社会の変化を鋭敏に先取りして反映している文学の世界|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
読書人よ、集まれ!

トップページ

特集

書評

連載

コラム

ニュース

読書人とは

  1. 読書人トップ
  2. コラム
  3. 文芸
  4. 社会の変化を鋭敏に先取りして反映している文学の世界・・・
文芸
2016年12月23日

社会の変化を鋭敏に先取りして反映している文学の世界

このエントリーをはてなブックマークに追加
今年の新年号の文芸各誌を見て、一誌を除き小説の掲載が極めて少ないのに驚いたのが文芸時評の仕事始めだった。「どうも自分の文芸誌観は古かったようだ」などと書いたものだが、いま来年の新年号を見ていると、どこもにぎにぎしく力の入った小説を並べている。一年前のあれは何だったのか。今の時代、文芸誌の編集などというものが、これといった定見も信念もなく、まるで風に揺れる柳のようになされているということだけはよくわかった。

無理もない。時代の流れも出版業界の行方も文学の未来も誰にも全く見通せない今である。これから大きな変化があることだけは確かで、ただどんな変化なのかがわからない。勢い、やみくもな保守と冒険主義的な試みの間を行ったり来たりせざるを得ない。文芸誌だけの話ではないだろう。そうした中で、芥川賞候補作となった今村夏子の「あひる」を掲載した文学ムック『たべるのがおそい』の登場は、編集に携わる個人の見識が今の時代においてもいかに大きな力になりうるかを示し、心強かった。

近い将来にありうる政治的な変動や、技術的な進歩に伴う産業構造の変化(出版は大きな影響を被る業界の一つだ)はともかくとして、不可逆的な社会変化に目を向ければ、今の日本で起きている最も本質的なことは女性の地位の向上に尽きる。女性の声はどの分野でも日増しに大きくなっている。女性はこれまでの男性優位の男女関係を見直し、しばしばそれをゴミ箱に投げ捨てて、自分のあり方を自分で決定しようとしている。

コンビニ人間(村田 沙耶香 )文藝春秋
コンビニ人間
村田 沙耶香
文藝春秋
  • オンライン書店で買う
こうした変化は文学の世界にも如実に反映している。今年上半期の芥川受賞作である村田沙耶香の『コンビニ人間』(文藝春秋)も、いかなる固定観念からも自由に自らの生き方を決定していこうとする女性を主人公にした小説であった。今年発表された女性作家の作品について言えば、より大きな自己決定を目指す意識が核にある作品が大半だったといってよい。松田青子の『ワイルドフラワーの見えない一年』(河出書房新社)は、女性の視点の堂々たる打ち出しという意味で、今年を代表する作品である。

一方、男性作家の側も、女性の社会的台頭を受けて、おずおずと、不器用に、自らのあり方を問い直そうとしている。今年はようやくそんな作品が目立ってきた。印象的なのは李龍徳で、2014年のデビュー作『死にたくなったら電話して』に続き、「報われない人間は永遠に報われない」(『文藝』春号)でも、女性の主人公をそのパートナーである男性の視点から書いている。独自の世界観を持つ女性に導かれ、変わっていく男性。決然と行動していく女性に対して、男性はいかにも情けなく、フォロワーに過ぎない。過剰に明快な作品世界には現行秩序を根本的に転覆しようという意思が潜んでいる。今後の進境に期待したい力ある作家だ。

荻世いをらの二作のボディービル小説は「私のような?」(『すばる』三月号)が男性のボディービルダー、「In My Room」(『群像』八月号)が女性のボディービルダーを主人公としているが、男女の違いよりも、個人と自らの身体との関係を突き詰めることで逆説的に性別をも乗り越える境地を示しているように受け取れた。小説としても技巧に満ち、展開に意外性もあり、実に面白い書き手である。

そもそも文学の世界ではもう何年も前から、作家の質と量の両面で、ほぼ完全な男女平等になっていることは注目してよい。文学がいかに社会の変化を鋭敏に先取りして反映するかという一つの証拠である。

小説に比べ旧態依然としているのが批評の世界である。東浩紀は『ゲンロン4』の巻頭言で批評を「戦後日本固有の病」とし、「もう一度批評という病を取り戻さねばならない」と批評再興を掲げるが、『ゲンロン4』の執筆陣には男の名前ばかりがずらりと並ぶ。おそらくは性別に関して全く意識せずに選択された結果だけに一層、深く根を張った内なる閉鎖性が感じられる。「批評という病」の病因なのか症状なのかは分からないが、女性排除がその切り離せない一部であることは間違いない。

個々の論考には興味深いものが多く、座談会などの参加者の発言も勉強になった。だが、自民党ですら女性活用を盛んに言う二〇一六年末という時点で、これほどホモソーシャルな場で日本の政治、社会、文化について何が書かれ、言われようと、議論の有効性は自ずと限定されてしまう。

ジニのパズル(崔 実)講談社
ジニのパズル
崔 実
講談社
  • オンライン書店で買う
女性の台頭ほど目立たないが、着実に進むもう一つの変化は、日本において外国、特にアジア諸国の存在感が増していることである。経済的にもアジアとの一体性が高まり、少子高齢化の傾向に歯止めがかからない日本では人材供給源としてもアジアの若者に頼らざるを得ない。社会的摩擦を生みながらも、この流れは止まらない。特に、「技能実習制度」(これ自体は極めて問題が多いものだが)が介護分野にも拡大されることが決まり、日本社会を支える要の一つである介護人材をアジアからの外国人に頼る国の方針が明らかになったことは大きい。今後アジア系外国人は都市、地方を問わず、これまでに以上に私たちの生活において身近な存在になっていく。

単に人数が増えているだけではない。アジア各国で経済発展が続く一方、民主化のうねりも著しい。共産党一党体制の中国ですら、国内の世論の多様化は止めようがない。かつて日本はアジアで唯一近代化・民主化を遂げた国として、アジア諸国を平然と見下していたが、これからはそうはいかない。

アジア諸国をイコール・パートナーと見なしていかなければいかないが、それがどれほど大きな心理的抵抗を伴うかは、現代日本において「教養」とか「知」などと言われるものの多くが欧米産の言説であること一つとっても明らかである。欧米を先生とする学校で一等賞を取る優等生としての自己イメージは、いまだに日本人の意識を強く規定しているのである。

こうしたアジアの存在感の拡大は文学にはいまだほとんど反映されておらず、来年以降の動きとなる。そうした中で在日コリアンという立場から、世界のあり方に正面からぶつかっていく女性を描いた崔実の『ジニのパズル』(講談社)の登場は画期的なものがあった。今後の更なる飛躍に期待したい。
2016年12月23日 新聞掲載(第3170号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
友田 健太郎 氏の関連記事
この記事の中でご紹介した本