死体なんか入つてゐないのが残念だあけたつていいようちの冷蔵庫 山田富士郎『アビー・ロードを夢みて』(1990)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2016年11月18日

死体なんか入つてゐないのが残念だあけたつていいようちの冷蔵庫
山田富士郎『アビー・ロードを夢みて』(1990)

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おそらく都会のマンションの清潔な洋室で、この言葉は発せられたのだろう。結局死体は冷蔵庫に入っていないのだとしたら、この歌の世界の中で一切の犯罪行為は行われていない。しかし、不穏な空気感は拭い去れない。砕けた口語のしらべに乗せた軽い口調が、狂気に接近する。この発話者が本当のことを言っているのかどうか不安になってしまう。

作者は俵万智が角川短歌賞を受けた翌年、一九八七年度の受賞者としてデビューした。俗語や現代風俗なども盛り込みながら口語で軽く日常を詠む「ライトヴァース」が、現代短歌の一大ムーブメントになっていた時代の作品である。もちろんこの歌もそんなムーブメントの落とし子であるわけだが、なにしろ俵より十歳以上も年長の世代だけに、単なる日常の軽やかな肯定ではとても満足できなかったのだろう。日常の中に潜む狂気や恐怖。社会をはみ出してゆくことへの抑えがたい憧れ。そういったものを表現したいという思いが、自室の冷蔵庫に死体が入っている幻想として結実したのかもしれない。

この歌の想像力の背景には、おそらく現実に発生した事件の影響がある。たとえば一九七〇年代に頻発したコインロッカーベイビー事件や、一九八一年にパリで発覚した日本人留学生の人肉嗜食事件など。高度経済成長の果てに生まれた利己主義と欲望が作り出した狂気を、あえて時代のムードに合わせた軽口として処理してみたかった。そんな一首なのではないかと思う。(やまだ・わたる氏=歌人)
2016年11月18日 新聞掲載(第3165号)
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