立松和平の文学 / 黒古 一夫(アーツアンドクラフツ)立松和平を「鏡」として考え続けた軌跡|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2016年12月16日

立松和平を「鏡」として考え続けた軌跡

立松和平の文学
出版社:アーツアンドクラフツ
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立松和平が亡くなったのは、二〇一〇年二月八日。遺作は『白い河―風聞・田中正造』であった。その結末は、足尾鉱毒事件で明治政府によって強制廃村に追いやられた谷中村の村民が日露戦争に動員されるという、皮肉を通り越して、何ともやり切れない陰惨な出征場面であった。

「兵隊さん、頼むぞーっ」

「手柄を立てて帰ってこいーっ」

歓呼の声の中にひときわの大声が響き渡った。高崎駅のまわりは大群衆が取り囲み、軍歌を声を合わせて歌っていた。歌いながら泣いている人もたくさん目についた。まわりの兵と手足の動きも表情もあわせながら、大六は鉱毒反対運動ではこれらの人と戦っていたのだと気づいた。これは恐ろしいことである。まわりの熱気とは裏腹に、大六の血は凍りついていくように感じられた。戦争に狂奔する大衆の耳には、田中先生や自分たちが鉱毒被害をいくら訴えたところで、その声は届きそうもない。それどころか逆に自分たちに襲いかかってきそうである。


日露戦争で使われた弾丸は、ほとんどが足尾で産出された銅を原料としていた。富国強兵の影で強制廃村させられた「棄民」が、最前線の死地へと追いやられる。反対派の「棄民」が戦争で最終的に抹殺・粛清されるのだ。好戦一色と化した大衆にとって、もはや被害民の声は、国民の士気を削ぐ、目障りなもの以外ではなくなる。大衆が被害民に襲いかかる。被害民にとって、大衆こそが敵と化す。まさに「これは恐ろしいことである」。立松は、小田実に倣って「タダの人=庶民」の悲喜劇をひたすら見つめようとした作家であったが、その「タダの人=庶民」が制御不能なまでの恐ろしさをあらわにする瞬間を、最後に書き残して亡くなった。

本書は、『立松和平――疾走する「境界」』(一九九一年)、『立松和平伝説』(二〇〇二年)に次ぐ黒古一夫による三冊目の立松和平論である。二〇一〇年一月から二〇一五年一月まで、立松の死を挟み、五年をかけて刊行された『立松和平全小説』(全三〇巻+別巻一)の各巻に付した「解説」を全面的に書き直し、その全業績を時間軸に沿ってまとめた「評伝」スタイルの作家論になっている。

黒古は、村上春樹とともに同世代の立松和平を出会ってから四〇年近く論じ続けてきた伴走者でもあった。村上春樹と立松和平。団塊の世代にして、全共闘運動に関わった二人の同世代作家は、黒古にとってあの体験の意味とその後のみずからの変容と立ち位置を批判的に明視し続けるための、不可欠な「鏡」の役割を果たしてきた。「立松が逝ってから五年余り、今でも『文学的盟友』を亡くしたという思いが消えない。というのも、振り返ってみると、私は立松の仕事を『鏡』として自分の文学に関わる諸々(思想や方法)を鍛えてきたと思っているからである」。村上春樹に関しては、とりわけ近年、黒古にとって毀誉褒貶相半ばする屈曲した「鏡」と化し、その関係は迷走を極めているが、立松和平に関しては四〇年間ほぼブレがない。それほどに立松という「鏡」に対する黒古の信頼と絆は深く、揺らぐことがなかった。本書を読むと、それがよくわかる。ここでは「文学的盟友」という言葉が何のためらいもなく使われる。

屈曲した「鏡」と、精緻な「鏡」。黒古はたえず対照的な、ある意味相容れることのない対立するふたつの「鏡」を頼りに、みずからの批評眼を鍛え、同時代に向き合い、ひたすら考え続けてきた。本書はその軌跡といってよい。

立松の死後、「谷中村」は再び現実になろうとしている。いまやそれは日本中に拡散している。この国は「棄民」を必要としている。実際、被害をいくら訴えたところで、その声は届きそうもない。それどころか逆に被害者たちに襲いかかってきそうな国民総右傾化の勢いが現実になろうとしている。

作家は「鏡」でありたい。文学は精緻な「鏡」であってほしい。本書を読むと、あらためて立松の死を重く受け止めざるを得ない。
この記事の中でご紹介した本
立松和平の文学/アーツアンドクラフツ
立松和平の文学
著 者:黒古 一夫
出版社:アーツアンドクラフツ
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2016年12月16日 新聞掲載(第3169号)
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