2016年回顧 英文学 「英文学」の成熟、あるいは、ポピュラーなるものの再考|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2016年12月23日

2016年回顧 英文学
「英文学」の成熟、あるいは、ポピュラーなるものの再考

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二〇一六年のイギリス文学を回顧するのに、金井嘉彦・吉川信編著『ジョイスの罠――「ダブリナーズ」に嵌る方法』(言叢社)のことから、話をはじめたい。ジョイスの短編集『ダブリナーズ』出版百周年の刊行を目指して二〇〇九年に立ちあがった、東京をベースとするが日本全国からメンバーが参加する研究会が、すべての論文に対する批判的コメントをおこなうピア・リーディングとそれぞれ数度の書き直しを経て、二年遅れで、まとめたのがこの論文集だ。金井嘉彦「あとがき」には、「われわれはジョイスの罠……に嵌るまいとしてまんまとジョイスの罠に嵌ってしまったと気がつくとき」に眩暈に襲われ「暗闇」に突き落とされるが、この暗闇にこそ「光を見つける目を手に入れること」を求めた、とある。「最先端を行く研究書」を目指した各論文は、当然あまたある先行研究にあたったうえで、「これまでにまだ言われていないことを探し出す作業」を提示するのみならず、末尾には欧文・和文の引用・参考文献ならびにインデックスもきっちり充実したものをつけている。また、ケンブリッジ大学出版局版を底本とする「完全復刻版、本邦初訳!」となるD・H・ロレンス『息子と恋人』小野寺健・武藤浩史訳(筑摩書房)は、子弟関係にある二人が協働した集団的プロジェクトである。ロレンスの有名な英国小説に新たなかたちでさらに自然な近づきやすい日本語でアクセスすることができるようになったことはもちろん重要だが、この仕事の集団性の意味は、恩師小野寺の仕事を引き継ぎ完成させた武藤の「訳者あとがき」に提示された、これまでのロレンス研究の成果をきちんと踏まえたうえでの、知と情熱のこもった小説テクストの解釈・解説および武藤自身の新たな読みにある。

これら二つの仕事は、たとえば夕暮れの豊穣な光のなかでこそ享受できるような贅沢にして良質な成熟を、つまり、オランダの文化史家ヨハン・ホイジンガが「中世の秋」に見出したような華やかな光輝につつまれた文化の歴史的状況を、指し示しているようにも思われる。個人作家の論文集あるいは小説の翻訳というかたちをとっているが、いずれの場合も、たんなるアカデミックな同業者向けの研究書や一般読者向けの邦訳などではなく、高いレヴェルを保ったポピュラーな「教科書」または「研究案内」としても十分機能するような体裁となっており、二一世紀のいまこそ、大学・大学院のクラスルームにおいて、さらにまた、そうした学校制度を横断して変容するさまざまな教育空間において、読者たちが、手に取り読んでほしいテクストとなっている。

かつて、米ソ冷戦体制がほぼ安定化・固定化する一九五五年頃のこと、イギリスの文学・文化が、明治末期・大正以来の不遇の時代を経て、「ブーム」としてリターンしてきた歴史的契機、たとえば、ポスト占領期日本において「英文学」あるいは「教養としてのシェイクスピア」を啓蒙的な輸入・紹介・概説を通じて実践した福原麟太郎・中野好夫の時代があったのだが、現在のわれわれに必要なのは、このような冷戦期の「英文学」の「ブーム」のリターンを、イギリス文学にかかわる者が、きっちりと、歴史化する作業だ、たとえば、以下のようなアメリカ文学その他の分野で仕事をする人たちと協働して。まずは、宮本陽一郎『アトミック・メロドラマ――冷戦アメリカのドラマトゥルギー』(彩流社)や細谷等・中尾信一・村上東編著『アメリカ映画のイデオロギー――視覚と娯楽の政治学』(論創社)。と同時に、『新時代への源氏学――架橋する〈文学〉理論』助川幸逸郎・立石和弘・土方洋一・松岡智之編(竹林舎)、とりわけ、田代真「〈理論〉から遠く〈離れ〉て――小西甚一における「離れ」と〈架橋〉」における高橋康也や篠田一士、等々、の英文学者への言及。

もちろん、イギリス文学の分野でも、ヨーロッパのなかの英国のナショナルな「社会」の変容をたどりローカルな空間ウェールズから発せられたレイモンド・ウィリアムズの社会主義とその文化のプロジェクトを「翻訳」しようと試みた『「わたしのソーシャリズム」へ――二〇世紀イギリス文化とレイモンド・ウィリアムズ』大貫隆史(研究社)があるし、そしてまた、フェミニズムの可能性を、文学テクストにかぎらない多種多様な言葉と欲望を手がかりに、「『働く』女たち」において、探った『終わらないフェミニズム――「働く」女たちの言葉と欲望』日本ヴァージニア・ウルフ協会・河野真太郎・麻生えりか・秦邦生・松永典子編(研究社)が、すでに存在している。二一世紀のいま、たとえば、英国のEU離脱問題や米国大統領選といった例も、たんに政治的な社会民主主義の危機といった議論を引き起こすだけのものというよりは、多様なメディア空間に媒介されて(再)生産され実体化されたかにみえるポピュリズムの政治文化、あるいは、そもそもポピュラーなるものを再考することをわれわれにうながしているのではないか。

2016年12月23日 新聞掲載(第3170号)
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