シモーヌ・ヴェイユ 書評|稲葉 延子(水声社 )|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年4月28日

新側面を多角的に提示 
思想史的にその特徴を炙り出す

シモーヌ・ヴェイユ
著 者:稲葉 延子
出版社:水声社 
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シモーヌ・ヴェイユは、一九六〇年代に本格的な紹介が始まって以来、人気に陰りが出ることがない思想家だ。様々な方向性を持ち、矛盾の結節点を体現することが、多様な傾向の読者を引きつけてきた理由かもしれない。三四年という短い生涯、そしてまた、生前にはほとんど無名だったにもかかわらず、膨大な文章を残し、ユダヤ人でありながらキリスト教に接近し、ブルジョワ出身のエリートでありながら労働者として工場で働き、蒲柳の質でありながらアクティヴな政治活動に身を投じ、一途な性格ながら雑多な人々と交流を持つなど、その多面性は他に類を見ない。

評価の定まっている思想家の特集号を組むのは、雑誌にとってなかなか難しい。新資料が出てきたとか、新たな解釈の潮流が話題になっている場合はまだしも、そうでなければ、既視感が漂う誌面になりがちだ。多くの評伝や研究書がすでにあればなおさらである。「別冊水声通信」の「シモーヌ・ヴェイユ」は、気負った前書きもなく、装幀も抑制がきいていて、それがヴェイユになんとも似つかわしいが、内容はと言えば、新側面を多角的に提示する見事な特集号である。

構成はいたってシンプル、Ⅰがヴェイユの短い論考や断片の翻訳四本、Ⅱが、カミュ、バタイユ、レヴィナス、ブランショといった同時代人たちの論考やエッセイ、Ⅲ(これが本特集の主要部になる)が、現代の内外の研究者による考察となっている。ヴェイユと言えば、何よりも恩師アランとの関係、ギリシャ哲学やデカルト思想、神秘思想や独自なキリスト教、急進的で真摯な政治的考察が論じられることが多いのだが、本特集が清新な印象を与えるのは、ヴェイユをフランスの一九三〇年代、四〇年代の思想界全体の布置のうちに的確に位置づけた点にある。編者の名前は記されていないが、卓見であり、並々ならぬ手腕である。シモーヌ・ペトルマンの『祥伝 シモーヌ・ヴェイユ』をはじめとする伝記群によって、ヴェイユと同時代の作家、思想家との交流や関係は、もちろん、これまでも知られていた。しかし、今回、改めてマルロー、バタイユ、レヴィナスなどと並べることによって、単に文化・精神史的な観点からだけでなく、思想史的にもヴェイユの特徴が炙り出されたことはありがたい。本特集号に収録されたヴェイユ自身の短い論考も含め、カミュらのテクストは未訳のものばかりではないが、それぞれに附された詳細な解説(稲葉延子、西文子、鈴木順子、竹内修一、福島勲、井原木大祐、上田和彦)はいずれも、歴史的背景のみならず、現代の問題構成へと接続させる手さばきが秀抜である。このような補助線を引きつつヴェイユを読み解くことで、結果的に、従来のファンにとっても、これからヴェイユを発見する読者にとっても、新たな展望を開いてくれる、いわば「シモーヌ・ヴェイユ読本」とでも呼べる好論文集に仕上がっている。

このアプローチは、現代の研究者による論考にも当てはまる。全篇に詳しく触れる余裕はないが、個人的にはすべての論文から大きな刺激を受けた。ヴェイユのアメリカ滞在時におけるニグロ・スピリチュアルとの出会いを、ハーレム・ルネサンスと結びつけ、「奴隷」という主題を炙り出した大辻都。丸山真幸の「女が獣になるとき」は、バタイユという鏡を入れることで、形而上学的・精神的な問題系へと収斂しがちなヴェイユ読解を、伝記的・形而下的な方向へと引き戻そうとする果敢な試みだ。翻訳の問題に着目しつつバリバールの読解を紹介する大西雅一郎、モースやマリオンに通じる問題系である贈与を扱う岩野卓司とガブリエリ(伊原木詩乃)、カタストロフから戦争を捉える渡名喜庸哲、動物というトピックを差し出した有田英也など読み応えがある。そして、現在のヴェイユ研究を牽引する今村純子による、森達也監督の映画『A』のイメージとヴェイユの思想を衝突させる試みには、思想研究の枠組みを超える新たな可能性を垣間見る気がした。
この記事の中でご紹介した本
シモーヌ・ヴェイユ/水声社 
シモーヌ・ヴェイユ
著 者:稲葉 延子
出版社:水声社 
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年5月4日 新聞掲載(第3237号)
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