高村光太郎論 書評|中村 稔(青土社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2018年5月12日

みずからの批評と評価による渾身の高村光太郎論

高村光太郎論
著 者:中村 稔
出版社:青土社
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高村光太郎論(中村 稔)青土社
高村光太郎論
中村 稔
青土社
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明治に生まれ、青春を大正に過ごし、戦前と戦後の昭和に壮年と晩年を分断された高村光太郎は、「道程」や「智恵子抄」の詩人であるが、銅像や木彫の造形作家である。

本著『高村光太郎論』は、高村光太郎の人生と藝術を七章に区分する。西欧体験から疾風怒濤期。『智恵子抄』と『猛獣篇』の時代。アジア太平洋戦争の時代から「自己流謫」七年。著者のスタンスは、戦中派がみた戦争詩を書く光太郎と戦後の詩集『典型』にみる「自己流謫」の詩人の落差から反照されたものである。

「高村光太郎が理想主義者であったことは間違いない」。理想主義者の高村光太郎について、トータルに語ることはやさしいことではない。光太郎のテキストに限りなく寄りそいながら、偶像化することも、神秘化することも、卑下することもない。テキストのなかに浮かぶ光太郎の形象する強い詩魂にきびしく寄りそい、異なるふたつの時代を自省するナラトロジーがある。西欧体験と日本的風土の軋轢のなかでの智恵子との生活があった。挫折と絶望を強いられた光太郎の理想主義は、ひとつの生きられた「離群性」である。光太郎には、近代日本に関する思想的な無防備があったといわれる。それは、智恵子の死以後、『記録』などの戦争詩を書きつつ、戦争の惨禍と敗戦による東北での「自己流謫」の生活に象徴された。しかし、著者は、光太郎の若き日の父との確執や北海道への思いなどを例に出しながら、戦争責任による自己流謫より、「日本の美の源泉」について書き、洛北鷹峯に書画、陶芸の芸術村をつくった本阿弥光悦を模す理想主義者の光太郎像を浮きぼらせる。「こうした吹雪になれば雪が吹きこむ小屋に高村光太郎は七年という歳月を過した」。山口村で書に親しみ、詩を書き、彫刻を希求し、アトリエを夢想する晩年の光太郎がいる。

そこには、戦中派がみた巨星の詩人にたいする反照された姿がある。「戦争礼讃、戦意鼓舞ないし昂揚する詩、これらを一括して戦争詩とよぶとすれば、高村光太郎はおびただしい戦争詩を書いた」。日本の近代にとって、高村光太郎の生涯と藝術は、あまりにも深い傷を刻印しているが、その深淵は普通の想像力では届かない宿命的なアポリアである。著者の読みは、近代日本が体験した大きな歴史的な事実を冷静なまなざしで語る。光太郎は、西欧体験(個人幻想の挫折)と智恵子との生活(対幻想の挫折)と戦争期から敗戦期の時代(共同幻想の挫折)を生きた。そこに、特筆すべき剥き出しの生の充実と絶望をみた。光太郎の全貌を実相のもとに書ききった本著こそ、ソネットによる抒情詩人であり、長年『智恵子抄』裁判に係わってきた著者が可能とした、抒情と論理をつむいだ詩人の評伝である。

社会とそこに群れる個を取り巻く環境が大きくカーブを切っている。事柄が表象化し、事件が線と線となって繋がらない。現代社会は断片的写像の群れであり、テクノロジーによる物象化のなかで、戦前や戦後の言説は矮小化されて、ますます人間の持続の遠近法から遠ざかり、空疎に鏡像を反復するばかりだ。

このような現代社会のなかで、「日本近代芸術」の「扉」を開いた「巨人」こそ、中村稔氏の描く高村光太郎の存在である。『高村光太郎論』には、全集のテキストと初出や手紙番号を詳細に記す「引用」による実証性が開示されている。「父との関係」「出さずにしまった手紙の一束」「智恵子の半生」のエッセイや、「わが詩をよみて人死に就けり」などの詩集から除かれた作品を詳細に読み、光太郎の声と身体に接近し、どのような歴史を光太郎が生きたかを客観的な視座によって論証した、みずからの批評と評価による渾身の高村光太郎論である。異なる時代への類推と同一性の自省が鏡像的批評となった、等身大の光太郎の事跡を直截性で描く葬送の歌である。
この記事の中でご紹介した本
高村光太郎論/青土社
高村光太郎論
著 者:中村 稔
出版社:青土社
以下のオンライン書店でご購入できます
2018年5月11日 新聞掲載(第3238号)
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