『美の日本 「もののあはれ」から「かわいい」まで』 書評|伊藤 氏貴(明治大学出版会)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2018年4月28日

「美しい日本の私」から「あいまいな日本の私」へ

『美の日本 「もののあはれ」から「かわいい」まで』
著 者:伊藤 氏貴
出版社:明治大学出版会
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いったい、日本は「美しい国」なのであろうか。

本書のタイトルは、極めて挑戦的で刺戟的なものに映る。個別具体的な日本の美を紹介し、これについて論じる書は数多く存在するが、本書の狙いはそこにはない。著者によれば「美が日本のアイデンティティの重要な部分を成す」ことが日本の美意識の一つ目の外的特徴であるが、それが真であるのかどうかが、全八章を通じて問われ続ける。この問題設定は、一歩間違えると日本美を独善的に捉えることになり、他の文化に対しても「抑圧と排他性を強めてしまう」ような、厄介な色合いを帯びたものに変質してしまう。その危険性を事前に排除するためにか、「美の日本」や「美しい国日本」を論じること自体が避けられる傾向もある。これに対し本書は、いわばタブーに挑むが如くに、日本を美と結びつけて称揚しようとする。もちろん慎重に言葉を選びつつ、一見負である要素も取り込み、西洋との図式的比較を回避しながらもその影響に目配りしながら、実に回りくどい形で、美と「日本らしさ」とを結びつけて論じて見せるのである。

ところで、「日本らしさ」なるものは存在するのであろうか。

「旧きものを失うことなしに新しきものを歓迎する」「不思議な天性」が、日本の美意識には認められると著者はいう。これは、美意識に限らず、日本論においてしばしば取り上げられる日本文化の総体的特徴でもある。仏教伝来の古代以来、近代以降は特に、日本は外国文化をうまく取り込んできた。我々は家の中に畳の間と洋間が並存していることを何の不思議とも感じていない。箸でご飯とともにエビフライやハンバーグを食べることもある。その定食には味噌汁が付くこともある。このような「重層性」を抜きにして、日本の文化について語ることはできない。しかし、このような「重層性」は容易に「あいまいさ」へと変奏されるであろう。

著者は「美は日本のアイデンティティを成す」ことと「重層性」という二つの日本美の外的特徴から、次に内的属性として、「不完全性の表現」「消極性の積極的受容」「主客未分」を抽出し、これらについて順に論じている。分析対象としては、サブタイトルにある「もののあはれ」から「かわいい」までの言葉を挙げ、岡倉天心、本居宣長、大西克礼、九鬼周造、四方田犬彦らの言説を、時に批判的に援用しつつ、鋭く日本美に迫っていく。その底流には、日本の二人のノーベル賞作家、川端康成と大江健三郎の受賞講演のタイトルである、「美しい日本の私」と「あいまいな日本の私」がある。

要するに、個別具体の日本美の審判ではなく、それらが日本固有の美なのかという問いの中で、「日本」なるものの全体像ないしは本質を示そうとするわけである。本書のタイトルが「日本の美」ではなく「美の日本」であることの戦略は明らかである。美学の概念を扱う書ではあるが、これは明らかに日本論の書である。そこには、かつての「美」なるアイデンティティを失いつつある日本という国の現状への、著者の複雑な思いが込められているものと想像される。

ただし、「美の日本」の姿は、本書を読み終えた今も、やや漠としている。日本美の属性に「不完全性」や「消極性の積極的受容」、および「主客未分」を見る著者の言説から判断するに、本書の美の分析もまた、「あいまいさ」が残ってしかるべきものなのかもしれない。
この記事の中でご紹介した本
『美の日本 「もののあはれ」から「かわいい」まで』/明治大学出版会
『美の日本 「もののあはれ」から「かわいい」まで』
著 者:伊藤 氏貴
出版社:明治大学出版会
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年5月4日 新聞掲載(第3237号)
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