2016年回顧 中国 何が翻訳されるかよりそれをどう読むか論じた方が有意義 |書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2016年12月23日

2016年回顧 中国
何が翻訳されるかよりそれをどう読むか論じた方が有意義

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今年は魯迅逝去八〇周年にあたり、中国国内で記念行事が行われたが、一方で中華民国期文学が次第に遠ざかっていく感もある。だが時の経過と共に文学の蓄積が増えることはむしろよいことだろう。文学は作家によって書かれた瞬間に過去に属するが、読者が読むことで誕生する、現在・未来に属する芸術でもあるからだ。折よく今年は『日中の120年文芸・評論作品選』(全5巻、岩波書店)、『中国現代散文傑作選1920↓1940』(勉誠出版)が刊行され、文学史的な俯瞰が容易になった。個別作家でも巴金『寒い夜』(再版、立間祥介訳、岩波文庫)、『豊子愷児童文学全集』(全七巻、日本僑報社)があり、更に中国近代思想理解に欠かせない陳独秀の著作集『陳独秀文集』(全三巻、平凡社)の刊行が始まるなど、民国期の優れた作品・文章を日本語で読む機会が増した。また魯迅、巴金等の研究書も出版されている。

最新の中国文学の翻訳に関しても、今年は翻訳点数が多い年だった。それが日中の文化政治に関係していたとしても、今は何が翻訳されるかより、それをどう読むかを論じた方が有意義だろう。それを反映させて紹介すれば、まず閻連科が挙げられる。昨年は『死者たちの七日間』(飯塚容訳、河出書房新社)の余華がクローズアップされたが、今年は来日講演が続いた閻連科が注目を浴びた。散文集『父を想う』(飯塚容訳、河出書房新社)とも共通するが、小説『年月日』(谷川毅訳、白水社)で過酷な大地に生きる老人と犬を描き、農民と大地という中国農民のステレオタイプを連想させる民話・神話的世界を語った。だが、そこには余華のように生死を凝視する緊張感はなく、伝統的な語り物に似た「中国的」物語が展開される。

これは今年翻訳紹介された他の作品にもある程度共通する。中国古代地理書『山海経』のパスティーシュのように始まる賈平凹『老生』(吉田富夫訳、中央公論新社)、山西省の僻村を舞台とした曹乃謙『闇夜におまえを思ってもどうにもならない』(杉本万里子訳、論創社)、江蘇省の農民説話のような趙本夫『涸れた轍』(永倉百合子訳、朝日出版社)、更には日中戦争期河南省の大量餓死事件を巡る「不都合な真実」を描いた劉震雲『人間の条件1942』(劉燕子訳、集広舎)まで、共通するのは戦争、革命など社会の激変の中を生きる農民や庶民の哀歓や欲望を描いた作品であることだ。ただ、それとは逆に無名の民が無名のまま生きる姿を描くのも小説の形である。作家が「賑やかな集会をやっている脇の道を歩く」(閻連科一一月五日来日講演より)存在だとすれば、視覚障がい者の夢や日常を淡々と描く畢飛宇『ブラインド・マッサージ』(飯塚容訳、白水社)は、それを実践した作品とも言える。

台湾文学は今年も読者を引き付ける力のある作品の刊行が続いている。蘇偉貞『沈黙の島』(倉本知明訳、あるむ)は、共同体意識が身体や性に凝縮、拡散する姿を、平行する二つの鏡像として描いた佳作である。また鄭鴻生『台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年』(天野健太郎訳、紀伊國屋書店)は、母が息子に語る自分史が台湾近代史まで繋がっている。最後に、日本語文学の可能性を見事に実践している温又柔のエッセイ集『台湾生まれ 日本語育ち』(白水社)、及びポストコロニアルの視点から台湾文学を読む時の参考文献として、星名宏修『植民地を読む 「贋」日本人たちの肖像』(法政大学出版局)を推奨しておきたい。
2016年12月23日 新聞掲載(第3170号)
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