娯楽番組を創った男  丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生 / 尾原 宏之(白水社)戦時下での娯楽番組 制作する困難さを描く部分は胸が痛い|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」

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読書人紙面掲載 書評
2017年1月6日

戦時下での娯楽番組 制作する困難さを描く部分は胸が痛い

娯楽番組を創った男  丸山鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生
出版社:白水社
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『娯楽番組を創った男 丸山織鐵雄と〈サラリーマン表現者〉の誕生』を読みながら、私は子供の頃に聴いていたNHKのラジオ番組のことを思い出していた。
私が小学生で朝鮮の京城にいた昭和16年、当時は大東亜戦争といい、戦後は太平洋戦争となった戦争が始まり、ラジオ放送は連日大本営発表の皇軍の勝利を伝えていたが、昭和19年になると連日空襲警報を伝えるようになる。そして昭和20年8月15日、中学1年になっていた私は夏休み中だったが集合がかかり全員校庭に整列して終戦の詔勅の放送を雑音と共に拝聴した。よく聴こえず、校長の訓示でも戦争が終ったとは言わないまま解散となったが、校門を出て家へ帰る途中の街の様子は一変していて日本が敗けたことを知らされた。京城での生活は一変し、その日から放送を聴いた記憶はない。

日本人の姿が街からほとんど消えていった11月、やっと日本へ引揚げて父の生家である富山県高岡市の澤田家の蔵の二階へ一家6人が転げ込む。父が最初に買ってきたのがラジオだった。唯一の情報源であったのだ。

その頃NHKでラジオの番組を制作していた丸山鐵雄さんのことを、NHKに在局した経歴のある、私より40才若い尾原宏之さんが書いた本書は、昭和21年、NHKの音楽演芸番組のプロデューサーとして番組を制作し、22年には中学3年の私が毎週聴いていた『日曜娯楽版』のプロデューサーであった丸山鐵雄の、父や兄弟のことも徹底的に調べて私に教えてくれた。かつて私は戦前・戦中の笑いの放送史を書くためにNHKで放送された演芸番組のことを調べ、残っている資料があまりに少ないことに苦しんだ経験があるので、読み進んでいくほどにその調査力に驚きを感じたものだ。

昭和9年、開局して9年目の東京放送局に入局した丸山鐵雄は急速に普及していくラジオのパワーを感じながら放送番組を編成する「放送編成会」に配属され、娯楽番組の編成助手として監督官庁の逓信省、内務省の検閲に直面する。その頃ペンネームで書いたコント風の文章や、川柳、都新聞への寄稿、新劇の演出などが紹介され、自由に行動しつつもNHKの中で戦争の拡大による緊張を緩和するための寛ろぎと潤いのある番組を提案している姿や、昭和14年「放送」誌に寄稿している「大衆演芸論」はいまでも私達制作者のバックボーンとして持ち続けたいものであり、支那事変から大東亜戦争に向う昭和16年に娯楽番組を制作する困難さについて書かれている部分は読んでいても胸が痛い。

丸山鐵雄氏に遅れること21年。映画とラジオのお笑い表現が大好きな私は、スタートしたばかりの民間放送の朝日放送に入社して制作部演芸課に配属され、すぐさま番組づくりに参加する。その後の放送界は、テレビだ、カラーだ、ハイビジョン、デジタル化と大きく変化し、2020年の東京オリンピックを目指して更に変革しようとしている。番組の制作体制も私が放送界に入った61年前には考えられないような形になってしまっているが、その私が本書に書かれている丸山鐵雄さんが経験した、軍部やGHQによる圧力を受けながら番組を考え続けられたことの素晴らしさを感じている最後の放送人にならないように祈念する。
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年1月6日 新聞掲載(第3171号)
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