【横尾 忠則】寒山拾得的狂気と正気 生きながら見る走馬灯|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの内側 第263回
2016年10月28日

寒山拾得的狂気と正気 生きながら見る走馬灯

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2016.10.17
 モスクワで開催された個展でレクチャーをしてくれた平林さんが帰国して、展覧会のカタログやお土産を持って、その報告にやってきた。ぼくの作品を多角的に映像で見せながら語ったそーだ。すでにサンタナなどのLPジャケットでぼくの存在は知られていたそうだが、新作の絵画など初めて紹介するものもあって、笑いが飛び出して意外だったそうだ。

モスクワではすでに日本の現代美術展に「Y字路」作品など出品しているので初公開ではない。すでにデザイナー時代にも紹介されているので何らかの関心は持ってくれていたようだ。それにしても平林さんが撮って来たモスクワの街の暗いこと。赤の広場にもあまり人の姿がない。観光客といえば中国人のツアーが多かったそうだ。
2016.10.18
 国立新美術館で開催中のダリ展の会場で展示作品を鑑賞しながら質問に応じるというNHKテレビ「日曜美術館」に出演する。特に最晩年のエネルギーが消耗しているにもかかわらず描き続けた作品が面白かった。命との闘いがダリには珍しくごく自然に表われている。そんな中でも板貼りされた支持体に描かれた単色の作品は生成の過程なのか、描き上げた絵を消滅させる途上なのか、どちらともつかない曖昧な作品には未完の魅力があるが相変らず往年の筆力はまるで落書きのようだ。その力のなさがぼくにとっては魅力的に見えた。そんな消えそうな画面の中で唯一元気なのは「Dali」と書かれた黒い彼のピンと跳ね上った髭を思わせるようなサインのみが生命力を喚起させていた。
2016.10.19
 昨日、展覧会場で2時間立ちっぱなしの取材で足の底腱膜炎、または足底末梢神経症、またはモートン神経症と、骨折以来足底部分の肉球の違和感と、もうひとつ以前から定着している足の貨幣状湿疹の三ヶ所を玉川病院でそれぞれの科の主治医に診てもらう。

久し振りで会う中嶋院長は顔に表われていた拘りがなくなった、健康なりと太鼓判を押される。へえー、そうですかね。

昨日に続いて「日曜美術館」の取材をアトリエで。ポルトリガトのダリの家でダリとガラに会った時の話をさせられる。詳しくは拙著小説『ポルト・リガトの館』で全部書いているので、話は味けないものになってしまった。
多摩美術大学美術館にて峯村敏明さん(右)、高橋鮎生さん(中央)と 
(撮影・徳永明美)
2016.10.20
 多摩美術大学美術館へ。韓国の画家「柳根澤 召喚される絵画の全量」展を観たあと館長の峯村敏明さんとトーク。柳の描くことの至福が一体どこに呼び出されるのか。彼の中にぼくの近未来の予兆を見る。そしてすでに同じ道を歩んでいるが、やがて三差路の分岐点で二人は左右に別れるだろう。すでに別の道を歩み始めているかも知れない。そして峯村さんとの対話はジョルジュ・デ・キリコに及ぶ。キリコの「何を描くか」ではなく、「如何に描くか」でぼくはキリコに出会ったが、その先にあるのは、「如何に生きるか」なのである。
2016.10.21
 朝方ベッドボーンの上で寝ていたおでんが突然顔の上に落ちてきて、顔に爪を立てたが傷にならず。寝ボケおでんメ。

オイルマッサージに行く。施術する方もされる方も結構重労働なんです。

ボブ・ディランのノーベル賞には委員会もついに怒り始めた。だけどディランにしてみればきっとノーベル文学賞に不満を抱いているのではないか。彼が欲しいのはもっと人類的に貢献しているという自負から、個人的創作に焦点を当てられた文学賞ではなく、俺に与えるならノーベル平和賞だろうという気持が理解されていないことの不満じゃないの。この行き違いはきっとディランにとっては生涯苦悩の種になるはずだ。
2016.10.22
 架空の県の架空の都市の架空の市長より架空の功績に対する架空の表章をされるそんな夢も架空の夢なんだろうか。

以前に比べると、のんびり、ゆっくりと描くようになった。まあ作品を弄んでいるわけだがね。そんな環境には寒山拾得的狂気と正気がカスカスに漂っている。
2016.10.23
 山田さんとしばらく振りでそば屋で会う。山田さんの夢の構想に空想科学映画の発想がある。これが実現すればかなり面白い映画になる。物語は近未来だが、現実に起り得るかもしれない全人類の運命に関わる大変な悲劇であるが、同時に喜劇である。

東京新聞夕刊「この道」(自伝)が105日間やっと終った。80歳で80年間を振り返るチャンスを与えられた。死ぬ瞬間に見る走馬灯を生きながらに先に見てしまった。

2016年10月28日 新聞掲載(第3162号)
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