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2018年5月15日

人民と国民のできちゃった結婚 
集団的自衛権と戦後民主主義

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北岡伸一と篠田英朗の対談には、第二次安倍政権の「リベラル」な政治思想が集約されている(「国際協調主義を阻むものは何か」『中央公論』5月)。『ほんとうの憲法』を参照しつつ、篠田の憲法論をまとめると次のようになる。

日本国憲法はGHQのアメリカ人による草案から翻訳された。そのため随所に英米法の影響が見られる。「国政は、国民(people)の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」という前文の文言は、リンカーンの演説「人民(people)の人民による人民のための政治」に由来している。「people=国民」と誤訳されたために、憲法学者はドイツ法学をもとに間違って解釈してきたが、本来は英米法の論理で解釈すべきなのだ。人民が「信託」をつうじて政府を形成するというのは、ジョン・ロックの社会契約論ではないか。また、前文はアメリカ人が主導した国連憲章と同じ文言を共有している。憲法9条の戦争放棄条項も不戦条約に由来しており、国際法の順守を宣言したものだ。日本国憲法は国際法の観点から解釈すべきであり、国連憲章で認められた集団的自衛権は、もちろん「合憲」だ。篠田は言う。「前文をしっかり読めば、平和国家・日本は国際法を順守して国際法秩序の中で平和を求めていくことが書いてあるとわかる」と。

第二次安倍政権のブレーンとして戦後70年談話を作成し、安保法制を推進した北岡伸一は、篠田の憲法解釈に次のように同意している。
「その点は私が二〇一五年に戦後七〇年談話の準備をした時も、いちばん強調したところです。とくに満州事変以降、日本は国際規範に正面から挑み、ことごとく踏みにじった。〔…〕その反省の上に立ち、これからは国際秩序を守る国として再生する、というのが憲法前文の土台にある精神です。〔…〕国連憲章にあることを忠実に実行するには、我々は実は軍事力をもたなければならないというのが、ロジカルな解釈です」

戦後70年談話で北岡は「安倍首相に『日本は侵略した』と言ってほしい」と発言し、保守知識人やネット右翼から批判されたが、国際秩序の順守という意味にほかならなかった。安保法制も「対米従属」と批判されたが、「対米自立」を意図したことがわかる。

日本国憲法は帝国議会における明治憲法の改正手続きによって制定された。そのため国民が直接的に支持を表明する国民投票の機会をもたなかった。たいして護憲派は世論調査をもって国民の支持表明の代わりとしてきた。しかし、過去70年の世論調査を分析した境家史郎によれば、国民はそれほど憲法を支持していないらしい(「世論調査から読み解く日本人の“移り気"な憲法観」『中央公論』5月)。たとえば、9条は制定当初から圧倒的多くの国民に支持されてきたという通説がある。「戦争放棄の条項を必要とするか?」という質問に70%ものひとが「必要」と答えた、毎日新聞の世論調査(1946年5月)がその根拠となっている。しかし、境家によれば、大卒者が回答者の4割を占めるなどサンプリングに問題があり、信頼できるデータではないという。

境家の分析をここで詳述できないが、支持・不支持以前の問題として、日本国民は憲法への意識が「低い」ようだ。その「低い」憲法意識が度重なる「解釈改憲」の「原因であるとともに結果でもある」。政府は9条の解釈を変更することで、自衛隊を発足させ、その活動範囲を海外にまで広げてきた。たいして有権者はこれら安保政策の転換をその都度追認し、現行憲法下で許されているとその都度解釈してきた。安保法制についても、この世論の傾向はかわらないという。改憲の動向は怪しくなってきたが、安倍政権の思惑どおりに事態はすすんでいる。

冷戦終結後の国際秩序を篠田は「新しい国際立憲主義」と呼んでいる。国際社会において国家は個人の生命や安全を保護することがもとめられ、そのためには人道的介入といった軍事行動も辞さないとされる。興味深いのは人道的介入を正当化するために、ロックの「革命権」=「抵抗権」が参照されることだ。

ロックの社会契約論において、人民の権利とは自己の生命をふくめた財産の所有権であり、その所有権を保護するために信託をつうじて政府権力を構成する。私有財産をもつジェントルマンを想定しているために自由主義的だが、必ずしも民主主義を前提としていない。すべての人民の同意さえあれば、君主制さえ認めている。しかし、政府が所有権を侵害することがあれば、人民は「天に訴える」ことができる。このような考えはアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に革命権として受け継がれた。しかし、いまや人民の革命権は国際社会――とりわけアメリカ――の軍事力が代行するわけだ。そして、日本もまた国際秩序に貢献せよ、というのが篠田の主張なのだ。しかし、基本的人権とともに市場経済をうながすもので、グローバリゼーションのイデオロギーであることは明らかだろう。

ロックは自由市場・最小国家を目指すリバタリアンにも影響を与えている。渡辺靖によれば、新自由主義を唱えた経済学者ミルトン・フリードマンの孫はGoogleで働きながら、「シーステッド」と呼ばれる洋上都市国家を計画しているそうだ(「人類を政治家から解放しよう」『中央公論』5月)。2020年までに南太平洋上に1億6700万ドルをかけて、300人分の住居やオフィスなどを建設し、自国から自由になりたい富裕層が移住する。洋上の移動も自由で、戦争地域を避けられるという。「人類を政治家から解放すること」を目指す彼の計画はロック的な革命権の行使だろう。力も金もない貧民はもはや革命権さえないらしい。そういえばロックの人民は私有財産をもつ人民だった。
「シーステッド」計画からうかがえるのは、自由主義と民主主義の両立へのあきらめだ。シュトレークによれば、第二次大戦後の数十年間、西側諸国では資本主義と民主主義の「できちゃった結婚」があったという(『資本主義はどう終わるのか』)。日本でいえば「戦後民主主義」にあたり、篠田が批判した「人民=people」を「国民=nation」と読みかえる憲法学が発展した時期だ。まさに「people=国民」として自由主義と民主主義が両立したかにみえたわけだ。

かつてブッシュ大統領が日本の占領政策を引き合いに出してイラクの民主化を語ったことがあった。日本国憲法もアメリカの革命権の代行で誕生したといえる。アメリカの軍事力を背景に、昭和天皇に裁可され、日本国民は基本的人権や市場経済を獲得した。しかし、「8月革命説」(宮沢俊義)という民主主義的な革命があったという神話が流布されたのは、やはり経済的な繁栄を享受したことで、自由主義と民主主義の齟齬が隠されたからだ。

トランプ大統領やブレクジットを例に出すまでもなく、「できちゃった結婚」は終わりつつある。たいして篠田は憲法を英米法的な解釈をし、ロック的な自由主義で国際秩序を修復しようとする。いっぽうで護憲派はあいかわらず「戦後民主主義」を標榜し、「天に訴える」ならぬ「天皇に訴える」。篠田も指摘するとおり、「天皇制への配慮」によって「people=国民」と翻訳された。「people=国民戦後民主主義」を手放さない護憲派がその象徴である天皇制にすがるのは当然だ。

だが、現行憲法の正統性を認める点で篠田も中途半端だ。篠田は「people=国民」を問題視するが、ならばいっそのこと「日本国民」を「日本人民」に変更する改憲案を出したらどうか。そうすれば、第1条から日本国憲法は崩壊する。「日本人民統合の象徴」では意味不明だからだ。たしかに君主制を認めたロックによれば、天皇制も許容範囲かもしれない。しかし、すべての人民の同意があったか。制定過程で沖縄人は代表を持たなかったし、日本国民と訳されたことで在日朝鮮人らは人権保障を失った。つまり、革命権の代行は、人民を選別し排除し、その力能を抑え込むことで成り立つ。「people=国民」は国際立憲主義が普遍性を欠くことの象徴なのだ。やはり真の人民の憲法が必要だろう。(わたの・けいた=批評家)
2018年5月11日 新聞掲載(第3238号)
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