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ジャン・ドゥーシェ氏に聞く「映画/映画作家/映画批評」
2018年4月17日

連 載 ヴィスコンティ ジャン・ドゥーシェ氏に聞く52

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ボーヴォワ(左)とドゥーシェ

JD 
 ボーヴォワの『ガーディアンズ』に関しては、ナタリー・バイだけでなく、他の箇所にも、「過去」を描くという点で違和感はあります。
HK 
 教会の場面があり、そこでは参列者たちの顔を順に映していきます。おおよそがエキストラだと思いますが、明らかにその場にいるべき人の顔が、今日の世界でいい生活をしている人のものだと感じました。1910年代の農民の顔は、記録映像とかを見ると、もっと疲れています。
JD 
 言われた通りです。失敗していましたね(笑)。
HK 
 所作を再現するということに関して、ヴィスコンティはいかがですか。『山猫』における舞踏のシーンは、実際の貴族たちに演じさせたり、再現以上のものではないでしょうか。加えて、クラウディア・カルディナーレが言うには、ヴィスコンティは画面に映らない香水のようなものにもこだわり、撮影現場にあるものすべてが本物だったようです。
JD 
 ヴィスコンティは、貴族の世界を表現することができた唯一の映画作家です。彼はイタリアを代表する大貴族の家系に生まれているので、貴族の生活の中にいました。なので、彼の映画の中には本物の貴族が見られます。『山猫』の時代に、公爵がだれかと握手をすることなどあったでしょうか。大貴族がそのようなことをすることはありません。
HK 
 僕の印象に残っているものだと、『ルートヴィヒ』の暖炉の場面です。コートを着込むような寒い日に、船が湖畔の城に到着します。ルートヴィヒ公とその従者が城の中に入る。当然のごとくとして、部屋の中は冷え切っています。従者が暖炉に薪をくべようとするやいなや、ルートヴィッヒが手に持っていた杖で、従者の手を叩きます。従者が、革の手袋をつけていたからです。その手袋は、作業用には作られていないということです。こんなことを見せるのは、ヴィスコンティだけではないですか(笑)。
JD 
 そのような細部を見せることができるからこそ、ヴィスコンティは唯一の映画作家なのです。
HK 
 王族を扱った映画のつながりで、ソフィア・コッポラの『マリーアントワネット』は見られましたか。近年のポップミュージックなどを背景にしながら、ヴェルサイユを現代の文化の中で描いたと言える作品です。ヴィスコンティとは、正反対のようなことをしています。
JD 
 『マリーアントワネット』は見たことがあります。しかし、良い作品ではありません。
HK 
 ソフィア・コッポラは、監督としていかがですか。
JD 
 そこそこです。
HK 
 世間一般には、ソフィア・コッポラは今日の映画作家だと言われています。
JD 
 そのように言われてはいます。しかし、悪い意味で今日の映画作家です。
HK 
 それなりに面白く見れるところはあると思います。彼女の父親ほどではありませんが。
JD 
 比較になりません。フランシス・コッポラは、傑出した映画作家です。ソフィア・コッポラは、悪い映画を作りはしません。しかし、私に興味を持たせるような映画を作ることはありません。
HK 
 ソフィア・コッポラは、色々と考えて映画を作っている映画監督ではありませんよね。
JD 
 何も考えていません。それだから、面白いと思わせるような映画が作れていないのです。
HK 
 ヴィスコンティの映画についてもう少し話を膨らませましょう。
JD 
 ヴィスコンティの世界は、根本的に他の作家の映画とは異なります。ヴィスコンティの映画は、映画史を通じて唯一のものです。ヴィスコンティは、映画の歴史の中に現れた唯一の大貴族出身の作家です。それ故に、ヴィスコンティの映画こそが、貴族の映画です。 <次号へつづく>
〔聞き手=久保宏樹/写真提供:シネマテーク・ブルゴーニュ〕
2018年4月13日 新聞掲載(第3235号)
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