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漢字点心
2016年12月16日

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よく晴れた越後の海。母親を乗せた船は北へ、幼い姉弟を乗せた船は南へと別れていく。人買いにだまされたのだ。森鴎外の名作、『山椒大夫』の一場面である。

このとき、絶望した母は海に飛び込んで死のうとする。しかし、人買いは、彼女の髪をつかんで引き留める。そして、大声でののしるのだ。「死なせてなるものか。大事な貨(しろもの)じゃ」と。

「しろもの」とは、辞書的には「金銭に換えることができるもの」を指す。そういうことばを通して人間を見ている、人買いの視線は冷ややかだ。その冷ややかさを、「貨」という漢字で増幅しているのが、鴎外の筆。「財貨」「雑貨」「貨物」「貨幣」「通貨」などを思い浮かべれば、人買いがすべてを経済観念でしかとらえていないことは、おのずと明らかではないか。

母親と同様に、幼い姉弟、安寿と厨子王も、「貨」として売られていく。平安時代のこととはいえ、あまりに悲惨な物語である。
2016年12月16日 新聞掲載(第3169号)
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