連続討議「文系学部解体―大学の未来」 第一回 内田樹×室井尚 対談|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文系学部解体-大学の未来 第2回
2016年7月22日

連続討議「文系学部解体―大学の未来」
第一回 内田樹×室井尚 対談

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室井
昔のことを言ってもしょうがないけれど、九〇年代の頭までは、大体通年の科目だったんですよね。四単位で一年間ずっと同じ講義をしていた。そこから前期後期にわけてセメスター制になり、今度は六ターム制です。
内田
それは絶対に失敗しますね。予言します。すぐにやめた方がいい。学生たちも声を上げるべきです。「国民の休日は休ませろ」「休んだ方が、効率が上がるから」と。それも実験してみたらいい。休日全部登校させる学生たちと、国民の休日は休める学生たちと、ふたつのグループを作って、何か月かやってみる。どちらの学力が上がるか。教育機関というのは、本質的には「温室」なんですよ。学生たちを社会の雨風から守る。初等教育の成り立ちを考えてみればわかる。イエズス会が作った学校が初等教育のはじまりだと言われていますが、イエズス会士が学校を作って、子どもたちを家から離したのは、親の暴力から子どもを隔離するためだったんです。子どもは親の所有物ではない。子どもを労働させたり、殴ったり、ひどい場合には殺したりすることも当時は「親権」の一部だった。その親の専横から子どもたちを守るために学校を作った。そこは外の社会の価値観とは違う空間なんです。学校の中だけは外と違う空気が流れている。そこで、まだ未熟で脆い、若い人たちを育てる。彼らの才能が開花できるように、風雨から守る。これが一番基本にある学校の機能だと思います。学生たちが自分のテンポで、自分の成長のリズムで、自由に、個性や資質を開発するのを支援する。それが学校の社会的責務じゃないですか。
室井
おっしゃる通りだとは思いますが、これがなかなか言えないんですよ。僕も好き勝手を言っているように見られがちですけれども、内田さんほどは自由に言えない。「運営費交付金を減らす」とか「大学の評価の点数で差をつける」と文科省から言われれば、難しい。自分だけが減らされるんだったらいいんですよ。でも同僚が追い込まれていくことを考えると、そうは言えない。昔、教務委員長をやっていたことがあって、その時の経験を少し話します。内田さんと同じで、どうでもいいとは思いながらも、「シラバスを書いてください」と言わなければならなかった。またゼミ以外の全科目の授業アンケートも取らなければいけない。そのアンケートを業者に解析してもらうと、変な円グラフが出て来る。それに基づいて改善計画を書くことが義務付けられている。そんなことをやっていたら、人格的に壊れますよ。ただ、無視すればいいとは思いながらも、やってくださいとしか言えなかった。
内田
僕の時も、授業アンケートはありました。五段階評価だと、大体「五」でした。でも、いつやっても一つだけ「二」がつく項目がある。それは「教員は十分に授業の準備をして来ていますか」という質問項目だった(笑)。学生もよく見ているなと思いましたね。僕はいつも準備なんてしないでふらふらっと教室にいって、「今日は何の話をしましょうか」と言って授業をやっていたから。でも、授業準備は「二」でも、授業満足度は「五」なんです。「他の学生にこの授業を勧めますか」という質問に受講生のほぼ全員が「します」と回答してくれた。授業の準備の有無と学生たちがその時間の間に経験する知的な高揚感や満足には関係がない。僕にとっては、本を読んだり、ものを書いたり、武道や能楽の稽古をしたり、友だちと仕事をしたりしているすべてが「授業の準備」なわけです。だから、教室で話したいことはいくらでもある。学生たちにわかって欲しいと思うことは何十時間分も何百時間分もある。だから、そのときなんとなく学生たちが聞いてくれるかなと思った話をする。話題の選択はほとんど直感的です。自分が面白いと思う話をする。僕が夢中になってしゃべっているときは、学生たちは私語なんかしないで、聴き入ってますよ。そういうときって、同じ話をぐるぐる繰り返したり、言い淀んだり、つっかえたり、前言撤回したりするんだけれど、「ライブ」で今何か新しいことが起きているということは学生たちにはわかる。そういう授業は食いつくように聴いてくれます。いいじゃないですか、それで。結果オーライで。授業が面白くてためになった、僕の授業から触発されて、そちらの方向で勉強したいと言ってくれているんだから、それでいいでしょ。学生に知的なブレイクスルーが起きるかどうかが大事であって、教師は、そのきっかけをどうやって作ることができるか。それだけだと思うんですよね。
室井
そろそろまとめに入りたいと思います。現実的に考えると、文科省の言うことを無視するのは、今や難しいと思います。だけど、どこかで声を出していかないと、今の大学改革のままでいいんだという空気がどんどん進行していって、大学は息の根を止められることになると思います。そういう意識を、ひとりでも多くの人たちに共有してもらいたいんですね
内田
もう息の根を止められかかっていますよね。
室井
ただ、まだ隙間はあると思うんです。僕は、この大学に二十年以上勤めているからわかるんですが、同僚たちも事務の人たちも頑張っている。それは、そういう隙間を残しておこうとする校風があるからだと思います。内田さんが言われたように、建学以来、諸先輩方やここを卒業したOBたちが作り上げて来たものです。こういうものを、短期的な数値的評価で格付けをし、どんどん変えていったり破壊したりするのはよくない。僕らが出来ることは何か。一応文科省の言うことを聞いたふりして、裏で舌を出しているぐらいのことしか出来ないかもしれません。もうひとつは、内側から声を上げていくこと。学生たちも、今年一月、横浜みなとみらいで、「人文社会系学部の縮小に抗議する集団行為」という横断幕を掲げて、反対の行進をしました。言いたいことを言えない時代になって来たので、自分たちの思いを発信していくのは大事なことです。これからも、そういう流れを内側から作っていきたいと思います。 (おわり)
2016年7月22日 新聞掲載(第3148号)
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