寄る辺なさと向き合って生きる 関水徹平|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年1月6日

寄る辺なさと向き合って生きる 関水徹平

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そもそも幼稚園が苦手だった。「ひらけ!ポンキッキ」が始まると家を出なければならず、泣いてテレビにしがみついた。お遊戯室のすすけた赤絨毯の上に所在なく立ち尽くす。ジャイアンとスネ夫のような園児にも目をつけられていた。

とはいえ、私は時間さえかければなじむことができた。自慢ではないが。小学二年生で引っ越すまでには、クラスにすっかりなじんでいた。私の同化主義的な視点は、そうした経験に由来しているのだろうか。「ひきこもり」という経験に対しても、「今なじめなくてもいつかなじむことができるよ」という思いがある。だがそれは結局なじむことができた立場からの、思い上がった物言いでしかないのだろう。

「いつかは溶け込めるよ」という期待にもかかわらず、その後、私自身がすんなりこの社会に同化できたのかといえば全くそうではなかった。高校生になるといよいよ悩みは深くなった。自分のマイノリティ性への気づき、種々の劣等感…。世界に自分というピースがはまらない。自分の正体もわからないが、世界の側の正体もわからなさすぎる。言葉にすがり、言葉で世界をつかまなければ不安で、自分自身のために日記を書き綴っていた。

真理の言葉を見つけなければと思っていた。この不安で寄る辺ない世界を安定させる言葉を。当然のように大学は文学部を選んだ。哲学を専攻するつもりだったが、「へーゲルは何年に生まれ、何年に死んだ」という講義が続く教室から、五月の陽光を浴びて輝く若葉をみていた。結局、社会学を専攻することにした。

右往左往しつつ、今日も細々と研究を続けている。この世界が何なのか。私がどこにいるのかを知りたいという欲望が消えずにある。相変わらず自分も世界も寄る辺ないという思いが拭いきれない。

『「ひきこもり」経験の社会学』に至る調査・研究を通じて、私の生きる社会のあり方を多少は明確につかむことができた。明治・大正・昭和と、近代化に追い立てられながらも、農業を生業とする人々が多数を占めてきた社会。先進工業諸国との国民総出の総力戦に敗れ、 戦後は冷戦体制下で「日本株式会社」として生活の豊かさを実現してきた。「日本株式会社」の正規メンバーは、正社員男性とその妻(専業主婦)であるが、そのどちらでもない市民の生活保障はもっぱら家族が担う。「日本株式会社」は、“縁の下の力持ち”としての働きを家族に要求し続けてきた。「日本型福祉社会」とも呼ばれるこのしくみのもとでは、実に多様な「未成熟子」が「ひきこもり」と呼ばれ、家族によって生活を支えられるほかない。この意味で、家族問題としての「ひきこもり」は「日本株式会社」の副産物である。冷戦体制終結後、経済のグローバル化が一層進む過程で「日本株式会社」は大きく変質してきた。正社員と専業主婦の組み合わせは相対的に希少化し、“縁の下の力持ち”は弱体化している。本を書き終えた今、「ひきこもり」経験者たちは、日本の近代化が積み残した課題に、身一つで向き合っているのだと感じる。

私はこれまで「ひきこもり」経験者の経験と対話しながら、自分自身の生きる世界を言葉にする方法を探ってきた。もっと自分の経験に直に向き合って語るべき言葉があるはずだという思いもある。今後、どのような研究が展開できるだろうか。自分の足元を確かめながら進んでいきたい。

この記事の中でご紹介した本
「ひきこもり」経験の社会学/左右社
「ひきこもり」経験の社会学
著 者:関水 徹平
出版社:左右社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年1月6日 新聞掲載(第3171号)
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