2016年回顧 フランス 切れ切れにしか思い出せないことこそを語ろうとする作品がいくつも|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2016年12月23日

2016年回顧 フランス
切れ切れにしか思い出せないことこそを語ろうとする作品がいくつも

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今年の回顧には、フランスの批評家アントワーヌ・コンパニョンの言葉がぴったりくる。すべてを語るには、「記憶の表面を覆う茨を描き分け、忘却の腐植土を掘り返さなくてはならない」というのだ(『書簡の時代――ロラン・バルト晩年の肖像』中地義和訳、みすず書房)。この言葉通り、忘れ果て、切れ切れにしか思い出せないことこそを語ろうとする作品がいくつもあった一年だった。

パスカル『パンセ』(上・中・下、塩川徹也訳、岩波文庫)は、早世した十七世紀の天才数学者・物理学者が、なぜキリスト教護教論を書こうとしたのか、そもそも『パンセ』がどのような書物なのかを想起しようとする壮大な企てである。それが企てなのは、編者・訳者によれば、現在に至るまで決定版となる底本が存在しないためだ。これほど名高い作品でありながら、依拠すべきテクストさえ存在しない作品が書かれた経緯、刊本の歴史を詳述し、どのような本の形態がもっとも作者の意に添うものなのか、生涯と思想の徹底した検討を通して推理するきわめてスリリングな編集がなされている。下巻に名文句だけを集めたアンソロジーが収録され、これだけで『パンセ』を読んだ気になるのだが、それが本全体の六%ほどの量でしかないことに愕然とする。

ロベール・シャール『フランス名婦伝』(松崎洋訳、水声社)は、十八世紀に匿名で書かれたレアリスムの傑作、作者はドン・キホーテ第四部の作者でもあるなど、途方もないうわさでしか知られていなかった作品を、三百年の眠りから呼び覚ました翻訳。読みはじめると止められない怪作である。財産を譲れば邪険にされると恐れ、娘に自由な振る舞いを認めながら結婚は許さない親父や、体を許した途端、身の破滅となる弱い立場を逆手に取り、自分に言い寄る貴族から驚くべき譲歩を引きだす小間使いの話が、なぜこれほどおもしろいのか。社会制度も、家族や結婚に対する考え方が変わっても、人間性の根幹をなす部分があまり変わっていないためなのだろうか。

ロジェ・グルニエの最新作『パリはわが町』(宮下志朗訳、みすず書房)は、パリの通りにちなむ様々な思い出を述べる文章。一九四四年八月のパリ解放をめぐる回想に入った途端、ゆったりとした寄り道感覚が激変、殺されていてもおかしくなかった日々の思い出が克明に綴られる。ル・クレジオ『ラガ――見えない大陸への接近』(管啓次郎訳、岩波書店)は地球の三分の二を占める太平洋の無数の島々を大洋によってできた大陸とみなし、とりわけ南西太平洋のメラネシアの生活を語る。香木、ナマコ、海亀が枯渇した後、ブラックバーディングと呼ばれる人身売買がなされた歴史は、そのまま現在に深い穴を穿っている。冒頭で触れたコンパニョンの新作(『書簡の時代』)は、バルトからの書簡を核に、青年時代の作者と晩年のバルトが交錯する日々を描いた作品。書簡の束は引用されないまま、伝記とも批評とも小説ともつかない独特の調子で回想が語られる。不安定で激しく揺れる青年の感情を通して現れるバルトの姿が生々しい。

個人の記憶をはるかに超える、多層の声をめぐる考察も印象に残った。ブリュノ・クレマン『垂直の声――プロソポペイア試論』(郷原佳以訳、水声社)は、悲劇、抒情詩、物語から思想に至るまで、不在の者が突如として語りだし、作品に生気を吹きこむ瞬間を多角的に分析している。フランソワ・ビゼ『文楽の日本――人形の身体と叫び』(秋山伸子訳、みすず書房)は、文楽に関するフランス受容の幅広い知識を活かしながら、舞台で演じているのは誰か、人形と人形遣いと太夫がはっきり分かれているのに、なぜ俳優の身体以上の統一性が舞台に現れるのかを追究する。

埋もれていた処女作の翻訳紹介もあった。パトリック・モディアノ『エトワール広場/夜のロンド』(有田英也訳、作品社)は、後の平易な文体からは考えられない錯綜した初期作品を、詳細な注と解説で蘇らせ、ドイツ占領時代のフランスがどれほど深くこの作家の想像力に根づいているのかを示した。ジョルジュ・ペレック『傭兵隊長』(塩塚秀一郎訳、水声社)は、作者自身が散逸したと勘違いしていた処女作。父親を戦争で、母親を強制収容所で殺され、「ぼくには子どもの頃の思い出がない」と後に語る作家が、作品においては殺人者として語り始めているという事実に胸を打たれる。エドゥアール・デュジャルダン『妄想と強迫――フランス世紀末短編集』(萩原茂久訳、彩流社)は、制御できない闇に追い込まれ、発作的に行動する意識への恐れと戦きを綴った初期の散文を集める。

紙幅の関係でもはや列挙するしかないが、他にもディドロを自己増殖する言葉の力を解放した哲学者と捉え直す田口卓臣『怪物的思考――近代思想の転覆者ディドロ』(講談社選書メチエ)、十九世紀後半の文学史を書店、出版者、編集者の側から語り直す石橋正孝・倉方健作『あらゆる文士は娼婦である――19世紀フランスの出版人と作家たち』、詩の根源に憐れみという感情を見るミシェル・ドゥギー『ピエタ ボードレール』(鈴木和彦訳、未來〓)「オートマティックな持続」という視点からシュルレアリスムを読み直すジョルジュ・セバッグ『崇高点――ブルトン、ランボー、カプラン』(鈴木雅雄訳、水声社)、早世したシュルレアリストの貴重な紹介ルネ・クルヴェル『おまえたちは狂人か』(鈴木大悟訳、風濤社)、研究と評論のはざまに身を置き、夜をめぐる緻密な思考を展開する酒井健『夜の哲学――バタイユから生の深淵へ』(青土社)、オペレッタやスノビズム等、一見軽い視角から作品世界に深く切りこむ吉川佳英子『『失われた時を求めて』と女性たち――サロン・芸術・セクシュアリティ』(彩流社)、著者との交遊を活かして様々な未刊行資料を盛りこんだ西永良成『小説の思考――ミラン・クンデラの賭け』(〓凡社)、日本初のモノグラフィー中村隆之『エドゥアール・グリッサン』(岩波現代全書)等があった。

最後に、モーリス・ブランショ『終わりなき対話』(一九六九年)の翻訳が、全三巻の予定で始まったことを付言したい(湯浅博雄・上田和彦・郷原佳以訳、筑摩書房)。これほど翻訳が待たれていた本はないと断言できる。(つかもと・まさのり氏=東京大学教授・フランス文学)

2016年12月23日 新聞掲載(第3170号)
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