百枚のふたを抱へて去りゆくは長きまつげのをとこなるべし 石川美南『砂の降る教室』(2003)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2016年11月11日

百枚のふたを抱へて去りゆくは長きまつげのをとこなるべし
石川美南『砂の降る教室』(2003)

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この歌が入っている連作のタイトルは「(なべのふた泥棒に捧ぐ)」。冒頭にはこんな詞書(解説文)が付されている。「最近、奇妙な盗難事件が相次いでゐるといふ。」。鍋の蓋ばかりを盗むという奇妙な泥棒について描いた奇譚である。作者は「奇妙な味」の趣がある連作短歌を得意とする、現代短歌のストーリーテラー。海外の短編小説が好きな人になどは是非とも読んでほしい歌人だ。同じ歌集の連作では、茸たちの宴に誘われるという設定の「完全茸狩りマニュアル」なども楽しい。

泥棒はなぜ鍋の蓋だけを盗んでゆくのか、誰にもわからない。そして蓋を盗まれた後の鍋には、〈街中の鍋から蓋がなくなりて飛び出してくる蛇・うさぎ・象〉などという不思議で奇天烈な出来事が起こってゆくのだ。意図はまったくわからないけれど確かに退屈な日常を壊してくれている「なべのふた泥棒」を、「長きまつげのをとこ」となんだか魅力的な容貌を持った人物として想像してしまっている。これはもはや恋愛感情に近い。

神出鬼没の怪盗は、昔からフィクションに登場するヒーローの定番である。鮮やかな犯罪はときに大衆の心を惑わし、興奮させてくれるものだ。しかし短歌には痛快な怪盗なんてキャラクター造形はほとんど登場しない。リアリズムを重視しすぎる弊害の一つがここにもある。そんな中で珍しく不思議で楽しい怪盗像を提示してくれた「(なべのふた泥棒に捧ぐ)」は貴重な作品である。

2016年11月11日 新聞掲載(第3164号)
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