川柳をもっと自由に パピプペポ 『パピプペポ川柳傑作選 #0』(リアリックス)刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年1月27日

川柳をもっと自由に パピプペポ
『パピプペポ川柳傑作選 #0』(リアリックス)刊行を機に

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元『週刊プロレス』編集長のターザン山本氏が考案した五・七・五の最後の五文字をパピプペポに置き換えて詠む「パピプペポ川柳」がSNSで反響を呼び、このたび自身が監修をつとめる『パピプペポ川柳傑作選 #0』が株式会社リアリックスから刊行された。

本書刊行にあたり、ターザン山本氏と芸人であり、一橋大学非常勤講師として、外国人留学生に日本語表現を教えているサンキュータツオ氏が対談。「パピプペポ川柳」の極意を語ってもらった。(編集部)

「パピプペポ川柳」の 誕生は歴史的快挙!!

ターザン山本(以下山本)
 僕が自分のツイッターを使って自由に詠んでいたパピプペポ川柳が、ここまで大きく育って『パピプペポ川柳傑作選 #0』という本にまでなるとは思ってもみなかったよ。
サンキュータツオ(以下タツオ)
 普通の川柳を詠もうとは思わなかったんですか?
山本
 僕は五・七・五のリズムが好きだから、これまでいろいろ詠んで自分なりに遊んでいたんですよ。その過程で「パピプペポ」という半濁音で句をまとめるアイディアがパッと閃いたのね。

正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という有名な句があるでしょ。好きな句なんだけど、最後に「法隆寺」と詠ってしまうと起承転結がはっきりして、句が完結してしまう。それを「柿くへば鐘が鳴るなりパピプペポ」と詠んでみる。すると意味が曖昧になって、そこには法隆寺以外に建長寺でも大徳寺でもなんでも入れることができるようになるから、どんどん読み手の想像が広がって余計に面白おかしくなるじゃないの、と。そんな僕のいい加減な考えがパピプペポ川柳の発端です。

芭蕉の「古池や蛙飛びこむ」も、「水の音」で締めたら立派な作品として完成してしまうけど、だったら「古池や蛙飛びこむパピプペポ」でもいいんじゃない? というふざけ感覚のままで続けてきたんです。
タツオ
 大発見ですね。僕は落語が好きでパピプペポ川柳を落語の手法に重ね合わせて解釈したのですが、落語というのは下半身を省略した話芸です。つまり高座に座り、上半身のみで、歩いたり舟を漕ぐといった表現をして、受け手を様々な空間に移動させてくれます。その下半身の省略にあたることを川柳の世界に持ち込んだのが、ターザン山本なのではないかと。通常の川柳は、上半身も下半身も全部動かすスタンドアップスタイルなので、身体的な難易度があがります。川柳や俳句の世界を、山本さんはこの本を通じてより身近にしてくれたと思います。
山本
 川柳は戯作としてまた俳句は美術作品として、世間から評価されています。僕にはパピプペポを加えることで、この価値観をひっくり返してみたいという野心がありました。高みから引きずり下ろし、万人が詠めるようなものにしたい。最後の五文字をパピプペポとすれば五・七を考えるだけでよくなって、もっと五・七・五の世界が楽しめるだろうと。それが僕の戦略です。
タツオ
 自分で五・七を考えて詠んでみると、先人の俳句や川柳のすごさが改めて見えてくる、ということもありますよね。
山本
 先人たちが芸術的思考に基いて句をまとめ、俳句というものを芸術作品として完成させたけれども、僕にしてみたらその考え方で詠むのは面倒くさいしつまらない。普通の人に芸術レベルの句を詠ませるのは無理なんじゃないかなあ。だけどそれで俳句や川柳の世界と無縁でいるのももったいない話だから、「みんな五・七だけ詠めばいいよ、あとはパピプペポにまかせてツイッターに投稿すればいいよ」ってそれが僕からのメッセージです。
タツオ
 僕が出演している「東京ポッド許可局」というラジオ番組では、女心を詠った都々逸を募集しているのですが、これが結構難しいんです。都々逸は七・七・七・五のリズムで詠むんです。川柳も一見短いから簡単そうに思うけれど実際に挑戦するとやっぱり難しいですよね。でも最後の五文字をパピプペポで固定してしまえば、意外と見切り発車で気軽に詠める(笑)。さらにその遊びをインターネットという誰もが参加出来る媒体で行ったことが歴史的快挙だなと(笑)。
山本
 うれしいねえ、歴史的という言葉。
タツオ
 俳句や川柳は十七文字という世界最小の、もっとも洗練された言語表現だと言われますが、パピプペポ川柳はさらに十二文字ですからね。文学史のアップデートの瞬間なのですよ! 先ほど山本さんは「柿くへば鐘が鳴るなり」の下五の「法隆寺」をパピプペポに変えて、句を完結させずに想像力を膨らませたかった、とおっしゃいましたが、確かにこの句は、五・七の部分がフリとオチの役割を果たしていて、実は十二文字で完結していることがわかります。
山本
 そうだったんだ、全然気づかなかった。
タツオ
 本書の中に「だがしかし駄菓子もお菓子パピプペポ」という句がありました、これも「だがしかし駄菓子もお菓子」で一つ世界ができている。
山本
 ついでにパピプペポがついているだけなんだ。
タツオ
 プラス五文字に苦しんだ先に生まれるからこそ、俳句や川柳は芸術として完成していると思いますが、パピプペポ川柳は真逆の発想で、日本古来の言葉遊びをみんなが参加できる、より気軽なものにしてくれたのだと思っています。
「パピプペポ」が持っている力とは?

タツオ
 「パピプペポ」って軽やかで新しい雰囲気に聞こえますが、実は古来からあった日本語だと言われています。もともと「は行」は「ぱ行」、あるいは「ふぁ行」だったのではないかと。
山本
 『万葉集』の中にはパピプペポの語はほとんど出てこないよね?
タツオ
 昔は半濁音を識別する丸のマークがありませんでした。でも実際は藤原鎌足を「ふじふぁらのかまたり」あるいは「ふじぱらのかまたり」と呼んでいたのではないかといわれます。
山本
 それは大発見ですな。
タツオ
 今「ふ」という文字をキーボードでローマ字入力するときに「FU」で打っている人が多いですよね。つまり「F行」なんです。推測ですが、昔の日本語も「F行」で「ふぁふぃふふぇふぉ」あるいは「ぱぴぷぺぽ」と音読されていて「ふ」だけがその名残で現在まできているという説があります。
山本
 なるほど、だから日本語には、例えば「橋」と「箸」と「端」とか、同音異義語が多いんだ。
タツオ
 渡来したオランダ人宣教師は文脈で同音異義語の「ぱ」か「ふぁ」か「は」か判断することができなかったので、「ぱ行」を書くときに半濁音の丸をつけようということになりました。ですから当時、「日本」を「ニホン」ではなく「ニッポン」と発音していたのではないかということは、外国人のおかげでわかったことなんです。

それから「パピプペポ」は擬音語や擬態語によく使われますよね。「ピカピカ光っている」とか「パラパラふりかけをかける」とか。「ハラリハラリ」に比べて「パラパラ」のほうがなんだか楽しい。「パピプペポ」が持っている力は軽さと明るさ。あかるいという言葉にはかるいという言葉が入っていますし。
山本
 僕はパピプペポの中に、開放感と幸福感があるのではないかと思っています。
タツオ
 パピプペポと発音するとき、唇をつかって音を破裂させます。それが身体的にも開放感につながっているように思います。
山本
 開放感が幸福感に、そして共有感にもつながります。
タツオ
 気軽に楽しく詠えるような気がしてくるんですよね。僕も今日ここに来るまでに「冬の日に体ぽかぽかパピプペポ」と一句詠んでみました。
山本
 いいね。パピプペポ川柳はカッコつけて詠む必要は全くないからね。
タツオ
 本当に気軽だし罪がありませんよね。昨今、ネット上ではちょっとした発言にも目くじらをたてて炎上騒動になりますけれど、パピプペポという、真面目なツッコミがバカバカしく思えるようなガードがあるので、ある程度不謹慎なことを言ってもパピプペポ川柳だからしょうがないか、という気持ちになりますからね。

僕はツイッターでつぶやくことをずっと「脳のオナラ」だと言っているんですよ。うっかり出ちゃったもの、つぶやきってそういうものですよね。だからパピプペポ川柳を投稿するということは、最高の脳のオナラだと思います(笑)。
山本
 止めようとするけどうっかり出ちゃったって。この感じがすごくいいんだよね。
「パピプペポ川柳」は 視覚聴覚誤読で楽しむ

タツオ
 自分一人で始めたパピプペポ川柳、山本さんは今ではたくさんの人の投稿作品を読む立場でもあるわけですね。傑作選として句を選ぶときにどういったことを基準にされましたか?
山本
 パピプペポ川柳にものすごくハマって、投稿する毎に句が研ぎ澄まされていく、という人が何人かいます。その人たちはダジャレの天才で、ひらがな、カタカナ、漢字、助詞という要素を二重構造のように取り入れてつくる。うまい句は読んで気持ちがいいし、日本語の可能性を次々と発見してくるから感心しますね。
タツオ
 パピプペポの表記がカタカナであるということも重要な要素だと考えています。日本語は漢字、カタカナ、ひらがな混在の表現形態です。漢字は堅い印象がありますし、ひらがなは助詞と混同して読みにくい場合がある。言葉に意味を持たせないためにも、カタカナを使うことがあります。同じ言葉でもカタカナを使うと意味が外れる利点があるんです。つまりパピプペポ川柳には全く意味がありませんというメッセージにもなっている。
山本
 ひらがなは曖昧で遠慮がちな言葉で、カタカナになると押しが強くなる。そこがいいのではないかと僕は思っています。
タツオ
 十七文字の日本語を読んだときの漢字、カタカナ、ひらがなのバランスを味わっていらっしゃるんですね。
山本
 僕、日本語は、ひらがなとカタカナと漢字と助詞といった要素が混ざり合った、絵画だと思っているんですよ。
タツオ
 絵画ですか。
山本
 ひらがなとカタカナと漢字と助詞の構成を、視覚的に絵画として見るんです。
タツオ
 なるほど。そういう字面の見た目でいうと本書の「タンポポぽ菜の花蝶にパピプペポ」という句がすごいと思います。十七文字の中でカタカナ、ひらがな、漢字、ひらがな、カタカナといった具合にフル活用されていますね。
山本
 視覚的に三位一体になっているでしょ。見ていると気持ちいいですよね。
タツオ
 「タンポポぽ」の最後の「ぽ」ってなんだろう。この使い方はすごいですよ。山本さんの選評にも「ぽの一字が世界を一変させた。超絶技巧だああ」とありますね。「タンポポは」じゃダメ、この句の真価は「タンポポぽ」なんですよね。
山本
 それから声に出して読んだときのリズム感、音感も楽しみます。
タツオ
 日本語は母音が五つしかないので同音異義語が生まれやすく、ダジャレが作りやすい言語です。和歌の修辞法にも掛詞というものがあり、「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」の「ながめ」には「長雨」と「眺め」がかかっているとか。同音異義語が多いのであれば、意味を確定させるより意味を重ね合わせようという発想からきているんです。
山本
 日本語表現は同音異義語に助けられていますよね。これがなかったら面白みがない。
タツオ
 先ほど挙げた「だがしかし駄菓子もお菓子パピプペポ」も同音異義語を活用していますね。
山本
 そうそう。日本語の二重性が視覚、聴覚を使って楽しめる。
タツオ
 僕はこの句も大好きです。「ネコだってたまには吠えたいパピプペポ」。「ネコ」だから「たま」なんだろうな、とかいろいろな可能性を考えてしまう。山本さんは「ネコ」を女性と捉えていますね。女性だってワーっと言いたいことがあるんだよ、と読み解いています。いくらでも深読みが出来るし許されるのが、このパピプペポ川柳の魅力です。
山本
 絵画を見るときに一番大切なことは「誤読力」だと思っているんですよ。絵画は沈黙していてこちらに何も語りかけないでしょ。だから受け手が間違った解釈をして、その絵画を活かすしかない。パピプペポ川柳も同じで、僕は勝手に誤読しているんです。だから本に書いた選評って本当は選評じゃない。僕の誤読と気分で、詠み手に応答しているんです。
タツオ
 日本の文化は、どちらかというと受け手主体で、発信側よりも受け手側の解釈によって、文化を伸ばしていった側面が強いと思うんです。俳句しかり川柳しかり。最近で言えばニコニコ動画は、映像の上にタイムリーに視聴者からのコメントが流れますよね。和歌にも返歌があるように、双方向性の文化が日本には根付いているんですね。そういった点で、本書中の詠み手と山本さんの掛け合いは日本文化的ですよ。
山本
 作り手と受け手の関係を楽にしたいというのが僕の考えだね。
タツオ
 芸術とはこうあるべきだという哲学を取り去ることで、みんなが表現者になれる。だから若い人も気軽に参加できているし、すごくいい関係だなと思います。
山本
 詠み手も受け手も関わり方が自由だからね。詠み手は投げっぱなしがパピプペポ川柳のスタイルだから。
この世界の片隅で「パピプペポ」を詠う

山本
 我々が生きている社会は、ルールやきまりや道徳があって成り立っているのだけれど、この頃はやたらと束縛が強くなっている気がします。会社も家族も周辺の人間関係も、こうしろああしろと常に言われている感じ。それは左脳が社会を支配している構造だと思うんだよね。僕らは現在進行系で左脳に苦しめられているわけですよ。
タツオ
 息苦しい世界ですよね。
山本
 不倫もダメ博打もダメ、その上子どもは子どもらしくとか、女は女らしくとか、ありとあらゆる方向から制限がかけられるじゃない。僕は、この左脳支配をぶち壊して右脳を大事にしたいんだよ。左脳から右脳社会に移行させるための一つの手段がパピプペポ川柳だと思っている。
タツオ
 イギリスがEUから離脱してアメリカではトランプが大統領になった年に、パピプペポ川柳をまとめた本が出たということは画期的なことだと思いますよ。それだけ、右脳で生きたいという欲求がみんなにあるように見受けられます。
山本
 これまでの世界基準は左脳支配だったけれども、これからは右脳支配に移行していくということかな(笑)。
タツオ
 みんなどこかで、気持ちよくなれる瞬間、何も考えず、自分の気持ちをストレートに出せる場所を求めているんだと思います。しかし日常生活にとどまらずネットの中でも、コミュニティに属している人は言いたいことを言えなくなっている。
山本
 日本社会そのものも非常に保守的になっているじゃないですか。そこをなんとか突破したい。だからイイカゲン、テキトー、ムセキニンなものを作ったわけです。
タツオ
 山本さんみたいな破天荒な人が行動してくれないと、社会に風穴があかないですよ。だからパピプペポ川柳は社会的慈善事業です(笑)。こういったレクリエーションは絶対必要ですよ。
山本
 みんなの無意識を解放させたい。五・七・五の論理を取っ払ったパピプペポ川柳で、ストレス社会に一石を投じたい!
タツオ
 実は落語の世界では立川談志師匠が、長らく無意識の解放に挑んでいました。人間はもともと非常識な無意識で構成されているけれども、そのままだと社会がうまく回らないから、必死に抑圧している。でもどこかでその抑圧から脱出したがっている。理屈では説明できない「お笑い」や「おかしみ」の方法を使って、談志師匠は人間の解放にチャレンジしていたんです。パピプペポ川柳を談志師匠に詠んでもらいたかったな、と思います。それからパピプペポ川柳は小学校でやればいいですよ。子どもたちが詠んだらすごい作品がいっぱい出てくるでしょうね。
山本
 子どもは成長していくにつれ段々と無垢な部分を失って、やがて賢い人間になっていくじゃない。子どもがもともと持っている奔放さを解き放つために、こういう遊びは必要だよね。
タツオ
 僕も大学で教えている外国人留学生に、パピプペポ川柳をやってもらおうと思っています。いきなり俳句を作るというのはすごく難しい。俳句は一つのシーンから壮大な物語を感じさせるような奥行きがあるものなので。
山本
 芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」なんてあまりにも壮大な世界観じゃない。
タツオ
 時間も空間も広いですよね。
山本
 僕は芭蕉も蕪村も好きだけれど、こんな壮大な想像力にはいつもいつも付き合っていられないよ。この世界観は芭蕉が津々浦々回遊したから詠める句であって、他の人間には真似できない。
タツオ
 半径五メートルの空間で生きている人にも世界はちゃんとありますからね。
山本
 パピプペポ川柳にあるのは世界の片隅の世界観ですから。
タツオ
 そうですよ、この世界の片隅で思っていることをストレートに詠う。じゃあ、女優ののんちゃんに詠んでもらいましょうか(笑)
山本
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FM FUJI「今夜は覚醒 パピプペPON!」
2017年1月27日 新聞掲載(第3174号)
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