生前退位/トランプ/シン・ゴジラ 「全体主義の時代」は到来したのか|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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論潮
2017年1月6日

生前退位/トランプ/シン・ゴジラ 「全体主義の時代」は到来したのか

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『中央公論』が創刊一三〇周年を迎える。誌名が立派だ。右でも左でも私論でもなく。非現実的なイデオロギーの妄語放言でなく。ただ、総合誌・論壇誌は凋落傾向にある。理由はいろいろあれども、人々が私的領域に閉じこもり、政治社会に無関心になれば、言論上の公的空間は衰退する。電車に乗ると、みな貪るようにスマホの小画面に見入っている。短いフレーズで大衆を操作する「プラカード的」政治に有利で(カール・シュミット)、極論ほど俗耳に受けやすくもなる。時代は誌名に逆行している。名ばかりの主権者、“情報”の臣民は、私欲を満たせるなら豚の餌でも何でもよい、現実世界をめぐる公的論議など老害でしかない、と言わんがばかりだ。ああ、『読書人』が“役に立つ”実学書のレヴューで埋め尽くされる日も近い。私たちはもう全体主義の時代を生きているかもしれない?総合誌・論壇誌も民主主義の学校である。

さて今回は、「生前退位」「トランプ」「シン・ゴジラ」を取り上げたい。どれも重いテーマで、前二者は複数誌で特集が組まれている。

(1)天皇のビデオメッセージ(八月八日)直後の世論調査では、退位賛成は八九%にのぼる(八月十一日、日本経済新聞・テレビ東京)。ほぼ「日本国民の総意」だ(憲法第一条)。しかし反対の声が、それも保守派から出ている。なぜ右寄りなのに天皇の気持ちを敬わないのか。かれらは理由の筆頭に、退位後の「天皇が政治利用されたり、自ら政治的に動く」恐れを挙げる(八木秀次「それでも生前退位に反対する」、今谷明「専門家ヒアリングで語りきれなかったこと」『文藝春秋SPECIAL』季刊冬号)。伊藤博文が旧皇室典範制定時に、「南北朝の争乱」のような「混乱」を避けるため、「終身在位性」に決めたという(八木氏)。だが明治期と違い、今日の天皇は政治的権能をもたない。現憲法下なら争乱の心配はない。なのに心配するのは、天皇に権能をもたせたい、親政復活の日のために混乱の芽を摘んでおきたいと、どこかで夢みているからではないか。退位をめぐる議論は、隠居の是非という話では済まないのだ。“民主主義か帝国主義か”という問題が、そこには潜んでいる。

保守派の多くは「摂政を認めれば、それですむ」と言う(平川〓弘「何が天皇様の大切なお仕事か」『正論』一月号など)。これも天皇の気持ちに反する。混乱の芽も摘める。保坂正康氏は「今上天皇が摂政について語るときには、大正天皇の〔「非人間的な扱い」の〕事例と、昭和末期の自らの体験を踏まえている」としたうえで、摂政論を「天皇の現実を知らない者の弁」と一蹴する(保坂正康「今上天皇『おことば』に込められた皇太子へのメッセージ」『文春SP』)。象徴的行為は「天皇に一身専属するもので、摂政には代行できない」との学説もある(木村草太「皇室典範どこまで変えるべきか」『文春SP』)。退位賛成・反対の両派から、特別法について違憲の疑いが指摘されている点も考慮すると、民主的国家として「今議論すべきなのは、生前退位それ自体や、一代限りの特別法の是非ではなく、いかなる基準・手続を設けるか」になろう。だがこれは政権の方針に、本性に反する。自民党改憲草案では、天皇は「元首」であり「憲法擁護義務」をもたない。国民は個人でなく「人として」尊重され、「公の秩序」に服従する。帝国的で、臣民的だ。特別法が精一杯だろう。

(2)英国のEU離脱と同様に、アメリカ大統領選でトランプを支持したのは「没落する中間層」だった(吉田徹「『グローバリズムの敗者』はなぜ生まれ続けるのか」『世界』一月号)。白人主体のこの層は「製造業が作り上げたもの」だが、七〇年代と比べて製造業雇用は「半減」した。「非正規雇用」も「拡大」し、中間層は「ワーキングプアと化している」。「四五歳から五四歳までの白人の死亡率が過去一五年間に一割も増え、それも薬物の過剰摂取や自殺によるものが多い」との調査も選挙中に公表され、「大きな衝撃」を与えた。絶望する中間層だ。

久保文明氏も大統領選を「低学歴白人層による疑似革命」と見る(久保文明「白人労働者疑似革命のゆくえ」『中央公論』一月号)。出口調査では、高卒以下の白人の場合「トランプの得票率は六七%」で、「二八%のクリントンを圧倒」する。この層の「実質家計所得の中間値は一九九九年の水準を回復していない」。低賃金で働く「不法移民を責める人も」続出する。
「現下にみられるのは資本主義と民主主義の相克において、資本主義の論理が生活世界を侵食し尽くしている光景だ」(吉田氏)。かつては「ケインズ主義型福祉国家」が資本主義と民主主義を媒介した。「新自由主義政策」がそれを破壊した。社民政党も加担した。トランプがTPPと並んで反対する「NAFTA(北米自由貿易協定)を批准」したのは、民主党の「ビル・クリントン」だ。日本でもTPP交渉参加を表明したのは民主党だ。社民政党による「経済リベラリズムへの転換と文化的リベラリズム〔移民受け入れや多文化主義など〕の路線堅持」のなか、白人中間層は“忘れられた人びと”と化した。政治回路喪失の不満や怒りが、「経済リベラリズムを推進してきた政治・経済・文化エリートに対する反感」となり、反エスタブリッシュメントのうねりを生んだ。欧州の極右台頭と状況は似ている。

新自由主義は「民主主義の空洞化」の元凶だ。吉田氏は「新しい中間層」の必要を説く。宇野重規氏も「デモクラシーとグローバル化が折り合う新しい解」のために、「再配分機能を新しい形で設計し直す必要」を説く(宇野重規、湯浅誠、渡辺靖「検証・21世紀の言説」『中央公論』)。伊東光晴氏もケインズ的観点から、ユーロに関する新提言を行なう(伊東光晴「問題は英国ではなくEUだ」『世界』)。「雇用と物価の安定」を説くケインズは「低賃金」に「反対」した。最近、中間層を没落させる点で一流のアベノミクスは、新自由主義からの転換を余儀なくされている。ちぐはぐで中途半端だが。

(3)『ユリイカ』十二月臨時増刊号「総特集Ω『シン・ゴジラ』とはなにか」を興味深く読んだ。初代ゴジラが広島・長崎をモティーフとしたように、今回のゴジラは福島を想起させる。原子力をエネルギー源とする巨大怪獣が東京に出現し、破壊の暴威を振るう。アメリカは日本を守るのを諦め、国連を巻き込み東京への原爆投下を決定する。日本政府は決断を迫られる。関曠野氏いわく、本映画の「深層の主題」は、日本人の「主権というものについての不安」である(関曠野「『シン・ゴジラ』の政治学」)。焦点は「ナショナリズムの高揚などではなく、アメリカが覇権の座から降りようとしているので嫌々ながら主権国家にならざるをえない国の不安」であると。だが異なる見方をする人もいる。

日本政府の決断は最後に奏功し、ゴジラは凍結される。作中で「自衛隊が大活躍している」と、「自衛隊に対する国民の揺るぎない支持が背景にある」と、安倍首相は言う(辻田真佐憲「ニッポン、この厄介な虚構」)。映画のキャッチコピーは「現実対虚構」だが、首相の脳内では、虚構たる「劇中のニッポンは現実の日本国と等置され」る。高揚している。新自由主義で中間層を盛りたてるのと同じく「デタラメ」な、「安倍の大雑把な解釈など」に「水をかけておく」こと、「ニッポンという虚構を相対化し、その危険な魅力を「凍結」しておく」ことを、辻田氏は説く。谷口功一氏も、作品の後半は「夢」にすぎないと冷静だ(谷口功一「立ち尽くすノモス」)。

ミサイル総攻撃でも歯が立たないゴジラの皮下の赤い光は、原発事故から五年を経ても手がつけられないデブリを思わせる。大地震と大津波はいずれまた来る。列島各地で核燃料が、怪獣が冷やされている。首相は無敵のニッポンに、国民は万能のスマホに夢中だ。日本の現実である。
2017年1月6日 新聞掲載(第3171号)
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