グローバリゼーション再考 ――TPP・軍隊・監視社会――|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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論潮
2016年12月2日

グローバリゼーション再考 ――TPP・軍隊・監視社会――

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米国大統領選挙でのドナルド・トランプの勝利という結果によって、世界はその不透明さを増している。大統領選挙にあわせて世界情勢を分析する論考が多くみられたのが、この数ヶ月の「論壇」の特徴であった。トランプの一挙手一投足に目や耳を奪われるのではなく、まずは、私たちが生きているグローバルな世界のありようを自分たちの言葉で考えることが大切ではないだろうか。

TPPは大統領選をめぐる論点の一つであった。日本では一一月、衆議院での強行採決が行われたが、当選後のトランプはTPPからの離脱をあらためて表明した。ヒラリー・クリントンも懐疑的立場であったのだから、安倍政権の政治的・外交的な稚拙さを指摘することは容易だが、それは本質的な問題ではない。論じるべきはTPPに焦点化されるグローバルな資本主義の今日的ありようである。

舟山康江はTPPによる地域社会に与える影響を指摘している。それは「公営事業体」や協同組合が担ってきた水道や健康保険、医療などの事業の破壊、公共事業の「自由競争」強化による地場の業者へのダメージ、関税の撤廃・引き下げによる農業の破壊などである(「TPPが地域を破壊する――農政は本来の責務に立ち戻れ」『世界』一二月号)。椿邦彦は、夏の参議院議員選挙において、北海道で民進党が三議席中二議席を獲得し、青森、岩手、宮城、山形、福島の選挙区で野党共闘候補が勝利したことに注目し、現政権が進めるTPPへの危機感と反グローバリズムの一端があらわれていると分析する。その上で、椿は今後の運動課題として、教育・医療・福祉の無償化を通じた市場支配の範囲を狭めていくこと、生協運動や労働運動に根ざした「公益性の高い事業」を進めること、労働市場に対する規制強化などを提案している(「国家、市場経済、グローバリゼーション」『情況』八・九月号)。これらの政策的方向性は、バーニー・サンダースが選挙運動を通じて主張したこととも重なっている(「諦めるなどという贅沢はありません、いいですか?」『世界』一二月号)。

また、斎藤幸平が論じているように、資本蓄積の運動は土地や環境を従属させ、それらのもつ本来の力を維持するために必要な時間や速度と大きな齟齬を生みだす。グローバリゼーションは世界各地の土地と環境の破壊、すなわちエコロジーの危機としても考察されなければならない(「マルクスのエコロジーノート」『ニュクス』三号)。

これらの論考に共通するのは、グローバリゼーションがコミュニティ、人びと、そして土地のもつ自律的で持続可能な営みを破壊しているという指摘だ。この点を批判的に考えていけば、私たちは軍隊の今日的位置と機能についても考えなければならない。

ここで、日本ボランティアセンター(JVC)の谷山博史による論考を参照しよう(「南スーダンPKOの本質と自衛隊新任務」『世界』一二月号)。安全保障関連法に基づき新任務を付与された自衛隊はついに国外へと派遣され、南スーダンでの活動を開始した。現場を知るNGO職員がみれば、そこは政府答弁と異なる「紛争状態」だ。紛争の主な原因は石油や鉱物などの資源にある。国内勢力がその利権を争うだけでなく、海外の資本がそれに群がり、既に六%の土地が海外資本によって占有されている。グローバルな資本による土地収奪は南スーダンに限らず、いわゆるポスト・コンフリクト国を中心にさまざまな地域で起きてきた。日本も無縁ではない。長い内戦を経験したモザンビークではJICAとモザンビーク政府、そしてブラジル政府が共同で「プロサバンナ事業」を始め、日本の耕作面積の三倍の広さの土地の開発を進めている。農民はこの事業によって土地を奪われ、維持してきた作付体系が破壊されるとして大規模な反対運動を展開、それに呼応する日本のNGOも反対運動を行ってきた。だが、事業と連動した海外投資家による土地収奪は止まらない。谷山が紹介する「もっと弱い国がいい。強い国を相手に回すのにはコストがかかる」という投資家の言葉からは、資本にとって戦争や紛争、民族的対立は好機であることが明らかだ。

だから、グローバルな資本蓄積の動き――モザンビークや南スーダン、あるいは日本の東北地方で進む農業の破壊と土地の占有・収奪――と軍隊の積極的展開や紛争へのコミットメント(とその意図された失敗)は相互補完関係にある。資本の移動と蓄積が軍隊と直接・間接に連動している。ここで日本政府が食糧自給率を下げ国内農業を破壊するTPPを推進しながらも、同時に、食糧や石油の輸入が滞る「存立危機事態」に対処するとの論理で集団的自衛権行使を正当化してきたことを想起したい。資本と軍隊は危機をつくりつつ利用する。「国民の安全」や「国益」という概念は、資本蓄積の暴力を「平和」的にコーティングするものだ。

また、グローバル化のなかで軍事的な攻撃の対象は日本社会の外にあるだけではない。田仲康博は「紛争地に軍隊を送りながら、同時に自分の内側に敵を探」し、「テロリスト」を「内側にいるかも知れない」と考えるような、潜在的な恐怖や怯えを抱えているのが米国や日本の社会のありようだと分析する。私たちは、「テロリスト」を外部に見出すと同時に、国家・資本によって監視される客体・対象でもある。よって、「我々すべてがテロリストだ」――田仲のこの指摘は突飛なものではない(板垣雄三・丸川哲史・田仲康博・深沢一夫「二〇一六年〈四・二八〉シンポジウム 世界史の中の沖縄/辺野古 全記録」『情況』八・九月号)。

小笠原みどりの監視社会論を参照しよう。日本における監視技法は台湾や朝鮮などでの戸籍制度、身分証や指紋による人の管理などの植民地統治にルーツをもち、その後、外国人登録法へと移行する。入国審査や警察の職務質問において人種的・民族的差別があからさまになるように、現代においても、中心的な監視対象は旧植民地とその出身者だ。だが、生体認証などが社会全体で活用され、身体データを収集・蓄積・共有されることがあたりまえになってきた。小笠原は「反テロ戦争」のなかで、植民地で開発された監視技術がすべての社会と人々に使われるようになっていると指摘する。日本社会では「平和」を求める市民やNGO職員はテロリスト(予備軍)としてリストアップされる。このような監視社会は、「すべての人々を監視せずにはいられない権力」と、「この権力と一体化している技術」を受け入れてしまっている私たちによってつくられている(「スノーデンが日本に問いかけるもの(下)」『世界』一二月号)。

今年ヒットした「ポケモンGO」は「位置情報やAR(拡張現実)を活用したゲームの可能性を開いた」と高く評価されている(中川大地「ゲームは現実よりも強い」『潮』一二月号)。だが、ゲームが、自らの位置などのパーソナルな情報を積極的に提供する身体や欲望を生み出し、監視システムを支えてしまうことについて、あまりにも無自覚ではないか。ゲームからの指示は、いつでも、国家・軍隊・資本からなるグローバルな網の目に接続するだろうし、それは既に起きている現実だ。

グローバリゼーションは私たちの自律的な力と社会のありようを壊しつつ、それによって喚起される恐怖や不安の感情を、際限なき資本蓄積と軍事化の流れのなかに回収している。その流れに穴を開け、自律性をつくりなおし、つなぎあわせることが求められている。南スーダンやモザンビークの民衆、反トランプデモを続ける人びとのなかに、私たちは仲間を見つけ、また、それらの人びとの仲間になることができるだろうか。グローバルな民衆蜂起のなかに自らの恐怖と怒り、希望を見出すことからはじめよう。
2016年12月2日 新聞掲載(第3167号)
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