しんせかい / 山下 澄人(新潮社)したたかに、すっとぼけた語り手 反記号論的な二つの短篇|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2016年12月16日

したたかに、すっとぼけた語り手
反記号論的な二つの短篇

しんせかい
出版社:新潮社
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しんせかい(山下 澄人)新潮社
しんせかい
山下 澄人
新潮社
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すっとぼけた語り手だ。したたかに、すっとぼけた語り手だ。
その語り手「ぼく」は高校卒業後アルバイト生活。ある日「家に間違えて配達された」新聞に載っていた記事を読んで、本文をそのまま引用すれば「俳優と脚本家、脚本家というものが何なのかよくわからなかったので辞書で調べた、を目指すものを育てる知らない名前の人の主宰する場」(煎じ詰めれば演劇道場)に応募することを決意、では強すぎるので、ゆるく心に決める。どのあたりがすっとぼけているか。「ぼく」は間違えて配達された新聞を開いているが、正しく配達される新聞は開くかといえばそんなふうには見えないし、また「ぼく」という語り手は、カッコ付けにするのが面倒なのか、あるいはカッコを使うことなど眼中にないのか「脚本家というもの~辞書で調べた」を「、」でやり過ごす。収録された二篇のうち、応募し試験を受けに関西から上京するくだりが後録の「率直に言って覚えていないのだ、あの晩、実際に自殺をしたのかどうか」に、試験に受かり、【先生】になった「知らない名前の人」の北海道富良野の塾に移り住み、その新世界で一年間もっぱら肉体労働に勤しむくだりが前録の表題作「しんせかい」に綴られる。ちなみにこの本の題字は、どうやら実在するその【先生】がしたためたらしい。

では、どのあたりがしたたかにすっとぼけているか。

塾の近くの農家に手伝いに行く場面。無口な老いた農夫の要望は穴掘り。「人糞肥料だ」「穴が掘られたらあのうんこをここへ運ばせられるのか。そのためのひしゃくにバケツか。嫌だなぁ。はじめる」といった具合に時間がすっ飛ぶ、そんな箇所がいくつもあり、ところがそれらのどれも不自然さがない。ようするに「なぁ。」と「はじ」のあいだには確かに、ないのになにかがある。つぎに、その穴を掘っているうちに気分が悪くなり、底でうずくまる場面。心配した老農夫は「あわてて穴から飛び出して家へ飛んで入り【谷】へ電話をかけた。食堂棟の白い電話が鳴った。食事当番のミュキさんが出た」と語り手の「ぼく」は語るが、穴の中にいる「ぼく」に一連のそうした動きが見えているはずもない。しかし、これも不思議と不自然でない。なぜか。それは、不自然に思わせないすっとぼけた語り口のなせる技に他ならない。したたかだ。したたかだが、語り手はしたたかさに対してもすっとぼけてみせる。「しんせかい」の結末三行にそれはある。

そしてつぎは、したたかさの真骨頂。塾に入ってはじめての冬が訪れる場面。

雪には様々な様子があることをここではじめて知った。小さな固い粒のような、ほとんど直線で降って来るものもあれば、大きく湿ってぼたぼたと落ちるように降って来るもの、水気のないかすかな風に揺られながら、ときには下から上へ舞い戻されながら降って来るもの、そしてわっさわっさと積もるために降って来るもの、それらがその姿を見る見る変えていった。


これはまるで記号論だ。否、反記号論だ。順番に、小米雪、牡丹雪、灰雪ときて、さあて「わっさわっさと積もるために降って来る」雪はなに雪と呼ぶのだったかな、などという記号論的に人間的で野暮な真似を「ぼく」はしない。ぜったいに。言葉を換えれば、「ぼく」はいまある言葉によって世界を見ない、いまある言葉をあてがうことによって世界を見たつもりにならない、だから「ぼく」の世界は言葉によってはつくられない。そしてそれは、語り手である主人公「ぼく」をしたたかに制御する、作者の本能でもある。

この記事の中でご紹介した本
しんせかい/新潮社
しんせかい
著 者:山下 澄人
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
2016年12月16日 新聞掲載(第3169号)
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