侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷越えてきし砂にまみるる 黒木三千代『クウェート』(1994)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね 第66回
2016年12月16日

侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷越えてきし砂にまみるる
黒木三千代『クウェート』(1994)

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一九九〇年八月に起こり、後に湾岸戦争に発展するイラクのクウェート侵攻を題材とした一首。湾岸戦争をどう詠むか、という問題は現代詩の世界で大きく議論の持ち上がったテーマであったが、現代短歌では黒木三千代のこの一首が大きな論争の的となったそうだ。

ポイントは、さまざまな国際的事情が絡み合って発生したイラク軍の侵攻という現象を、「レイプ」というきわめて私的で身勝手な事情から発生する犯罪にたとえたことである。戦車の銃砲と男根のイメージをダブらせているのだろうし、そうなるともちろん、降雨のときだけ水の流れる「涸谷」は露骨なくらいに女性器のメタファーである。

「ちゃんと国際情勢を勉強した方がいい」「戦争を男性の性欲と単純に同一視するのはあまりに安易すぎる」という批判が出てもまったくおかしくない歌だと思う。「レイプ」という語を短歌に使うこと自体への嫌悪感も当時はあった。しかしそれでも侵攻を「レイプ」にたとえずにいられなかったのは、フェミニズムに裏打ちされた短歌を目指そうという確固たる意識があったからだろう。あらゆる理屈を超越する絶対的暴力があることを、女性だけが日常的に思い知らされ続けている。男性がそれを知るのは戦争のような非常時だけだ。その不均衡を強く叫びたいと思うときに、「侵攻はレイプに似つつ」というきわめて素朴な表現として表出した。そのことでこの歌は、歴史に残る一首となった。
2016年12月16日 新聞掲載(第3169号)
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