奥村晃作『鴇色の足』(1988) 一回のオシッコに甕一杯の水流す水洗便所恐ろし|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2018年4月24日

一回のオシッコに甕一杯の水流す水洗便所恐ろし
奥村晃作『鴇色の足』(1988)

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現代短歌には豆知識を五七五七七に落とし込んだようなものがたくさんあるのだが、単に落とし込んだだけでは歌としていいものにはなりにくい。豆知識に加えてちょっとひねりや独自解釈を加えているようなものが愛唱されている。「内側の輪の子を蹴った思い出のマイムマイムはイスラエルの曲」(松木秀『5メートルほどの果てしなさ』)なんて個人的には好例と思う。

それではこの掲出歌はどうかというと、「水洗便所は一回のオシッコを流すのに甕一杯の水を使う」という豆知識があって(それもまた本当なのかどうか怪しいが)、それに対する解釈のようなものは「恐ろし」の一言のみである。恐ろしいだけなのか。シンプルすぎる。そのシンプルさがこの歌人の個性でもある。

「この歌には社会的な深みがある」と考えたうえで深読みをしようと思えば、いくらでもできる。「こんなにたくさんの水を排泄のたびにいちいち使ってしまっていいのか」といったような環境保護思想が背景にあるとか。しかしオシッコに関する豆知識がどんと中心に据えられたことで、どうしてもユーモアを帯びてしまう。しかも感想が「恐ろし」のたった一言なので、その事実を前に純粋に圧倒されてしまっているだけという印象が出る。この歌に限らず、この作者の歌は社会的な意味付けをしようと思えばできるけれど、それを拒否して「ただこういう現象が目の前にある」とだけ捉えて読んだ方が面白くなるケースがまま見られる。
2018年4月20日 新聞掲載(第3236号)
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