2016年回顧 ノンフィクション 今年も発見の連続 自分の足で、目と耳で真実へとにじり寄る/虚実を剔出する意気込み/精力的取材…|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2016年12月23日

2016年回顧 ノンフィクション
今年も発見の連続 自分の足で、目と耳で真実へとにじり寄る/虚実を剔出する意気込み/精力的取材…

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2016年8月6日、初めて広島を訪れたオバマ米大統領は、「未来の中で広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう」と演説した。長崎には被差別部落はないとされてきたが、一瞬に消滅した爆心地には被差別部落があった。高山文彦『生き抜け、その日のために―長崎の被差別部落とキリシタン』(解放出版社)は、キリシタン弾圧の手先となった被差別部落民とキリシタン末裔、ともに被爆した両者の間に歴史的和解を試みた3人の男たちの軌跡をたどる。近現代史をさかのぼり大きな展開をみせてくれる。いま長崎の教会群に世界遺産に登録の動きがあるが、読後には人間の道義に思いを馳せる記憶遺産であってほしいという気持ちになる。

子供たちの虐待死、いじめ自殺などの事件報道ほど心が痛むものはない。厚労省統計では2014年度に虐待で亡くなった子供は71人。石井光太『「鬼畜」の家―わが子を殺す親たち』(新潮社)は、幼児の餓死、嬰児の連続殺害、ケージ監禁虐待死の三つの事件を取り上げている。目を逸らしたくなる事件を起こした親たちの生い立ちや人間関係への深い取材を通じて、彼ら自身が劣悪な環境の中で家庭や愛を知らずに育ったために、子育てとは何なのか知らなかったことが分かる。「鬼畜」と呼ばれた親たちも、「彼らなりに」わが子を愛していたのだということが本当のように見えたと著者は言う。井戸まさえ『無戸籍の日本人』(集英社)は、家庭内暴力、出生事情などで無戸籍になり義務教育も受けられず、身を潜めるように生きている児童の存在を教えてくれる。戸籍のない小中学生は全国に190人いる。高校生が部活のいじめで自殺したと校長が殺人罪で告訴される事件があった。新聞テレビ、人権派弁護士等は学校側の責任を追及するが、取材で明らかになるのはむしろ常軌を逸した母親の言動だった。福田ますみ『モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』(新潮社)は、固定観念に捉われた報道の誤りや教師たちの戸惑いと共に母親のモンスターぶりを暴いている。特異なケースだけに母親自身の育ち方が知りたくなる。

五輪招致で東京は世界で一番安心安全な都市とアッピールした。64年に行われた東京五輪で選手村警備を一括受注したのが民間警備会社発展の糸口であった。猪瀬直樹『民警』(扶桑社)は、いまや警察官の2倍にあたる50万人を抱え、3兆円産業にまで成長した民間警備業市場がテーマである。最近は沖縄基地反対のデモ隊に対峙する制服姿をテレビで見かけるが、防災、医療介護、情報通信まで広範囲にわたり、「官」に代わって安心安全をビジネスとする業態に着目したのはさすがに鋭い。作家活動も完全復調したようだ。

佐野眞一『唐牛伝―敗者の戦後漂流』(小学館)は、60年安保によって激変した日本を描くことがライフワークだとする著者が、全学連委員長として安保闘争の最先頭に立ち、その後の人生を北海道の果てから与論島まで漂うように生きた唐牛健太郎に身を寄せるようにして描いた評伝だ。取巻く魅力的な男女を絡ませながら、誰からも愛された彼は一体何者だったのかを繰返し問うている。3年振りの作品発表に当たって、プロローグで「取材現場からも足が遠ざかるようになっていた」と正直に告白し、「初心に戻れ」と自戒している。自分の足で、自分の目と耳で、現場取材を重ね、新資料を発掘し、思いがけない事実、隠されてきた事実を発見する。取材で得た新事実の断片をつなぎ合わせて真実へとにじり寄る。その意味では人物評伝はノンフィクションの真骨頂かもしれない。




狂うひと(梯 久美子)新潮社
狂うひと
梯 久美子
新潮社
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梯久美子『狂うひと―「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社)は、島尾敏雄『死の棘』で伝説化した夫婦の実相に迫ろうとする意欲作。10年余の時間をかけて日記、手紙、草稿、メモなど膨大な未発表資料を読みこみ、友人知人に取材して、文学世界と実像との間に横たわる虚実を剔出する意気込みに圧倒される。石井妙子『原節子の真実』(新潮社)は、50年以上沈黙の中に生きた「伝説の女優」の謎を探るために新たな証言を探し求め、小さな断片をていねいに拾い上げていく著者の熱い想いが読者にも伝わって、大女優の素顔が静かに浮かび上がってくるような気がする。

角幡唯介の『漂流』(新潮社)は、自らの探検を作品化してきた著者が、救命いかだで37日間漂流し奇跡的に救出された船長に関心を持ったのがきっかけで取材者となる。彼は漂流から8年後に再び海に出て行方不明になっていた。彼の故郷・沖縄伊良部島へ渡り、漂流仲間に会うためにグアム、フィリピンへ飛び、マグロ漁船に乗って遠洋漁業体験までする。「時々本格的に死と対峙しないと自分の生の輪郭が失われてしまう」という探検家が、日常的に死と隣り合わせにある海の民に魅了され、精力的に取材を重ねた成果だ。

明治大正期に新潟、山形、秋田などの米どころで虫刺されから死に至る風土病があった。中央と地方の医学者や開業医が数世代にわたってこの病原体解明に挑んできた。人体実験、殉職事件、学名の命名権争いなど互いに競い合いながら戦後に治療法は確立する。小林照幸『死の虫―ツツガムシ病との闘い』(中央公論新社)はこの研究者たちの闘いの跡を追う。これまで著者は、ハブの血清造り、フィラリア症、日本住血吸虫症など医科学研究という地味なテーマに黙々と取り組んできたが、こうした仕事はもっと評価されていい。角幡、小林の仕事は心強い。

最後に注目したいのは、乗松優『ボクシングと大東亜―東洋選手権と戦後アジア外交』(忘羊社)だ。第二次大戦後、対日感情が最悪のフィリピンとの国交正常化に、ボクシングによる民間交流が大きな架け橋となったという、戦後史の知られざる事実を掘り起こしている。学術書の体裁を取りながらも読みやすい。ノンフィクションは今年も発見の連続である。

この記事の中でご紹介した本
唐牛伝~敗者の戦後漂流~/小学館
唐牛伝~敗者の戦後漂流~
著 者:佐野 眞一
出版社:小学館
以下のオンライン書店でご購入できます
狂うひと/新潮社
狂うひと
著 者:梯 久美子
出版社:新潮社
以下のオンライン書店でご購入できます
2016年12月23日 新聞掲載(第3170号)
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