〈1月〉 二人冗語 忘却にあらがうという切実さ 書物は死者の再生装置|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2017年1月6日

〈1月〉 二人冗語
忘却にあらがうという切実さ 書物は死者の再生装置

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福島
今年の文芸時評は、新機軸、対談形式です。
馬場
題して「二人冗語」(笑)。一応、森鴎外らのひそみにならっています。私は日本近代文学、福島さんはフランス文学の出自から発言します。
福島
たしか、お互い三作ずつ話題提供しようということでした。僕は、青来有一「小指が燃える」(文學界)、上田岳弘「塔と重力」(新潮)、長嶋有「もう生まれたくない」(群像)かな。
馬場
私はみんな「文學界」からで、三木卓「寝台自動車」、松浦寿輝「ポリンスキー監督の謎あるいは『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』のあれをトム・クルーズはいったいどうやってやってのけたのか」、松尾スズキ「ものまねのある風景」です。
福島
では、青来からですが、私小説的な構えなんだけれど、作品がそのままエクリチュール論になっているのが面白かったですね。主人公は自分の本が売れないことに引け目を感じながらも、読書を「死者と今生のわれらと未生のかれらとのかぎりなく大きな意味でのコミュニケーション」とみなすことで、現在誰にも読まれなくても本を書き続ける根拠を見出している。
馬場
一見、青来が得意とする連作のようですが、前作「小指が重くて」のなかにもうひとつのテーマがあることを自身で発見し、リライトするんですね。しかもそれを作中で宣言するメタフィクションにもなっています。
福島
また、実在する「元政治家の先輩作家」や林京子や埴谷雄高の言葉を日々反芻する主人公の姿は、作品が「ライト」に読まれ、心地よく快楽原則に則って消費されている現況に対する、極めて反時代的な批評となっています。
馬場
「すべての死者たちと、未生のわたしたちは壮大なゆびきりをした」ことの忘却にあらがうという切実さが小説のテーマですからね。
福島
書物が死者の再生装置だという言葉にも独特の重みがあります。
馬場
三木の「寝台自動車」は、主人公の老人が病院に搬送される道中と入院後の意識や幻覚が語られるのですが、寝たきりの身体を客体化させている表現がユニークでした。たとえば無理にでも食事をしなければならないときの「胃にはいってしまえば、やつはなんとかしてくれるはずだ」といったところ。本作には「こういうことになっている」としか曰く言いようのない、死に向かう老いの「気分」が軽妙に描かれていて新鮮です。
福島
今回の「文學界」の「老人もの」の中では一際光っていましたね。
馬場
文芸四誌の読み切り全体を見渡しても、書き手も登場人物も年齢が高い。八十代作家の作品が二作、七十代が一作、六十代が三作。連載も入れたら九十代の作家もいます。また四十代の作家の作品に後期高齢者が登場したりもします。
福島
それに比べると、「塔と重力」の上田は三十代と圧倒的に若い。実際、読めもしないアラビア語の投稿にまで「いいね!」を押しまくる Facebook上の行動の表層性にはつい笑ってしまいました。とはいえ、主人公の田辺と友人の水上が(世界に不正に対して)無意志的に泣いたり、吐いたりしてしまう精神疾患を抱えているという設定は素朴に昔の少女漫画みたいだし、阪神淡路大震災で亡くなった「美希子」の影につきまとわれていた主人公が子供を授かったのを期にそこから解放されるという物語展開にも、懐かしい八〇年代的な感傷性がつきまとっています。
馬場
ハルキっぽいってことでしょうか? だから、性描写が懇切丁寧だったり、iPhoneの機種まで細かく設定されているんですかね、6とか6sとか。
福島
村上春樹もワーゲンのラジエーターまで細かく書いていましたね…。
馬場
次に松浦の「ポリンスキー監督の謎(以下略)」ですが、稀に見る題名の長さです。でも方法は世界最短詩型の俳句と小説のブレンドなんです。歌物語ならぬ句小説に可能性を感じました。
福島
ポリンスキーって、結局偽物でしょ(笑)。
馬場
ですよね。広島カープの帽子を被って牛丼食べているポランスキーは見てみたい(笑)。俳諧師が主人公といえば、高浜虚子が俳句青年の青春を書いた「俳諧師」を思い出します。松浦の主人公は、侘び寂びの句を詠んでいるかと思いきや、精力旺盛な実態がせり出してきて、とうとうトム・クルーズばりのアクションをこなし、青春ならぬ回春を謳歌する老人です。
福島
言語感覚にも脱帽です。さらりと「シンデモ、ラッパヲ、クチカラハナシマセンデシタ」なんて出てくるところが、実に憎らしい。
馬場
すごいですよね。新春初笑い小説です。
福島
では「もう生まれたくない」。長嶋は今月の「文學界」にも保坂和志風の短編を書いていますが、そのミニマルな方向性に比べると、こちらの作品の方が現在に対する切実さのようなものが感じられました。例えば、クレヨンしんちゃんの作者である臼井儀人、声優の内海賢二、理研の笹井芳樹など、忘れていた死者たちをテンポよく思い出させてくれて、自分の忘却力を意識させられました。
馬場
たしか長嶋の漫画作品の主人公「蕗山フキ子」が本作にも突然登場しているんですが、彼女の設定は命日をやたらと覚えているというものらしいです。この死者のニュースで時代を紡いでいく方法はあまり見たことがなくて、誰かの訃報を多くの人が共有する事態って、思えばすごいことだなと。
福島
大量に共有して、大量に忘却する。大昔のパソコンゲームの方が人を殺したことを実感できたと美里が告白するエピソードも腑に落ちました。ただし、作品全体で作者が何を書きたかったのかと考えると微妙ですね。春奈の夫が死ぬ意味も、実はよくわからない。映画『マグノリア』のような群像劇ではあるのですが…。
馬場
そもそもタイトルがよくわからなかったんですよね。 
福島
生まれいずる悩みとも生まれてごめんなさいとも違いますね(笑)。ただ、この作品の題名が「もう生まれたくない」であるのに対して、先ほど話題にした「塔と重力」の結びが「またこの世に生まれ直してもいいかなと思えるような一生が過ごせればいい」であるのは奇妙な符合です。まるで一九九七年夏に公開された、『劇場版エヴァンゲリオン』のコピーが「だからみんな、死んでしまえばいい…」だったのに対して、ほぼ同時公開の『もののけ姫』の方は「生きろ」だった状況を彷彿させています。
馬場
ということは、両作とも世界と自分の関係がテーマなんでしょうか。で、そこに救済されない死者が共通して関わっているという…。
福島
『君の名は。』のように死者を救済するという展開にはなかなかなりませんね。
馬場
最後は松尾の「ものまねのある風景」です。ものまね芸人になる夢を諦めた夫と病気がちで専業主婦の妻が、他人にものまねされることで自分たちの行き詰った姿を認識させられ、新築の「家」に背を向ける話です。笑って見ていたはずのものまね芸を笑っていられなくなるところ、自身が他人に成り代わられる姿を眼の前で見せつけられる場面など、ある意味ホラーでした。
福島
最後のシーンはデュラスの『ロル・V・シュタインの歓喜』を思い出しました。ライ麦畑に座った主人公が窓ごしに自分の欲望が成就されている部屋を見つめるところです。ただし、松尾の作品では、他人によって露呈されるのは、自分たちは「モノマネ」をしているようなものだったという事実で、書き割りと化したマイホームに彼らは直面させられます。
馬場
舞台に見立てるというのは珍しくはないのかもしれませんが、今月の短篇小説の中では完成度がとても高いのではないかと。
福島
モノマネ芸人にでも代替されるような家族ゲームだったということに気がついて、夫は家から離れ、だけど妻はやっぱりシミュレーションでもそのままがよかったかなという後悔をぐずぐずと引きずっている。
馬場
昨年末ブームになったドラマ「逃げ恥」のように専業主婦のジレンマを社会問題として正面切って扱い本音をぶつけ合っているのとは違う、暗い本音が出ている作品ではないかと。

それにつけても、保坂和志「猫がこなくなった」(文學界)は、最初から一生懸命読んだのに、「何も問題はない」で終わってしまう脱力系小説…。
福島
同号の荻世いをらの明快な説明によると、保坂の魅力は「結果でなく過程」にあるようです。ゆとり教育のスローガンです。だから、こういう「ゆとり小説」は一生懸命読んじゃいけない。内容とか切実さみたいなものを求めて読むと、逆に読み通すのに、息切れしてしまう…。
馬場
この「問題」は根が深そうです。この一年の課題としていきましょう。では、また来月に。
福島
では、さようなら。

2017年1月6日 新聞掲載(第3171号)
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