集中連載9=吉見俊哉・室井尚『文系学部解体』VS『「文系学部廃止」の衝撃』|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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文系学部解体-大学の未来 第9回
2016年11月11日

集中連載9=吉見俊哉・室井尚『文系学部解体』VS『「文系学部廃止」の衝撃』

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(前号よりつづく)
室井
今回の連続討議シリーズの副題が「大学の未来」であって、そちらの話に繋げると、未来の大学というのは、二刀流という形で、ふたつの専攻を持てるように作られるべきだと、吉見さんは考えているわけですよね。
吉見
そうです。本人が興味を持てば、ダブルメジャーでもメジャー・マイナーでもいいけれど、ふたつの専門を組み合わせて、学んでいける仕組みを整備すべきだと思います。もちろん、ひとつの専門しか学びたくなければ、それでもいい。ただ、ふたつの専門を、ごく当たり前に選択できる仕組みにするべきだということです。
室井
「ふたつ選択できる」としたら、学生は進んで取るんだろうか。さっき吉見さんも言っていましたが、理系の人たちは、実験室に泊まり込んで観測データを取ったり、研究室がすべてというカルチャーですよね。とても他の授業を取る余裕なんてないんじゃないか。
吉見
でも、そのカルチャーがタコツボを増殖させていく。だからそれを変えないと履習のパターンを変化させるのは難しいでしょうね。
室井
話は少し戻りますが、今は、アメリカ型の大学とヨーロッパ型の大学、特にベルリン大学的な大学があって、世界の大学も様々ですよね。
吉見
世界の大学の現状がどうなっているか。ヨーロッパも含めて全世界的に、アメリカ型になって来ていると思います。その違いについて、少し説明をしておきます。ヨーロッパ型(フンボルト型)の大学というのは、十九世紀のはじめ、国民国家を前提に、ベルリン大学で作られた仕組みです。『大学とは何か』で書いたことですが、十二世紀から十三世紀に誕生した大学は、一回死んでいる。十六世紀から十八世紀になると、どうでもいい存在に堕ちてしまった。なぜか。印刷術の発明によって、知識へのアクセシビリティが根本的に変わった。知識にいきつくためには本を読めばいいのであって、わざわざ数ヶ月の旅をして大学まで行く必要がなくなってしまったわけです。近代の思想家や科学者は、大学教授であるよりも、むしろ権威ある本の著者やアカデミーの会員であろうとします。ところが十九世紀になると、大学が復活してくる。その時に、フンボルトは研究と教育の一致を目指したわけです。文系で言えばゼミ、理系で言えば実験室、これが基本だと、フンボルトは考えた。大学が単に教育する場として機能するのではなく、学生と教師が一緒に研究することによって、新たな知を生み出していく場所となる。逆に言えば、それまでの大学は、知識を伝授するだけの場所になっていたから駄目になった。そうではなく、ゼミや実験室を通して、知識を生んでいく場所にする。これはひとつの発明だった。それでベルリン大学型の大学が、世界中に広がっていったわけです。今から考えると、フンボルト型大学というのは、大学院に近い。そこで研究と教育を一緒にやって、知を生んでいく。

では、アメリカはどうだったのか。ずっとカレッジ(学部)でやっていたこともあり、ベルリン型大学に到底かなわなかった。だから学生たちは、ハーバードやイェール、プリンストンを卒業後、ドイツに留学した。そうした状況を変えるために、アメリカは何をやったのか。カレッジにはカレッジの良さがある。リベラルアーツ教育が徹底しており、それはそのまま残しておく。そしてカレッジの上にグラジュエートスクールを作り、専門教育をし、そこで修士号や博士号を出していく。このアメリカ型の二層モデルが、今や世界を制覇しています。

そうした欧米の大学に対して、日本の大学が迷走してきたのには、次のような歴史的背景があります。戦前の帝国大学は、基本的にドイツモデルだった。学生を少数精鋭で取り、理系ならば実験室、文系ならばゼミで、研究と教育を一緒にやっていく。ただ、ドイツ型の大学には教養教育がありませんから、高度な教養教育の仕組みとして旧制高校を発達させた。ここで「旧制高校+帝国大学」という仕組みができあがる。そして戦後になり、GHQの占領政策の中で、その旧制高校を潰して、大学に教養部や教養学部を作った。日本の大学の中に、人工的にアメリカ型の仕組みを入れた。こうした経緯があります。結果的に、日本の場合、学部後期課程にドイツ型を残し、前期課程では旧制高校を潰しながら、アメリカ型のカレッジの制度を入れていった。アメリカ型とドイツ型をミックスすることによって、ぐちゃぐちゃになってしまったのです。

もう一点。日本の大学院では戦後、アメリカ型の大学院教育をやることになりますが、戦前の帝国大学は大学院みたいなものでしたから、その制度も残り、学部後期でも大学院教育をやっている。屋上屋を重ねるような形になった。これでは複雑過ぎて、大学とは何かよくわからない。ここまで来てしまったら、アメリカ型が本当にいいかはともかく、もう学部ははっきりカレッジ化し、大学院はグラジュエートスクール化していく方がすっきりすると思いますね。
<次週に続く>
2016年11月11日 新聞掲載(第3164号)
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