◇自律性が花ひらくとき◇ できあいの選択肢のなかで、行き場 を無くした怒りと力を言葉にかえる|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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論潮
2016年12月23日

◇自律性が花ひらくとき◇ できあいの選択肢のなかで、行き場 を無くした怒りと力を言葉にかえる

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こだましあう声が聞こえている。「日本を取り戻す」と叫ぶ政治家、「コントロールを取り戻せ」とEU離脱を決めた国民投票、そして、「再び偉大なアメリカを」というスローガン。

人びとの怒りが渦巻いている。貧困の拡大、失業や解雇、住まいの不安、奨学金という名の学生ローン、テロリズム、ジェンダー・民族・人種・宗教をめぐる差別や排除、終わらない戦争と軍事化。本連載で述べてきたように、これらの怒りは、グローバルな資本主義とそれを支える国民国家が構造的に抱え込んでいる矛盾である。

論壇の争点は、グローバリゼーションか国民国家への回帰かという二者択一となる傾向がある。そして、国民国家への回帰を求める声が強まっている。そのため、主張の違いは国民国家回帰の方向性のヴァリエーションに過ぎなくなる。軍事主義的で排外主義的な保守的国家への回帰なのか、それへの反発から、リベラルな福祉国家への回帰なのか、という違いだ。両者の関係は拮抗せず、保守主義がますます強まっている。

その一方で、リベラルとされる論陣は徐々に後退していることに気づく。たとえば、参議院選挙や都知事選挙では、多くの論者が野党共闘への支持や期待を表明し、その必要性を訴えた。だが、冷静にふりかえれば、武器輸出解禁や尖閣諸島国有化、消費増税、原発再稼働、辺野古新基地建設などの政策を方向づけたのは民主党政権だった。私たちは近過去でさえ簡単に忘れてしまう。あるいは、忘れたふりをすることに慣れ、「いまはそれを話し合っている場合ではない」という言い訳で同調を促す。

だから、私たちは体制を支持することを通じてだけでなく、体制に反対し抗議することを通じてさえ、抑圧的な社会をつくりだす。八月の戦争報道や天皇の「お言葉」をめぐって、天皇が戦争を忘れず平和を願うリベラル派の象徴のようにとる論考が増えた点は気になった。天皇制が家父長制や国民統合のイデオロギーでありつづけているとの批判は消されつつある。

あふれる怒り、闘う文化、敵対する身体は、用意された二者択一のなかで行き場を無くしている。そうさせているのは論壇でもあるだろう。

だから、大切なのは、私たち一人一人が怒りの直接性と敵対性を奪われないことだ。そして、そのための条件を共同の営みとしてつくっていくことだろう。本連載を通じて、私は次のようなことを確認することができた。

第一に、現体制が受け入れそうなもっともらしい対案を自ら用意しないこと。たとえば、沖縄では苛烈な弾圧にさらされながら、人びとは辺野古新基地建設を止め、高江でのヘリパッド建設工事を遅らせてきた。「本土での基地引き取り」という対案を用意することが必要だと主張する高橋哲哉との対談で、目取真俊はこう述べた。「辺野古が行き詰まっているのは結局、移設先探しをやっているからなんですよ。/みんな基地、軍隊は嫌だからどこでも反対が起こる、当たり前のことです。移設先探しをしていたら、この問題は解決しないんです。それよりは座り込みでゲートを封鎖して、1週間も基地が正常に運営できなくなれば、米軍が沖縄に基地を置いておくのはダメだと思う、そういった状況を作り出さない限りは沖縄から基地は撤去できない」(「共に行動すれば基地のない沖縄は可能だ」『AERA』二〇一六年六月二七日)。いやなものはいやだ。その声と直接行動が既存の選択肢を覆し、日米両政府の政策を追いこんできた。反トランプデモ、朴槿恵退陣要求デモ、イギリスの反EUの声のなかにも、選択しないという選択のもつ力が流れている。

第二に、自律的なコミュニティをつくること。たとえば、松本哉『世界マヌケ反乱の手引書――ふざけた場所の作り方』(筑摩書房、二〇一六年)は、資本主義から積極的に脱落することの可能性と創造性を実践的に示している。本書が面白いのは、そのような実践とそれを支えるスペース(リサイクルショップ、イベントスペース、カフェ、ゲストハウス)が韓国、台湾、中国、香港などで同時多発的につくられ、相互につながっている点だ。政治家は国境をめぐる対立を強調する。人びとはそのくだらないゲームから降り、国境を越え横断し、国家から自律したコミュニティをつくりつづけてきた。この流れが広がるなかで、グローバリゼーションとも国民国家回帰とも異なる世界は具体的に姿をあらわすだろう。

第三に、言葉や本が重要な役割をもつということ。なかでも読者を限定した小規模な雑誌やローカルなミニコミに力を感じた。『Chio』、沖縄の『けーし風』、熊本の『アルテリ』、各地のZineなどに引きつけられた(最近のものではいちむらみさこ・KTBender『2016RIO Anti-Olympics Report』が素晴らしかった)。

山田真は一九九三年の『Chio』創刊をふりかえりこう語っている。「日常のくらしのなかで疑問を感じたり考えこんだりしてしまうと、いつのまにか少数派になり異端視されて、つらい生活になるのですね。/少数派も集まれば力になるし、この社会を変えていくのは少数派のはずだと思って、ぼくたちはエールを送ることにしました」(「春と二三年めのリニューアル」『Chio』一一一号)。世の中に同調し、できあいの言葉を使うのではなく、自分の言葉を手放さない営みは社会変革の始まりなのだ。

優れた言葉と文章によって、私たちは少数派になることを引き受け、喜び、新たなコミュニティをつくりだすことができる。いま、必要とされているのはそのような言葉の自律性ではないだろうか。世界の矛盾が絶対的なものへと深められるとき、私たちの力は鮮やかに花ひらくだろう。

最後に、この場を借りて、本連載を読んで下さった読者の皆さんに心から感謝申し上げたい。ありがとうございました。
2016年12月23日 新聞掲載(第3170号)
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