第28回 高松宮殿下記念世界文化賞受賞記者会見 マーティン・スコセッシ監督 (ボブ・ディラン、ノーベル文学賞受賞について)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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受賞
2016年11月18日

第28回 高松宮殿下記念世界文化賞受賞記者会見
マーティン・スコセッシ監督 (ボブ・ディラン、ノーベル文学賞受賞について)

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(ボブ・ディランのノーベル賞受賞の報を聞き)私も大変驚きました。しかしそれと同時に、大変嬉しく思っています。私は、ディランのことをミュージシャンとして捉えたことはありません。彼の仕事は普通のミュージシャンとは違います。まさに歌詞(詩)が、仕事の中心にあるのではないでしょうか。ディランの音楽は、一九六〇年代・七〇年代の私たちの文化をかたどってきたものではないかと思います。歌詞の一部は、私たちの人生を、私たちの生き方そのものを表しているのではないでしょうか。「音楽=ロックンロール」という感じで考えている人がいますが、もしかすると、それは良くないことなのかもしれません。少しスノッブな人たちが、音楽を見下す感じで見ているところがありますが、それは正しい考え方ではない。覚えておいていただきたいことがあります。はるか昔、ギリシャ時代のことを思い浮かべてください。たとえば詩を諳んじる時、必ず音楽と共に読まれていました。そういう時代が確かにあったのです。またエリオットの詩などが読まれる時も、詩と共に音楽のパフォーマンスがあった。楽器がなくても、彼らの言葉そのものが音楽なのです。それはすべての詩に共通することです。詩は音楽である。日本の俳句もそういうものだと、私は思っています。

ディランの大変有名な言葉に、「日々生まれ変わるのに忙しくない人は、結局死ぬために忙しいんだ」というものがあります(「It's Alright,Ma」)。
これこそ、まさに私たちの生き方そのものを表わしているんじゃないかと思います。

私がディランについて、特に重要だと思っているのは、彼の言葉が持つ愛の部分です。もちろん彼は、六〇年代から政治に関する言葉を語っていました。しかし同時に、愛というものが帯びる様々な色彩を語ったのではないでしょうか。暴力・怒りという切り口で、ディランは決して語りかけていなかった。そしてディランの詩からは、彼の人間性を感じ取ることができます。たとえば「風に吹かれて」や「激しい雨が降る」という曲がそうです。村上春樹氏がよく引用するような詩ですね。

ディランの歌詞を聴く時、言語の問題も考えます。文学であれば、シェイクスピアの戯曲が、日本語でどういう響きをもって受け取られるのか。黒澤明監督の映画がロシア語になったらどうなのか。ディランの詩の場合はどうなのでしょう。普段英語を話し、聞く人間にとっては、とても素晴らしいものだということは確かです。もちろん日本語にも、大変素晴らしい翻訳があると聞いています。ただ、私が谷崎潤一郎や川端康成の本を読む時、元の言語ではない、翻訳された文章を読みますから、おそらく三割とか四割ぐらいしか読み取れていないのかなという気もします。それでも決して奪われないのが、イメージの世界です。イメージというものは、普遍的なものです。溝口健二監督や黒沢明監督の映画は、字幕なしでも、その素晴らしさは十分に伝わってきます。それはディランの詩の世界にも通じるものだと、私は思います。(10月18日、高松宮殿下記念世界文化賞、記者懇親会にて)※ 記者会見より抜粋

2016年11月18日 新聞掲載(第3165号)
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