銀座カフェー興亡史 書評|野口 孝一(平凡社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年4月14日

カフェーでの人間模様 
近現代史の一コマも垣間見られる

銀座カフェー興亡史
著 者:野口 孝一
出版社:平凡社
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大正から昭和の初め頃までを背景にした小説、映画、歌謡曲には盛んに登場するカフェーとは何か。喫茶店、バー、レストランあるいは女給という接客のプロがいる享楽の場、そのいずれか。本書に接して、カフェーとはこれらの要素を混合しながら形成、発展してきたということを知った。

銀座史研究の第一人者である著者は、舞台を銀座に限定して明治末期から大正を経て昭和前期、太平洋戦争の空襲で銀座が壊滅するまで、この地に現れたカフェーを取り上げ、創業者の発想、建物の規模、内部の設備、サービスの内容などについて克明に描き出す。

明治末期に尾張町二丁目(銀座七丁目)に誕生し、アイスクリームを売った函館屋をその始まりとして薬局と兼業で発足した資生堂、ウーロン茶が名物だった台湾喫茶店、日本で初めてカフェーを名乗った竹川町(銀座六丁目)のカフェー・プランタン、続いてカフェー・ライオン、カフェー・プランタンと大正末期の風俗先端基地が姿を現わす。関東大震災前後は話題の女性、個人経営の店が銀座に現れた。安藤照(桂太郎の愛妾)のカフェー・ナショナル、原阿佐緒(女流歌人、科学者・石原純とのスキャンダルで有名)の蕭々園、山田順子(徳田秋声の愛人)の街の灯、ジュン・バーなど……。昭和に入ると関西系カフェーの東京進出が目立つ。京橋の畔の日輪に続き赤玉改め銀座会館は電気風車のネオンサイン、意表を衝いた仕掛けで東京人を瞠目させた。

やがて過剰なお色気攻勢に警視庁の取締りが厳しくなると、カフェーはサービスを控え、酒も出さず女給を置かない純喫茶に逃げ道を求めたが、相変わらずのサービスをする店は新興喫茶という名で延命する。しかし昭和十八年、国の国民必勝勤労対策により二十五歳未満の女性は勤労挺身隊として生産現場に送られることになり、銀座から女給の姿が消えた。 

このような記述を縦糸とすれば横糸はカフェーで展開された人間模様で、読者がその場に居合わせたようなリアル感がある。台湾喫茶店では公務を終えた軍服姿の森鴎外が次の会合までの時間にドイツ語の新聞を読みふけっている。カフェー・プランタンでは洋行帰りの永井荷風が硬派の文士、押川春浪に喧嘩を売られ逃げ惑った。タイガーでは須磨子という女給が注目を集めていた。広津和郎が彼女の半生記を聞き書きした小説「女給」が話題になったからだ。

近現代史の一コマも垣間見られる。昭和六年、山田順子の店にはプロレタリア文学の人気作家、小林多喜二が立ち寄った。彼の虐殺死はその二年後だ。昭和十一年二月、ランチェラやセレナーデには陸軍将校の野中四郎や栗原安秀の姿があった。密議の場所にしたらしい。二・二六事件前夜である。

本書でカフェーの情景描写などに引用されているのは石角春之助、松崎天民、安藤更生、今和次郎、高田保、新居格など都市観察者の文章で、背後にある彼らの卓越した才能や学識が感じられて興味深い。第二部の「銀座を彩った人々」とともにまことに読み応えがあり、深く心に残る本である。
この記事の中でご紹介した本
銀座カフェー興亡史/平凡社
銀座カフェー興亡史
著 者:野口 孝一
出版社:平凡社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年4月13日 新聞掲載(第3235号)
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