われの一生に殺なく盗なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は 坪野哲久『碧巌』(1971)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね 第65回
2016年12月9日

われの一生に殺なく盗なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は
坪野哲久『碧巌』(1971)

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口語自由律のプロレタリア短歌から出発した歌人が、戦後に定型に回帰してから詠んだ一首。殺人も窃盗も経験しなかった自らの一生を振り返り、「憤怒のごとき悔恨」を覚えているのだという。普通なら犯罪を起こさない人生は万々歳のはずだが、なぜ悔やんでいるのか。それは、社会の枠をはみ出すことがなかったことへの悔恨だからだ。

第一歌集は発禁になり、たびたび治安維持法で捕らえられたこともあるなど、自由を求めて自らの歌を作り続けた作者。しかしそれでも満たされない思いがあったのは、自分よりもさらに激しく戦った者たちへの憧れがあるからだ。かつて福島泰樹から受けたインタビューでも、石川啄木の詩「ココアのひと匙」の中の一節「われは知る、テロリストの/かなしき、かなしき心を。」を下敷きにしながら、「人民を苦しめている輩、人民を苦しめてそれだけ富んでいる輩を、こんな連中をやっつけることができなかったということに対する悔やみなんだから。」と語っている。

「殺なく盗なく」と詠んだとき念頭にあったのは、権力者の横暴に一矢報いてやることのできなかった悔しさであった。ここで表現されているのは暴力に憧れる退廃的美学でもなければ、単なる社会への悲嘆でもない。己の正義を信じて生きてゆくことの、どうしようもない孤独である。『池澤夏樹=個人編集 日本文学全集』(河出書房新社)の「近現代詩歌」の巻でも、穂村弘が代表歌の一首として引いている。
2016年12月9日 新聞掲載(第3168号)
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