陣営・政権の「選手名鑑」でもある。娘・イバンカをはじめ、みんな負けると思っていた中での当選から始まり、暗殺を恐れて毒を入れられる機会がないファストフードを好んだり、髪の毛の薄さを気にする大統領の些細なこだわり。メラニア夫人との冷えた関係。壮大な世界地図が頭にあり、大言壮語するが、極めてわがままなバノン元首席補佐官。資金源のマーサー、FOXNEWSを率いたエイルズ、メディア王・マードックなどの保守派のわき役たちもトランプをめぐって腹の探り合いが続く。

政権のかなめになるはずのプリーバス、ケリーの新旧の首席補佐官とトランプ氏とのこじれた関係からも政権運営の混乱がはっきりうかがえる。かつてはトランプ氏もひいきだったMSNBC「モーニング・ジョー」の司会の2人とトランプ氏との愛憎関係といえる確執まで、本の最後まで読ませる内容が続く。

いずれのこじれた問題も、最終的には、安定しないトランプ氏の精神状態にベクトルが行きつく。

トランプ氏含め、当選しなければ皆がハッピーだったはずだ。これが現実でないと仮定して引いてみれば、これは超一流の喜劇である。喜劇は笑わせるだけでは完成しない。かならず悲劇の要素がある。思惑が外れて当選してしまった「暴君」の誕生をめぐる悲喜劇を著者のウォルフは余すところなく展開させていく。

どれも真実かどうか本当はわからない。しかし、いかにもそれぞれの人物が言いそうな発言がじつに生き生きと語られる。かつて筆者がワシントンの政策関係者からうかがった話も数多い。ただ、その内容よりも、その一歩先の情報が満載である。

実に面白い――。

しかし、である。しょせんは“小ネタ集”である。それ以上のものではない。

カバーを折り返した「そで」の部分にあるウォルフ氏の「この暴露本で政権が終わる」というコメントはかなりの誇張だ。原著発売後3カ月たったが、そんな様子はどうもみえない。もちろん、トランプ氏の精神状態は安定しないし、ロシア疑惑の捜査の展開次第ではトランプ氏が政権を投げ出してしまう可能性はある。しかし、少なくともこの本の直接の影響ではない。アメリカ政治そのものもそんなに劇的な変化はない。

これだけの内容の暴露本にしてはなぜ、なのか。

端的に言えば、それだけアメリカ政治が劣化してしまっているためだろう。劣化とはトランプ政権以前から長年進んできた政治的分極化が現在、極まってしまったことに他ならない。共和党・民主党という党派で国民が大きく分かれてしまい、共和党支持者のトランプ大統領支持の割合は8割、一方、民主党支持者の大統領支持派は1割も満たない。この本についても世論は分かれており、民主党支持者はウォルフ氏と同じように「この本で政権崩壊だ」と叫ぶ。共和党支持者の方は「嘘だらけのフェイクブック」とみている。そもそもこの本を手に取ったりしないだろう。

誤解を恐れずに断言したい。この本が正しくても正しくなくても、アメリカ政治全体にとっては「どうでもいい」のである。なぜなら、そもそもの「真実」も共和党支持者のものと民主党支持者のもので2つある。

アメリカ政治の研究者としてこんな状況はむなしくてたまらない。民主主義の根本にある妥協が極めてしにくくなっているためだ。

ただ、少なくともその異次元に行ってしまったのがアメリカ政治の現状の闇を感じさせてくれる意味でこの本の意義は極めて大きい。

この闇の向こう側にあるのは、何か。トランプ氏だけの問題では終わりそうにない。(関根光宏・藤田美菜子他訳)
この記事の中でご紹介した本
炎と怒り/早川書房
炎と怒り
著 者:マイケル・ウォルフ
出版社:早川書房
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年4月6日 新聞掲載(第3234号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
前嶋 和弘 氏の関連記事
読書人紙面掲載 書評のその他の記事
読書人紙面掲載 書評をもっと見る >
社会・政治 > 国際政治情勢 > アメリカ関連記事
アメリカの関連記事をもっと見る >