ジャーナリズムの実践 主体・活動と倫理・教育2(2011~2017) 書評|花田 達朗(彩流社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年4月14日

思考の変遷を“苛烈に追体験” 
ジャーナリズムを真正面から問い続ける著者

ジャーナリズムの実践 主体・活動と倫理・教育2(2011~2017)
著 者:花田 達朗
出版社:彩流社
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ジャーナリズムやメディアの研究者、あるいは一定の経験を積んだジャーナリストの中に、もし、花田達朗氏の名を知らぬ者がいたとしたら、よほどの斯界知らずか、怠惰な不勉強者だろう。

早稲田大学教育学部の教授をこの春に定年退官するまで、花田氏ほど真正面から「ジャーナリズム」を問い続けた研究者はいまい。近年は「もっと調査報道に傾注せよ」といった“檄”を既存メディアに飛ばす一方、所長を務める早稲田大学ジャーナリズム研究所を拠点とした非営利の調査報道団体「ワセダクロニクル」の立ち上げにも深く関わった。

本シリーズは40年に及ぶ研究の集大成であり、“闘う研究者”の業績を網羅した貴重な存在になろう。しかも、初回配本の「第2集」を通読した者は、花田氏の思考の変遷を“苛烈に追体験”することになる。
*    * 第2集は、東日本大震災と福島原発事故のあった2011年から「ワセクロ」発足に至る2017年までの論考を所収している。霞が関や永田町の情報伝達機関に過ぎなくなった在京メディアへの批判は、ことさらに激しい。そうした中で、「ウオッチドッグ」機能を求め続け、企業や組織の枠を超えたジャーナリスト職能集団の必要性を訴え続けた。

花田氏の中心的主張の一つは、報道機関における内部的自由をいかに確保・実現するか、にある。それらは本書に収録された〈「内部的メディアの自由」の社会学的検討〉などメディアの内部的自由に関する3論文に詳しい。

「メディアの自由」は従来、「政治的・社会的・経済的な諸権力」VS「メディア」の構図を前提とし、力点は「外部権力による介入」に置かれていた。花田氏の提起は当然、そこにとどまらない。先進例とするドイツと対比させながら、日本では日本新聞協会の「編集権声明」に象徴されるように編集権が経営・管理側に集中し、現場ジャーナリストとの間を分断させていると説く。その状況下では、現場の「個」は自らの良心や倫理に基づく活動が困難になるのだ、と。実際、そうした例は昨今の報道現場を概観するだけで十全に理解できよう。
*    * では、「花田氏の思考の変遷を“苛烈に追体験”する」と前述した意味は何か。

本書は「予兆」「瓦解」「再生」の3部構成であり、「瓦解」では、福島原発事故に関する朝日新聞の「吉田調書」報道についても論じている。この報道は「(朝日の)会社組織や上層部を温存しようとする力」など5つの力によって、記事が否定され、「記事取り消し事件」に至ったと分析する。

しかし、確かに総論はそうだとしても、各論――この記事の取材過程について調査・解析した部分は登場しない。そうした過程には何も問題がなかったのかどうか。花田氏は「観察者」に徹したのだと思われるが、そこへの言及があれば、あの報道を今なお疑問視する報道関係者の理解を得る余地は広がったかもしれない。

年代順に並んだ論考はその後、在京メディアとの対比の中で期待を寄せていた地方紙に対しても失望・絶望を表明し、怒りも吐露するようになる。

例えば、2017年9月30日の〈所長の伝言〉(463~467頁)。それによると、花田氏が月刊誌『世界』2017年9月号に発表した論文(本書にも所収)において、「政府があからさまに介入しなくても、その手前で会社というシステムが言論・表現の自由の抑制機構として自動的に作動し、その環境のもとではジャーナリズムの主体的当事者たるジャーナリストが集合的に立ち現れることはない」と記したところ、河北新報社の報道部長が社内の『局報』でこれに言及し、「実態を知らない、あるいは曲解による独善的な的外れな主張」と記した。

それに対し、花田氏は〈所長の伝言〉で「私に対する最大限の批判」とし、その延長線上で「(地方紙に対し)最終的に応援団であることを取り止めた」と表明したのである。さらにリクルート事件報道のような調査報道作品を河北が出さない限り「私は私の間違いを認め」ない、とも記した。他方で同じ年、既存メディアへの絶望をバネに出発した「ワセクロ」について、花田氏は(当然かもしれないが)当事者としての立場を明確にし、大宗で肯定評価を続けている。

これら2017年の出来事をどう捉えるべきか。その判断は読者に任されるが、一流のジャーナリズム研究者が当事者としてジャーナリズム活動に関わり、そして、その理想形を追い求める活動が既存メディアとの“縁切り”を伴うものだとすれば、数年前までは確かにあった双方の対話は限りなく先細りしていくだろう。それは互いに大いなる損失だ、と評者は考えている。

「花田達朗ジャーナリズムコレクション」全7巻
(1)ジャーナリズムの実践―主体・活動と倫理・教育1(1994―2010)〈2018年8月刊行予定〉
(3)ジャーナリズムと公共圏―市民社会のための理論〈2019年2月〉
(4)ジャーナリズムの空間―制度研究へのアプローチ〈2019年8月〉
(5)ジャーナリズムの環境条件―メディアとテクノロジー〈2020年2月〉
(6)ジャーナリズムと時評〈2020年8月〉
(7)事典 補遺・索引〈2021年2月〉
この記事の中でご紹介した本
ジャーナリズムの実践    主体・活動と倫理・教育2(2011~2017)/彩流社
ジャーナリズムの実践 主体・活動と倫理・教育2(2011~2017)
著 者:花田 達朗
出版社:彩流社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年4月13日 新聞掲載(第3235号)
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