2016年回顧 俳句 俳句における「連句への潜在 的意欲」顕在化の一年|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文芸
2016年12月23日

2016年回顧 俳句
俳句における「連句への潜在 的意欲」顕在化の一年

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かつて高柳重信は俳句における「連句への潜在的意欲」を説いたことがあった(『現代俳句の軌跡』一九七八年)。本年はその「潜在的意欲」がしばしば顕在化した。三月刊の佐藤文香・編『俳句を遊べ!』(小学館)では「打越マトリクス」なる連句的取合せの実践報告がなされていた。よく俳人が使う手だが「打越」という連句用語によるネーミングは古くて新しい。六月刊『連句年鑑』(日本連句協会)では長谷川櫂が自らの連句創作を語り、付合の創造的な間は「付きすぎ」と「離れすぎ」の狭間に潜むと指摘(「打越マトリクス」のモチーフもここにある)。その長谷川の作品を含めた現代連句の諸相を七月四日付「日本経済新聞」夕刊が特集。一方で「俳句」八月号は読売文学賞の『江戸おんな歳時記』(別所真紀子・幻戯書房)を祝して歌仙を掲載。九月、東京で連句フェスティバル(佛渕健吾ら)があったかと思うと、十月は大阪で

「短詩型文学の集い―連句への誘い」があり、小池正博と四ツ谷龍による公開討議も。四ツ谷は連作的な句集『夢想の大地におがたまの花が降る』(書肆山田)を上梓したばかり。冒頭でふれた重信説は新興俳句の連作も「潜在的意欲」と無縁ではないとの推論を立てていたが、連句が堪能な四ツ谷にもそれがいえるだろうか。同じ頃『日本文学全集』(河出書房新社)「近現代詩歌」が配本。伝統連句の門徒でもあった小澤實は攝津幸彦の〈山桜見事な脇のさびしさよ〉をあげ、発句・脇の作法を踏まえた俳諧的鑑賞を展開(くしくも十月は攝津没後二十年)。十一月、若手俳人による「オルガン」七号が連句作品と座談会を併載。とここまで書き継いだら「俳句四季」十二月号が届き、オルガンによる連句第二弾がやはり座談会入りで併載。ことほど左様に連句顕在化の一年であった。

以下、管見の句集から。〈ぼたん雪江戸までもどる橋の上〉浅井愼平(『哀しみを撃て』東京四季出版)、〈駅で買ひ宿に失せたる時雨傘〉稲畑廣太郎(『玉箒』ふらんす堂)、〈しどけなく足をひらいて冬の虹〉高岡修(『水の蝶』ジャプラン)、〈遠嶺の白あたらしき雛まつり〉井上弘美(『顔見世』ふらんす堂)、〈月を見る一人の中の二人かな〉高橋龍(『小橡川』高橋人形舎)、〈フアツシヨンといふ春寒きものを見る〉後藤比奈夫(『白寿』ふらんす堂)、〈桐一葉印象派から戻りけり〉山本敏倖(『断片以前』山河俳句会)、〈新宿は春ひつたくりぼつたくり〉髙柳克弘(『寒林』ふらんす堂)、〈憎らしき昭和懐かし蜜柑に種〉池田澄子(『思ってます』ふらんす堂)、〈なあと云ひさしてたゆたふ櫻炭〉恩田侑布子(『夢洗ひ』KADOKAWA)、〈仰向けに雛と流るる虚空かな〉齋藤愼爾(『陸沈』東京四季出版)、〈ともづなに蛍をともす夜さりかな〉小津夜景(『フラワーズ・カンフー』ふらんす堂)、〈旧姓に似てこそばゆき蛇の衣〉小南千賀子(『晩白柚』東京四季出版)、〈牛乳の膜破れさうレノンの忌〉千葉信子(『星籠』深夜叢書社)、〈月明はまづ海底を暗くする〉宗田安正(『巨人』沖積舎)。

2016年12月23日 新聞掲載(第3170号)
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