冬夜読書 2016年の収穫 41人へのアンケート|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 特集
2016年12月16日

冬夜読書 2016年の収穫
41人へのアンケート

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年末恒例のアンケート特集「2016年の収穫」(1~3面)をお届けします。今回もさまざまな分野の専門家、研究者、作家、編集者、ライター、書店の方などに、今年の収穫と思われる三冊を自由に選んでいただきました。今年もいろいろな出来事がありました。あのとき、この本。気になっていた一冊、見逃していた一冊がきっと見つかるはず。寒夜の読書をお愉しみください。 (編集部)


【2016年の収穫 執筆者一覧】
青木亮人(近現代俳句研究)/荒川洋治(現代詩作家)/上村忠男(思想史家)/江川純一(宗教学)/江南亜美子(書評家)/笈入建志(千駄木・往来堂書店)/角田光代(作家)/風間賢二(幻想文学研究家、翻訳家)/金原瑞人(翻訳家)/神藏美子(写真家)/栗原康(アナキズム研究)/越川芳明(アメリカ文学)/小林章夫(イギリス文学)/小松美彦(科学史・生命倫理学)/佐久間文子(文芸ジャーナリスト)/佐々木力(科学史)/佐藤洋二郎(作家)/澤田隆治(メディア・プロデューサー)/重信幸彦(民俗学者)/宍戸立夫(京都・三月書房)/柴野京子(出版流通論)/田中和生(文芸評論家)/谷藤悦史(政治学)/外岡秀俊(作家・ジャーナリスト)/豊﨑由美(書評家)/中村邦生(作家)/中森明夫(作家・評論家)/西山雅子(フリー編集者)/橋爪大三郎(社会学者)/東直子(歌人)/福井健太(書評家)/福間健二(詩人・映画監督)/藤田直哉(SF・文芸評論家)/堀千晶(仏文学者)/枡野浩一(歌人)/松永正訓(小児外科医・作家)/緑慎也(科学ライター)/ヤマダトモコ(マンガ評論家)/山本貴光(文筆家・ゲーム作家)/吉田裕(日本近現代史)/明石健五(本紙編集長)

■江川 純一

カルロ・ギンズブルグ『ミクロストリアと世界史』(上村忠男訳、みすず書房)は日本語版オリジナルのアンソロジー。宗教史学の立場からは、「ミクロストリアと歴史」における、ホッブズとヴィーコの一致点/相違点をめぐる分析が圧倒的に重要である。ヴィーコ~ペッタッツォーニ~デ・マルティーノ~ギンズブルグという系譜について再考する必要性を痛感した。

中野智世・前田更子・渡邊千秋・尾崎修治編著『近代ヨーロッパとキリスト教 カトリシズムの社会史』(勁草書房)は、カトリックと社会との相関を考察する際に必読の一冊。一九五〇年代のニューヨーク・ジャズ・シーンに直接触れた著者による、瀬川昌久『瀬川昌久自選著作集1954―2014 チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私』(河出書房新社)は、言葉に生命力が漲っている。特にクロード・ソーンヒルやギル・エヴァンスなどのビッグ・バンドについての記述に惹きつけられる。枕頭の書。(えがわ・じゅんいち氏=東京大学助教・宗教学宗教史学)
■佐々木 力

長堀祐造、石川禎浩ほか編訳『陳独秀文集』第1巻・第2巻(平凡社・東洋文庫)。「民主主義の永久革命家」にして、中国トロツキイ派の巨頭陳独秀の日本語著作集が全三巻で刊行される。最初の二巻が既刊。民主主義なくして社会主義は不可能だと終生訴えた革命家の貴重な文業の選集。

三浦伸夫『フィボナッチ アラビア数学から西洋中世数学へ』(現代数学社)。「筆算」に基づく計算を主体とする西洋中世数学の始原を刻印したピサのレオナルドについての堅実な数学史的研究。その源流は、古代ギリシャ数学だけではなく、アラビア数学にもあった。文化史、思想史の参考文献としても利用できるであろう。

村井章介『分裂から天下統一へ シリーズ日本中世史(4)』(岩波新書)。戦国時代から徳川政権成立までの日本史の概説書であるが、この時代の研究が最近急速に発展したこともあり、読みがいがある。鉄炮伝来の年を一五四二年としたり、秀吉の朝鮮侵略を「十六世紀末の大東亜戦争」と呼んだりと、記述には新鮮な叡知が溢れている。
(ささき・ちから氏=中部大学中部高等学術研究所特任教授・科学史・科学哲学)
■金原 瑞人

『わたしたちの猫』(ナナロク社)は文月悠光の第3詩集。迷い猫のわたしたち、嘘と少女と恋、傷と灰と片袖。今にも壊れそうな予感と裏合わせのしたたかな感性、そのバランスが絶妙。「起こしてしまわぬよう、今はただ/きれいな声であいさつがしたい。/君はわらって/そのからだごと、わたしを忘れる。/澄ましても、耳」

『少女ABCDEFGHIJKLMN』(河出書房新社)は詩と小説の質量が変わらない詩人・作家、最果タヒの短編集。どの短編も見事なほどに詩。「あ、口紅って持ってる? 非公式のがいいな。ロックかかってないから」「私は透明の口紅を握りしめた。キュっという音が、指先で鳴る」「今日はすこしだけ、変わったできごとが、校舎の床に落ちていた。生徒がひとり死んでいたのだ。」

三秋縋の『恋する寄生虫』(メディアワークス文庫)はほぼ完璧なラブストーリー。絶対に相容れないはずのふたりが、同種の寄生虫を体内に宿すことによってひかれあう。しかしそのままだとふたりとも死ぬしかない。まさに『アルジャーノンに花束を』的傑作。(かねはら・みずひと氏=法政大学社会学部教授・翻訳家)
■外岡 秀俊 

松原耕二『反骨』(朝日新聞出版)。保守本流だった翁長雄志・沖縄県知事が、なぜ政府に叛旗を翻したのか。その背景を翁長家三代に遡って解き明かす力作。基地に反対する「オール沖縄」の岩盤が、途方もない犠牲と歳月の上に造られたことがよくわかる。

唐澤平吉・南陀楼綾繁・林哲夫編『花森安治装釘集成』(みずのわ出版)。「暮しの手帖」を率いた花森は装丁家でもあった。文章は言葉の建築だから、本は釘でしっかり止めねばならない。だから彼は「装釘」と呼んだ。今は衰えつつある紙の本が、いかに堅牢で豊穣な文化をもたらしたのかを語る決定版。

高橋郁男『詩のオデュッセイア』(コールサック社)。ギルガメシュからディランまで、世界の詩の精華を四千年にわたって巡礼する書。どの頁にも、文化が熟成した芳醇な香りが匂い立つ。こんな本、なかった。(そとおか・ひでとし氏=作家・ジャーナリスト)
■吉田 裕 

波多野澄雄・茶谷誠一編『金原節三 陸軍省業務日誌摘録 前編』(現代史料出版)。陸軍省医事課に勤務していた金原の日誌だが、局長会報などの重要会議での生々しいやりとりを記録している。特に東条英機陸軍大臣の発言は、軍部研究にとって重要な意味を持つ。

西川恵『知られざる皇室外交』(角川新書)。明仁天皇礼讃本の一つだが、非政治的とされる皇室外交の持つ政治性を克明に明らかにしている点が興味を引く。宮中晩餐会におけるオランダの女王の手厳しい対日批判の歴史的背景をどれだけの日本人が理解しているのだろうか。

栗原俊雄『戦後補償裁判』(NHK出版新書)。空襲の被災者、シベリア抑留者など、日本人の戦争犠牲者が国に補償を求めたいくつもの裁判の全体像を明らかにした著作。日本人の補償問題と外国人戦争犠牲者の補償問題が連動していることを克明に論証している。(よしだ・ゆたか氏=一橋大学大学院教授・日本近現代史)
■笈入 健志 

アトゥール・ガワンデ『死すべき定め』(原井宏明訳、みすず書房)。医学が進歩した現代において、患者が望まない延命治療などにより、人間らしく死んでいくことがむしろ昔より困難になっているのではないか。私たちはいったいどのようにすれば最後の瞬間まで、自分が生きている今現在を最善のものとしようとする意志を失わずにいられるのだろうか。

森健『小倉昌男 祈りと経営』(小学館)。宅急便を立ち上げた名経営者。国の規制と戦う熱血漢。老害を避けて潔く引退後、私財を投じて福祉の充実に尽力。こうした彼の表の顔からだけでは見えてこない「個人的な事情」とは。光と影の両方を知ることで、生身の人間の生き様が浮かび上がる。

森川すいめい『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』(青土社)。精神科医が訪ねた、自殺者が少ない町の特徴とは? 人と人の「絆」の大切さが叫ばれることが多い近頃だが、本当の生きやすさの条件は少し違うようだ。(おいり・けんじ氏=往来堂書店店長)
■山本 貴光 

三宅陽一郎『人工知能のための哲学塾』(ビー・エヌ・エヌ新社)
エルネスト・グラッシ『形象の力 合理的言語の無力』(原研二訳、白水社)
「井筒俊彦全集」(全12巻・別巻、慶應義塾大学出版会)

「人工知能」という言葉を目にしない日のない一年でした。並みいる類書の中でもひときわ特異で重要な議論を提示しているのが三宅陽一郎さんの本です。ゲームAIのプログラマでもある三宅さんが、なぜ哲学を必要とするのか。科学と工学と哲学が交わるところで思考・試行されるアート(制作)の得難い記録。

先頃議論となった文系(人文学)不要論は、そもそも人文学と自然科学の営みそれぞれの性質を正しく区別せず、物事を目先の有用性で判断するために生じたものと睨んでおります。エルネスト・グラッシの『形象の力』をはじめとする学魔・高山宏プロデュースによる「異貌の人文学」の全冊は、いずれもこの問題を把握し、解きほぐすために必読の叢書。

スマートフォンやタブレットを通じて知やデータの断片が否応なく大量に耳目に入るこの時代。むしろ問題は、そうした知やデータをいかにマッピングして位置づけるかでありましょう。2013年に刊行が始まり今年堂々完結した「井筒俊彦全集」は、そうした知の捉え方を大きな広がりのなかで惜しげもなく見せてくれます。(やまもと・たかみつ氏=文筆家・ゲーム作家)
■栗原 康 

植本一子『かなわない』(タバブックス)。恋がしたい、セックスがしたい、結婚がしたい、子どもがほしい、遊びたい、仕事がしたい。どれかひとつじゃない、ぜんぶだ。結婚して子どもがいたからって、女性が仕事をあきらめる必要はないし、好きな男ができれば、じゃんじゃんセックスすればいい。本書は、それをあたりまえのようにやっていく植本一子の日記だ。マジですごい、かなわない。

原口剛『叫びの都市』(洛北出版)。都市にでると監視カメラにみはられて、安全・安心の大合唱。でも、それはビジネスマンや消費者にとっての安全でしかない。ホームレスやニート、貧乏人は不愉快だからといって排除される。ほんとうは街頭も公園も、だれのものでもないはずなのに。差別だ、支配だ、権力だ。こわせ、こわせ、ぶっこわせ。ちええっ、ちええっ!! アスファルトをひきはがし、金持ちどもにたたきつけろ。地に埋もれた暴動の記憶を、大阪・釜ヶ崎からひもといていく。はじめに叫びありき。名著だ。

不可視委員会『われわれの友へ』(夜光社)。字数がないので簡単に。統治はいらない。あらゆる権力を脱構成しよう。圧倒的にすぐれている。おすすめだ。(くりはら・やすし氏=アナキズム研究)
■堀 千晶

現代哲学は、マルクスという「爆弾」を一つの決定的分岐点とするが、哲学を一個の戦場とみなすルイ・アルチュセール『哲学においてマルクス主義者であること』(市田良彦訳、航思社)は、執筆から四〇年近くを経た現今の情勢下で、改めて読むべき「哲学とは何か」のマニフェストである。ジャン・ウリ『精神医学と制度精神療法』(三脇康生監訳、廣瀬浩司・原和之訳、春秋社)は、ラボルドという手さぐりの実験的な場のありようをとおして、極めて具体的な生の後姿を描きだす。「精神」とは、そうした具体性の周囲の其処此処に息づくものだろう。本は、いつの間にかとめどない連想のなかに、読者をさらっていく。砂連尾理『老人ホームで生まれた〈とつとつダンス〉――ダンスのような、介護のような』(晶文社)も、そんな一冊で、「言い淀んだり、もじもじしたり、揺れたり」が、ゆるやかにすっと立ちあがる現場に遭遇する、からだとこころの記録。(ほり・ちあき氏=仏文学者)
■神藏 美子

荒木経惟『センチメンタルな旅』(河出書房新社)。「私の場合ずーっと私写真になると思います。」序文の言葉が四十五年の歳月を経て成就されていることは驚きです。今は亡き妻陽子さんとの新婚旅行の私家版写真集の復刻。淡々とした一○八枚の写真の羅列がページをめくるごとに震撼するような無常観を教えてくれます。

森山大道・鈴木一誌『絶対平面都市』(月曜社)。「街は四六時中リアルな展覧会をやっているわけです。そして「複写しろ、複写しろ」というふうに世界はあるわけだから、複写せざるをえないのがぼくらカメラマンです。」森山大道の写真を知り尽くした鈴木一誌との対話。写真に関する森山さんの過去の言説を辿りつつさらに言葉を引き出していて痛快な対話です。

加藤陽子『戦争まで』(朝日出版社)。高校生と中学生を対象に講義という形で進められた本書はその内容の濃さに舌を巻きます。「過去の歴史を正確に描いたり学んだりしていれば、自然に自分の将来や未来をつくることにつながる。」加藤先生が歴史に向ける公平で徹底したまなざしに感動を覚えました。(かみくら・よしこ氏=写真家)
■荒川 洋治

『髙島野十郎 光と闇、魂の軌跡』(東京美術)は福岡・久留米生まれの孤高の画家、髙島野十郎(一八九〇―一九七五)の代表作を収録する画集だ。ろうそくの絵や、月の絵は強烈な印象を放つ。すもも、からすうりの絵もいい。美しい才能をもった人だ。川上弘美、川崎浹、井浦新らがエッセイを寄せる。

十返肇『「文壇」の崩壊』(坪内祐三編・講談社文芸文庫)は「戦後派」「第三の新人」に呼応し批評活動を展開した十返肇(一九一四―一九六三)の批評作品を精選。文壇に深く通じながらも、作家、作品へきびしい目を向ける。文壇崩壊の予兆を記し、今日の文学の姿かたちを見通す、重要な一冊である。

小松弘愛『眼のない手を合わせて』(花神社)は一九三四年生まれ、高知在住の詩家の新詩集。表題作など二五編で構成。新旧の文学作品と、日常の情景がふれあい、深みのある詩が生まれていく。(あらかわ・ようじ氏=現代詩作家)
■橋爪 大三郎

仲正昌樹『<ジャック・デリダ>入門講義』(作品社)。仲正氏の講義シリーズを初めて読んだが圧倒的で、感服した。全身全霊で読解し腑に落ちたことがらの本質だけを、あふれる情熱で巧みに語りかける。分析は精確で芸術的。原著よりずっとわかりやすい。

末木文美士『親鸞 主上臣下、法に背く』(ミネルヴァ書房)。シリーズ日本評伝選の一冊だ。親鸞は著作が多く残るわりに、伝記的事実があいまい。そこで末木氏は、唯円の二次資料『歎異抄』を避け、本人の著作『教行信証』(とりわけ証巻)に照準する。そうして取り出される親鸞の思索は、大胆で魅力的、しかも現代的だ。

加藤典洋の論文集『日の沈む国から』『世界をわからないものに育てること』『言葉の降る日』(いずれも岩波書店)。この三部作は、MRIのように、苦悶する時代のなかで患部を抱え、治癒するかわからないまま批評をつむぎ出していく、現場の多角的な断層撮影の如くである。つむがれる言葉の純度と強さに、いつも勇気づけられる。(はしづめ・だいさぶろう氏=社会学者)
■東 直子

山田航編著の『桜前線開架宣言』(左右社)は、「Born after 1970」という副題通り、一九七〇年以降に生まれた若い歌人四十人の短歌作品と解説が掲載されている。「時代への批評精神とロック・スピリットがあること」を条件に選ばれた、現代短歌の最先端なのである。

もとしたいづみ『レモンパイはメレンゲの彼方へ』(ホーム社発行、集英社発売)は、古今東西のさまざまな児童書に登場するおやつについて、作者の経験をからませながら描いたエッセイ集。どんなに時代が移り変わっても、永遠に変化しない童話の中の時間に閉じこめられた魅惑的な食べ物の数々。過去の時間ごと、お腹も胸もいっぱいになる。

没後百年に当たる今年、夏目漱石の関連書が多数出版された。中島国彦・長島裕子の『漱石の愛した絵はがき』(岩波書店)は、漱石が受け取った葉書に特化したユニークな切り口の一冊。一枚の絵はがきから、人情や趣向、生活の一端が、手触りを伴って伝わる。(ひがし・なおこ氏=歌人・作家)
■青木 亮人

『定本 三橋敏雄全句集』(風の花冠文庫)。戦前、「そらを撃ち野砲砲身あとずさる」の戦火想望句から出発した三橋敏雄の全句業を俯瞰する。最晩年の「一滴もこぼさぬ月の氷柱かな」等も収録。昭和新興俳句の矜持を平成年間まで抱き続けた三橋敏雄らしさを堪能できる。

池田澄子『思ってます』(ふらんす堂)。「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」等で知られる著者の第六句集。「島在れば舟ゆくあわれ春たけなわ」「朝市の蟹の余命に雪吹き込む」「夏果てのかもめよ其処は街ですよ」等、生死の影が棚引く日々を鮮やかに切り取る氏の矜持がすがすがしい。

髙柳克弘『寒林』(ふらんす堂)。『未踏』で田中裕明賞を受賞した若手俳人の第二句集。「次の子の怖気づきをる月の橋」「ぼーつとしてゐる女がブーツ履く間」「よろこびは過ぎつ花園に椅子一つ」等を収録。文学青年的、昭和俳句的、奇妙なこだわり等の多様な文脈が俳句作品に流れこみつつ、氏の文学観が披瀝されている。(あおき・まこと氏=近現代俳句研究者)
■田中 和生

三・一一の震災後、文学について語る言葉がぐらぐら揺れていると感じるが、そうした感覚に定点をあたえてくれるのが、室井光広『わらしべ集』(深夜叢書社)だ。デビュー以来の単行本未収録だった散文を主に収めるが、震災前から震災後まで世界文学としての日本語による文学という視点が一貫している。加藤宗哉『吉行淳之介 抽象の閃き』(慶應義塾大学出版会)は、女性や性的なものを描いたと語られてきた作家の文章に注目し、稀有な文章家として新しい作家像を提示している。没後二十年以上経ち、再評価のきっかけとなるのではないか。最後に「戦後日本」の秘密を解明した、矢部宏治『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(集英社インターナショナル)が必読。朝鮮戦争が終結していないので、アメリカ合衆国との密約によって戦争が起きれば自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入り、アメリカが日本全土を基地化できるという状態だという指摘は衝撃的だった。(たなか・かずお氏=文芸評論家)
■藤田 直哉

クレア・ビショップ『人工地獄』(大森俊克訳、フィルムアート社)

戸田山和久『恐怖の哲学 ホラーで人間を読む』(NHK出版新書)

本間龍『原発プロパガンダ』(岩波新書)

三作に共通点は特にない。『人工地獄』は、昨今流行の、参加型アートや地域アートを理解するための重要な一作。歴史的な検討と、豊富な事例紹介と、理論がバランスよく配合されている。「政治と芸術」の関係が再編成されている今、狭義のアート以外の分野の人間でも読むと益がある。『恐怖の哲学』は、ホラーが何故面白いのかという問題に、認知科学や神経科学でアップデートされた哲学で挑む。同時代の科学的知見を参照して哲学を更新せんとする試みが、同時に画期的な映画論にもなっている驚きの書物。文体が平易なのも良い。『原発プロパガンダ』は、博報堂に務めていた著者が語る、原発と報道と広告代理店の仕組みの話である。メディアに現実を構築されてしまう生き物であるぼくら人間が、原発を考える際に絶対に必要になるのは、原発を取り巻く政治・経済的な権力の作動がメディアや表象に与える効果の検討である。実に勇気ある一作だ。(ふじた・なおや氏=SF・文芸評論家)
■佐藤 洋二郎

中村稔『萩原朔太郎論』(青土社)。近年旺盛な執筆活動を続けてきたこの詩人の文体は、落ち着いていて洞察力があるので、読んでいてためになる。本書は朔太郎の詩論及び評伝。著者の彼に対する思いや愛着が滲み出ていているが、距離がとれていて客観的なので、逆に朔太郎の輪郭がはっきりと浮かんでくる。 

加藤宗哉『吉行淳之介』(慶應義塾大学出版会)。吉行が亡くなって十二年。「第三の新人たち」の多くも鬼籍に入り、彼らが活躍した昭和も遠くなった。その吉行の作家論に比重をおいたものだ。生前人気のあった彼の作品の底流に流れる、ものや女性の見方がよくわかる好著。 

近藤洋太『辻井喬と堤清二』(思潮社)。学生時代のマルクス主義を受容していく過程、父の堤康次郎との葛藤を通して、詩人として立ち上がっていく辻井の作品と生涯を描いた評伝だが、詩人同士として近くにいた著者の心情もよく描かれた辻井喬論。(さとう・ようじろう氏=作家)
■柴野 京子

石橋毅史『まっ直ぐに本を売る』(苦楽堂)。取次の再編やアマゾン問題など、出版流通がクローズアップされた一年。多数の関連書が出た中で、トランスビューの販売方式について書かれた、文字通り直球の一冊。潔く専門的な解説に舵を切り、本をなりわいとする方法の一つの原理に迫る。

アレックス・ジョンソン『世界の不思議な図書館』(北川玲訳、創元社)一七世紀の旅行用ライブラリーから冷蔵庫図書館、電子図書館列車まで、世界のユニークな図書館を集めた本。写真も楽しいが、本が提供されうる可能性に偏見なくリーチするレポートが素晴らしい。図書館は、本とそれを使う人によってつくられる。

吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)。既刊『大学とは何か』(岩波新書)と併せ、価値軸を創造する文系の知の基盤を肩代わりしてきた日本の近代出版自身が、そうしたパースペクティブを失いかけていることへの警鐘として。(しばの・きょうこ氏=上智大学准教授・出版流通論)
■枡野 浩一

漫画家の古泉智浩さんと本について話すネットラジオ「本と雑談ラジオ」をやっていて、面白かった本は随時そこでも紹介しています。

中沢健『初恋芸人』(小学館ガガガ文庫)はNHK(BSプレミアム)でのドラマ化を機に文庫化されたが、加筆された部分も見事。童貞という存在によいところがあるとしたら、それがすべて書かれている。普遍的青春小説。

内田かずひろの新刊『ロダンのココロ いろはのきもちクリニック』(日本文芸社)は朝日新聞で連載されていた犬漫画「ロダン~」の続編も含まれているが、メンタルの問題を笑いとばす文章によるエッセイたちが秀逸。思いだすだけでまた笑いがこみあげてくる。

小谷野敦『文章読本X』(中央公論新社)は余談が楽しいため、一見とりとめのない読み物のようだけれど、過去の「文章読本」たちを大きく振り返り、これまでだれも言わなかった意見を打ち出した画期的な一冊。詩歌のつくり手も読んで、躓くといいと思います。(ますの・こういち氏=歌人、「枡野書店」店主)
■豊﨑 由美

二○一六年の翻訳小説界も豊饒の海。泣く泣く絞っての三作なので、紛うことなき傑作揃いと思し召せ。アンソニー・ドーア『すべての見えない光』(藤井光訳、新潮社)は一九四四年、ドイツ軍支配下にあったフランスの港町を襲ったアメリカ軍の空爆によって、身動きのとれなくなった少年と少女を主人公に、時代の荒波に翻弄された人々の姿を詩情豊かな散文で浮かび上がらせる長篇小説。一方、中篇小説といってもいい短さなのに、深い深い読み心地を約束するのが閻連科の『年月日』(谷川毅訳、白水社)だ。大日照りで誰もいなくなった村に、愛犬だけを相棒に一人残り、一本のトウモロコシの苗を守ろうとする老人のガッツに胸が熱くなる上、犬バカなら涙腺決壊必至。ゴミの山の真ん中に建つ巨大な館を舞台に、奇妙な一族の奇想天外な物語になっているエドワード・ケアリーの『堆塵館』(古屋美登里訳、東京創元社)は、子供から大人まで楽しめること請け合いだ。(とよざき・ゆみ氏=書評家)
■中森 明夫

(1)川村元気『四月になれば彼女は』(文藝春秋)――大ヒット映画『君の名は。』の敏腕プロデューサーの最新小説。若き日の恋愛の輝きと、歳を経た現在の恋愛感情の消滅を描いて、鮮烈 これは2010年代の完璧な大人の(反)恋愛小説だ。川村元気は物語の世界で新たな地平を切り開いた。傑作!

(2)古市憲寿『古市くん、社会学を学び直しなさい!』(光文社新書)――時代の龍児ともなった若き社会学者が小熊英二・上野千鶴子・宮台真司ら社会学オールスターズの大先輩たちにお説教を食らう? いやいや、と見せかけて先達の英知を借りたこれはしたたかな未来透視図だ。古市くん、恐るべし!

(3)新木正人『天使の誘惑』(論創社)――川村元気・古市憲寿・新木正人の並びこそが批評 60年代末「遠くまで行くんだ…」同人、保田與重郎から黛ジュン、中森明菜へ、団塊浪曼派の伝説の著者唯一で最後の評論集(今春死去)。小田光雄氏の巻末文が泣かせる。(なかもり・あきお氏=作家・評論家)
■角田 光代

(1)アンソニー・ドーア『すべての見えない光』(藤井光訳、新潮社)
(2)長嶋有『三の隣は五号室』(中央公論新社)
(3)塩田武士『罪の声』(講談社)

(1)パリの博物館に勤める父親と暮らす、視力を失った少女。孤児院で育ち、ずば抜けた工学の才能を持ちながら、ナチスドイツの技術兵となる少年。それぞれの視点で物語は紡がれる。驚くほど緻密で繊細なのに、頑強で壮大な物語が立ち上がる。二人の束の間の出会いを描く筆致のさりげなさに震えた。(2)人の暮らしの、本当に些末なことを積み上げて、この小説もまた重層な世界を描き出して提示する。高度成長期からバブル期、バブル崩壊から不況時代へ、大きな事件と災害を被りながら今へと続く時代を、日々を生きる「人の目」から描き出した小説だ。ひとりの人の目がとらえる些末さは、ひとりを超えて時代を生きる「人」を、その不変さをも見せる。(3)「グリコ・森永事件」をモチーフにしたフィクションで、ものすごい力を持った小説。ごつごつして読みづらい点もあるのに、小説の力が読みやめることを許さない。過去に点在する、膨大な事実を、小説がみごとに飲みこんだ作品だと思う。(かくた・みつよ氏=作家)
■江南 亜美子

二月に急逝した津島佑子『ジャッカ・ドフニ』(集英社)は彼女のテーマの重要性と達成を改めて読者に示す。現代を生きる私たちにアイヌのルーツを持ち、キリシタンとして流浪した一七世紀の少女は遠い存在だが、本作には普遍性がある。迫害の痛ましい歴史、少数者の声。排外主義に傾いた日本に必要な物語だ。

J・M・クッツェー『イエスの幼子時代』(鴻巣友季子訳、早川書房)は、過去の記憶から分断された宙吊り状態(仮の安寧)で人は生きていけるかと問う。寓話的な語りは霧の中を進むような不確実性が独特の味わい。人間の尊厳とは。続編が気になる。

河出書房新社の日本文学全集には古典を再発見する現代語訳が多々収録されたが、なかでも『日本語のために』と題された巻は出色。古代の祝詞から終戦の詔書まで(前者は池澤夏樹訳、後者は高橋源一郎訳)、さらに般若心経(伊藤比呂美訳)など宗教の言葉も紐解く。日本語自体を考える際のよすがに。(えなみ・あみこ氏=書評家)
■佐久間 文子

塩田武士『罪の声』(講談社)。グリコ森永事件が起きたときまだ子供だった作家が、犯罪に使われた声の子供は自分と同世代だと気づいたとき、この小説のアイデアが胚胎した。未解決に終わった事件を洗い直し、虚構の中で再現するオーソドックスな手法と、なぜいまこれを書くのかという作品を貫く問題意識がみごとに融合している。

角幡唯介『漂流』(新潮社)。作家であり探検家である著者が、初めて、自身の探検ではない題材をノンフィクションとして世に問うた作品。奇跡の生還を果たしたのち、海に消えた男の生涯を、彼を育んだ海洋文化の中でスケール大きく描き出し、めちゃくちゃ面白い。

潮田登久子『みすず書房旧社屋』(幻戯書房)。戦後に生まれ、いまも続く出版社の社屋を写した写真集が、こんな美しい形で(よその出版社から)出るとは。類書のない、人から驚かれてこそ出版だと思うし、活路があるはず。潮田氏の「本の景色/BIBLIO THE CAシリーズ」、残りの二作もまとまってほしい。(さくま・あやこ氏=文芸ジャーナリスト)
■風間 賢二

1 エドワード・ケアリー『堆塵館』(古屋美登里訳、東京創元社)
2 ジュリアン・バーンズ『アーサーとジョージ』(真野泰・山崎暁子訳、中央公論新社)
3 リチャード・バーネット『描かれた病 疾病および芸術としての医学挿画』(中里京子訳、河出書房新社)

一口にファンタジーと言っても、ぼくが好むその手の作品は、『ハリー・ポッター』や『指輪物語』のようなものではなく、いわゆるダーク・ファンタジー、ゴシック・ファンタジーと称される類のものだ。ズバリ、マーヴィン・ピーク『ゴーメンガースト』がマイ・ベスト。であるからして、1の長編には大感激。まさに二十一世紀版『ゴーメンガースト』なのだ。十九世紀ロンドン郊外に果てしなく広がるゴミ捨て場に建てられた、文字通りのゴミ屋敷(ピラネージの「幻想の牢獄」シリーズを彷彿とさせる大迷宮邸宅)に住まう奇人・変人・怪人の一族の奇想天外なトンデモ話に、久方ぶりに物語の“狂宴”を堪能した。2は、傑作『フロベールの鸚鵡』の鬼才らしく仕掛け満載でコナン・ドイルが関わった実際の冤罪事件が語られるノンフィクション・ノベル。3は、まじめなメディカル・アート本だが、性病に関する写真登場以前の挿絵が当方の悪趣味グロテスク感覚を心地よく刺激してくれた。(かざま・けんじ氏=幻想文学研究家・翻訳家)
■上村 忠男

(1)市田良彦・王寺賢太編『現代思想と政治――資本主義・精神分析・哲学』(以凡社)。わたし自身は時期を同じくしながらも、本書で主題となっている「現代思想」からも「政治」からもいささか外れた場所に身を置いたところで〈政治的なもの〉について考えてきた。しかし、そのわたしにとっても示唆に富む論考が並んでいる。

(2)遠藤知巳『情念・感情・顔――「コミュニケーション」のメタヒストリー』(以文社)。「内部にある/である」ことをめぐる十六世紀から十九世紀にかけての西欧の観察的思考は見た目の平明さの背後で〈近代〉が抱えこんできた恐るべき深度に通じているとの見通しに立ったところからの、浩瀚な社会思想史的考察。なかでも、記号・特徴・人格といった多義性をもつ「キャラクター」の概念にかんする第七―九章の論述が目を惹いた。

(3)デイヴィッド・ルイス『世界の複数性について』(出口康夫監訳、佐金武・小山虎・海田大輔・山口尚訳、名古屋大学出版会)。ひさしく邦訳が待たれていた様相実在論者の可能世界論。ただ、立ち入った分析があってもよかったはずのライプニッツについてまったく触れられていないのはなぜなのか。その点についての弁解めいた述言が序文に見えるものの、不可解というほかない。(うえむら・ただお氏=思想史家)
■小林 章夫

「選択」編集部編『日本の聖域 ザ・タブー』(新潮文庫)はシリーズものだが、今回文庫で出版されたものも相変わらず激烈。日本の甘いジャーナリズムに毒を降り注ぐ苛烈な書物。難点は、これを読むと売れ行き不振の新聞・雑誌からますます遠ざかること。でも若い世代は新聞と聞いて、なにのことやらわからないのだから嘆いても仕方なし。大黒岳彦『情報社会の<哲学> グーグル・ビッグデータ・人工知能』(勁草書房)はほとんど毎日目にする言葉をつなぐ本質的な哲学を見事に明かしたもので、私などはこの方面に弱いから大いに助かる。難点はタイトルの長さとやや硬い文章か。でも内容が難しいものだから、これは致し方のないことか。佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』(小学館)も痛快にして毒のある本。難点は著者の優しそうな名前。でもこれは仕方がない。(こばやし・あきお氏=上智大学名誉教授・イギリス文学)
■谷藤 悦史

昨年から今年にかけて、世界の潮流が変化していることを実感させる出来事が頻発した。新自由主義の政治経済、グローバリゼーションが、多くの国々で格差を拡大して対立と紛争を生み、その混乱から逃れる移民の拡大などを生んだ。

これらを考える上で、E・トッドは示唆的である。エマニュエル・トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』(堀茂樹訳、文春新書)は、表題が内容を的確に示していないが、グローバリゼーションと国家を考える好著であった。

表層的な移民排斥論が多い中、パニコス・パナイー『近現代イギリス移民の歴史』(浜井祐三子・溝上宏美訳、人文書院)は、移民の歴史を丁寧に追いかけ考察している。こうした冷静な視座が広がることが望まれる。

日本もこれらの問題に無縁ではない。吉川洋『人口と日本経済』(中公新書)は、少子高齢化からくる悲観論を脱する必要性を経済学的に問いかける。小さな著作だが、日本の明日を構想する一助となろう。(たにふじ・えつし氏=早稲田大学教授・政治学)
■緑 慎也

ジェリー・カプラン『人間さまお断り』(安原和見訳、三省堂)。人間はいずれAI(人工知能)に支配される。その支配は密かに進み、人間はAIに喜んで奉仕する。こんな暗い未来像を冷静に描き出し、対応策を示している点で、鼻息の荒い類書と一線を画す。

矢部宏治『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(集英社インターナショナル)。日本の占領体制は続いているどころか、朝鮮戦争を機に米軍の戦時体制に自衛隊が組みこまれ、それが今もそのままである実態を解明。複雑に入り組んだ条約文書、密約文書を図解、箇条書きを駆使して整理するその鮮やかさに舌を巻いた。

中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書)。著者は生物学者。主張は題名通り。が、結論に至る過程がミステリアスで、エピソードの一つ一つが面白い。語り口も味わい深い。科学ライターの立つ瀬がない。(みどり・しんや氏=科学ライター)
■松永 正訓

今年もノンフィクションばかりを読んだ。例年に比べて古本を多く買ったが、もちろん新刊本にも収穫はたくさんあった。「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ著・野澤和弘編著『障害者のリアル×東大生のリアル』(ぶどう社)は、障害者を綴った本ではなく東大生が自身を表現した本だった。才能ある若人の瑞々しい感性が迸る好著だ。『現代思想10月号・相模原障害者殺傷事件』(青土社)は、相模原事件を27名の論者が分析・批評した重厚な一冊だ。戦後最悪の本事件は被害者数が多かったことだけにとどまらず、犯人の動機にはっきりと優生思想が刻まれていることが特徴である。言論人はこの事件について語ることを止めてはいけないと思う。オリヴァー・サックス『道程 オリヴァー・サックス自伝』(大田直子訳、早川書房)は、サックスのダイナミックな自伝である。2015年の訃報に接した時には大きな喪失感を味わったが、本書で彼に再会できて安堵した。本は永遠に残る。それがいい。(まつなが・ただし氏=小児外科医・作家)
■宍戸 立夫

いしいひさいち『ののちゃん全集10』(徳間書店)。ネットと地デジで間に合うから、新聞の購読を全部止めたが、「ののちゃん」が読めなくなったのだけが寂しい。新聞業界は販売と広告の減収に加えて、記者クラブ、訪問販売、押紙、折込水増し、再販制、特殊指定、軽減税率、行政広報など多数の疑惑や弱みを抱え、出版業界以上にお先真っ暗のようだ。

鵜飼秀徳『無葬社会』(日経BP社)。『寺院消滅』の続編。寺は救いを求めて来たあらゆる人が等しく利用できる共同設備として開放されているのが本来であり、ホームレスの方々の雨宿りすら許さずに閉め出しているような寺の非課税特権は剥奪してもよいのでは。

高島敏夫『白川文字学の原点に還る』(朋友書店)。白川静の学統を受け継ぎ、乗り越えんとしている唯一の弟子の二冊目の著書。前著は学界からは無視されたようだが、師同様九十代まで頑張って、学界が根負けして認めざるをえないような業績を重ねてほしい。(ししど・たつお氏=京都・三月書房店主)
■澤田 隆治

飯田豊『テレビが見世物だったころ 初期テレビジョンの考古学』(青弓社)。テレビの誕生は高柳健次郎博士の実験のおかげと感謝しつつテレビ番組づくりに励んでいた私に、同時期にアマチュア無線の研究家や早稲田大学の研究があったことを教えてくれたびっくりポンの書。

和田尚久編『森卓也のコラム・クロニクル 1979―2009』(トランスビュー)。名古屋のお笑い大好き映画評論家が、中日新聞に週2回書いていたコラムである。どこを読んでもおもしろく勉強になるコラムを今読む残念さはあるが、亡くなったバイプレイヤーやお笑い系のスターへの追悼記がうれしい。

村田沙耶香『コンビニ人間』(文藝春秋)。いつもお世話になっているのに知らなかったコンビニの仕組や、コンビニ人間の生態の生き生きとした描写にかなり笑わしてもらった。『火花』は重苦しかったのにね。(さわだ・たかはる氏=メディア・プロデューサー)
■中村 邦生

『パット・ホビー物語』F・スコット・フィッツジェラルド(井伊順彦・今村楯夫他訳、風濤社)。一九三〇年代末、かつての栄光を失い貧窮と挫折感に喘いでいた最晩年のフィッツジェラルドが、起死回生の思いを託して書いた短編連作。本邦初訳を多く含む。作者を投影したハリウッドの売れない脚本家パット・ホビーは怠惰なくせに、プライドだけは高い中年男。そのちぐはぐで滑稽なサバイバル物語に、映画産業の裏面も覗く。苦みもしっかりまぶした巧みなヒューマン・コメディである。
『漱石追想』十川信介編(岩波文庫)。同文庫で出た『漱石紀行文集』(藤井淑禎編)も、あえて「紀行文」という枠で見た場合に浮かび上がる観察的文体の魅力を再認識させる好企画であったが、本書もまた四九人の人々の多岐にわたる回想を通じて人間漱石を描き出す興趣に富んだ一書。回想は友人、教え子、同僚、家族のみならず、主治医、植木屋、お手伝いの女性にいたるまで含む。朝食はパンと紅茶で済ましたという小さな逸話でさえ妙に感心してしまう。
『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』マイケル・タウシグ(金子遊・井上里・水野友美子訳、水声社)。「叢書・人類学の転回」はいずれも人類学の新たな局面を刺戟的に提示するが、本書はゴンゾー(「独断と誇張にみちた報道」が原意)人類学と呼ばれるのにふさわしく、事象への客観的記述と虚構的な語りの混淆が清新な魅力を放ち、読みながらたびたび身体にざわつきを覚えるような愉悦をいだいた。なお、訳者の一人である金子遊の『異郷の文学』(アーツアンドクラフツ)は、副題に「小説の舞台を歩く」とある通り、永井荷風や中島敦など七作家の土地の想像力をフィールドワークした楽しい一書。特に川崎長太郎の章を面白く読んだ。(なかむら・くにお氏=作家)
■ヤマダトモコ

(1)雲田はるこ『昭和元禄落語心中』講談社
(2)おざわゆき『傘寿まり子』講談社
(3)高山繭著、キャンディス・キャンプ原作『別れの日まで 永遠のウエディングベルⅠ』ハーパーコリンズ・ジャパン

老いを考えるマンガは年々増えているが、年を取ることを肯定的に描かれた女性向けのマンガは比較的少なかったと思う。紹介の三作はそれに該当する。『昭和元禄落語心中』は10巻で堂々完結。主人公の一人・八雲が老衰で死ぬのだが、なんというかめでたい感じすらする死の描写がいいのだ。残された弟子・与太郎が中年から壮年まで年齢を重ねるところも一冊で一気に描かれるが、少し恰幅のよくなった描写も含め素晴らしかった。『傘寿まり子』は、老いては子に従いといった常識も何のその、颯爽と独立し、マン喫に連泊したりしちゃう80歳女子。『別れの日まで』は、終戦後、弁護士になる妻を支える夫との出会いを描く。二人がいい感じに年をとったところから始まり、老いた姿が結構登場するのがハーレクインコミックスには珍しい。弁護士というイメージからは遠く、主人公クレアの老いた姿が、丸っこくてかわいいのがよい。レーベルを変更した再販で出会った。(やまだ・ともこ氏=マンガ評論家)
■西山 雅子

文月悠光『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)。中原中也賞最年少受賞詩人が世間に求められる「詩人キャラ」に抗い、臆病な生の自分を臆せず綴った初エッセイ。「セクハラ発言を軽くあしらうことができてこそ、一人前の大人の女性なのではないか」などなど「女の子」以上「大人の女性」未満の不器用な自分へのツッコミが、とうに大人の四〇女にも刺さる、刺さる…。

斉藤倫『せなか町から、ずっと』(福音館書店)。風にぴくりともしないカーテン、名前を落とした子ども、空色と水色のはざまに何百年も漂う巨大なえいの背中にできた「せなか町」で起こる七つの短編ファンタジー。自分の体でありながら決して自分で見ることができない背中のように、どれも矛盾をはらんだ不可思議な魅力が漂う。

陣崎草子・作/萩岩睦美・絵『桜の子』(文研出版)。その昔、川の氾濫を鎮めるため人身御供となった娘「桜の子」を巡るふたりの少女の友情物語。いじめなど現代的なテーマと千年の桜に宿る幻が交錯するスケール感もさることながら「着物の帯をぱーっとすべらせたような(川の)流れ」といった何気ないくだりの映像的な描写の美にはっとする。歌人でもある著者ならではの児童文学。(にしやま・まさこ氏=フリー編集者)
■福井 健太

ナチスドイツが一億冊の本を発禁・焚書にした第二次大戦中、アメリカでは一億四千万冊の本が兵士に送られていた。モリー・グプティル・マニング『戦地の図書館』(松尾恭子訳、東京創元社)は、ペーパーバック「兵隊文庫」の誕生と受容の歴史を通じて、ユニークな角度から人間と書物の関係を描くノンフィクションだ。ジャック・ヴァンス『宇宙探偵マグナス・リドルフ』(浅倉久志・酒井昭伸訳、国書刊行会)は、狡猾な老紳士が異星人のトラブルを処理するユーモラスなSFミステリ連作集。レーモン・クノー『文体練習』の手法、スタニスワフ・レム『完全な真空』の視点、本格ミステリの定型などを融合させた法月綸太郎『挑戦者たち』(新潮社)では、工夫を凝らした「読者への挑戦状」のバリエーションが愉しめる。ジャンル小説と実験文学を交差させ、ナンセンスな軽い読み物に仕上げたスタンスも評価したい。(ふくい・けんた氏=書評家)
■越川 芳明

先頃、トランプがアメリカ大統領選に勝って、民主主義の国の平等の「理想」が揺るぎそうな気配だが、こういう時こそ文学の反撃が必要かもしれない。スーザン・ソンタグ『イン・アメリカ』(木幡和枝訳、河出書房新社)は、19世紀後半のポーランドとアメリカが舞台。もともとはポーランドの貧しい家に生まれたが、階級の壁を乗り越えて大女優になった主人公の生き方に託して、著者は貧しい移民や女性たちにとって理想の避難所であった「アメリカ」を現代の読者に思い出させる。カート・ヴォネガットもソンタグと同様、つねに体制批判を忘れなかった作家だが、『これで駄目なら』(円城塔訳、飛鳥新社)は、いろいろな大学の卒業式で、ヴォネガットが行なった記念演説集だ。グロテスクな戦争体験を経てヴォネガットが出した結論は、人類は「不実で、信頼できず、嘘つきで、貪欲な動物」というもの。反戦ユーモア作家の面目躍如たる作品だ。つい先日、キューバ革命の大立て者、カストロが亡くなったばかりが、海堂尊の『ポーラースター ゲバラ覚醒』(文藝春秋)は、もうひとりの革命ヒーローだったチェ・ゲバラを扱う。たんなる反米主義というより、「汎ラテンアメリカ主義」による「国境なき南米大陸」の実現という壮大な夢の道へと突き進んでいくゲバラの青春の姿を仮想現実のSF小説で描く傑作。(こしかわ・よしあき氏=明治大学教授・アメリカ文学)
■小松 美彦

金森修編著『昭和後期の科学思想史』(勁草書房)。本年五月に他界した同編者の『昭和前期の科学思想史』につづく大著。金森を含めて七人の著者が、武谷三男、柴谷篤弘、下村寅太郎、廣重徹、坂本賢三、およびまた、脳死・臓器移植、原爆文学を扱う。各章にはそれぞれの歴史観と作風があるのだが、全体を通して逆説的に浮き彫りとなるのは、経済と完全に一体化した平成の科学技術とその補完役としての科学論の潮流にほかならない。

佐々木力『反原子力の自然哲学』(未來社)。本書を論文集として読むならば、ガッサンディからボイルへの原子論の展開を論じた節、および、放射性廃棄物最終処分場の国家指定に対する宮城県加美町の抵抗を記した節は、特に秀逸である。だが、数々の正視・黙視しえぬ記述が、高説の「立体」性を「平面」化させてしまっている。たとえば著者は修飾語を冠した「私」なる主語を用いるべきではない(例外三七一頁)、と低弟は進言する(「温馨注意」)。

小笠原博毅・山本敦久編『反東京オリンピック宣言』(航思社)。周知の“状況”にあって、一六人の論客が思いの丈を存分に語った書。それは文化・文明をめぐる批判思想のオリンピックであり、読み物としても実に面白い。それにしても、編者の小笠原が巻末で記しているように、受け手のない本企画に救いの手を差し延べたのは、当の版元だけだったのか。オリンピック国家日本に抗した「たったひとりの国家」に満腔の敬意を表する。(こまつ・よしひこ氏=武蔵野大学教授・科学史・生命倫理学)
■福間 健二

木下千花『溝口健二論』(法政大学出版局)は、アメリカの日本映画研究の成果を踏まえながら、権威に臆さない毅然とした姿勢で、溝口健二作品とその時代的コンテクストを分析する。副題の「映画の美学と政治学」の、「政治学」の方向の感度がよく、表現の魅惑はこの世界へのどういう抵抗から生まれるのかについて、刺激的な指摘を繰り出している。

何よりもまず政治的なものをめぐる思考を硬直させないという点で、『日の沈む国から』(岩波書店)の加藤典洋の、ものの言い方に、いいなあと感じた。人間と世界への、未来性を感じさせる洞察がある。これが政治・社会論集で、このあと、三部作的に『世界をわからないものに育てること』と『言葉の降る日』がつづいて出た。どれも、おもしろい。

小峰慎也『いい影響』(書肆梓)。入りくんだ迷路を歩きながら、ここが出口だと感じさせる簡潔さを手に入れている詩集。力むことのない筋肉による抵抗と洞察があると思う。(ふくま・けんじ氏=詩人・映画監督)
■重信 幸彦

宮本常一著、香月洋一郎編集・解説『私の日本地図 2 上高地付近』(未來社) かつての名シリーズ十五巻が、装いも新たな宮本常一著作集別集として、本巻で完結。丁寧な校訂作業と親切な註や索引、そして世間師・宮本のたたずまいを語る愛ある解説。旧版にまして、歩いて見て聴いてそして考える宮本が浮かびあがる。このシリーズから宮本の世界に入り、またここに戻ってくる、きっとそんな場所になるに違いない。石井正己編『博物館という装置 帝国・植民地・アイデンティティ』(勉誠出版) 博物館が、何をどう収集し展示したか、それにより何を可視化したのか。統治と支配の装置としての博物館の本性を、帝国日本における「内地」と「外地」の博物館を中心に、ロシア等ヨーロッパの博物館まで視野に収めて抉り出す。村田和代・井出里咲子編『雑談の美学 言語研究からの再考』(ひつじ書房) 雑談とは何か、社会言語学の研究者たちが、日常の何気ない会話のことば遣いや息遣い、「間」をピンセットでつまむように取り出し分析する。日常に生起する微細なポリティクスや関係性構築のダイナミズムが鮮やかに浮かび上がる。(しげのぶ・ゆきひこ氏=民俗学)
■明石 健五

上半期の収穫と同様、1・2面企画や書評で取り上げられなかった本から、三冊紹介する。

パスカル『パンセ』下(塩川徹也訳、岩波文庫)。昨年刊行がはじまった『パンセ』最新訳全三巻が完結。下巻には一〇〇頁に及ぶ「アンソロジー」付。ここから読み始めるのもいいだろう。有名な「クレオパトラの鼻」についての断章を「もしそれがもう少し小ぶりだったら」(傍点=筆者)としたところが、塩川訳の妙。半世紀にも及ぶパスカル研究の到達点。『パンセ』という書物は、頭から読むものでもない。好きな頁を日々めくり、そこから思考をめぐらせていくのがいいのではないか。アントワーヌ・コンパニョン『寝るまえ5分のモンテーニュ 「エセー」入門』(山上浩嗣・宮下志朗訳、白水社)も是非合わせ読みたい。

エマニュエル・トッド『問題は英国ではない、EUなのだ』(堀茂樹訳、文春新書)。メルケル率いるドイツが、難民を数多く受け入れているのはなぜか。ナチスドイツへの反省からだという説が一般的に流布しているが、トッドは、出生率に注目する。ドイツの直近の出生率は「1・4人」。完全な人口減少社会であり、移民を受け入れなければ、国としてもたないのである。そうした不安定な国がEUの主導権を握っていることにパラドクスがあると、トッドは指摘する。ちなみに日本も出生率はドイツと同じであり、状況は変わらない。今後移民を受け入れていくのか、あるいは出生率を上げるのか。二者択一である。同じ著者の『グローバリズム以後』(朝日新書)と併読をおすすめする。

柴田大輔『聖域 関東連合の金脈とVIPコネクション』(宝島社)。現代の若者の生態を描くのが文学のひとつの課題だとすれば、本書はまさしく「文学」そのものである。イニシャル・ネームが多いのがやや気になるところだが、これを原作として映画を撮れば、「平成版 仁義なき戦い」になるかもしれない。真鍋昌平「闇金ウシジマくん」の最終章(「ビッグコミックスピリッツ」連載中)、あるいは石田衣良「IWGP」シリーズと比べて読むのも面白いかもしれない。(あかし・けんご=本紙編集長)

2016年12月16日 新聞掲載(第3169号)
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