【横尾 忠則】イチローの3000本! 未完の絵の睥睨の愉楽|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの向こう側 第254回
2016年8月19日

イチローの3000本! 未完の絵の睥睨の愉楽

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建畠晢さん㊧と加治屋健司さん(撮影本紙)

2016.8.8
 眺めのいいクラシックな西洋ホテルの一室がアトリエとして提供された。これで東宝スタジオの山田組の監督ルームと成城のアトリエを含むと3つになった。最初のホテルのアトリエは今朝見た夢だけれどね。夢のアトリエで夢の絵を描いて、それが物質化して現実になるって、いつかこんな科学が現実化するそんな日は地球がひっくり返っても来ないよな。

イチローの3000本安打は夢の中で自分がイチローと同化したような妙な実感がある。

難波さんが運転中、「変だな?」と思った瞬間気絶して他所の塀に車を激突。救急車の中で意識回復。大丈夫? こーいう四次元感覚はないので「感じ」はわからないけど。

本紙で建畠晢さん、加治屋健司さんが拙著『千夜一夜日記』の書評対談を。解剖台の上で二人の医師から、開腹手術をされるのを、ちょっと上からアストラル体になった自分が体内を覗いているそんな気分だった。
オノ・ヨーコさんと(撮影:AnneTerada)
2016.8.9
 年に二度のイッセイミヤケのパリコレ招待状のデザインを49年間続けているが、次回テーマは「種」。前回が「宇宙」。種は宇宙のヒナ型だ。大地のイメージでいこう。

ト、突然オノ・ヨーコさんのサプライズ訪問を受ける。彼女、毎回これなのよね。驚かせたいのよキット。アートはスキャンダリックな遊びだからね。「Youは何しに日本へ?」。「ちょっところんじゃって膝を打ったので日本のお医者さまに診てもらいに」。ぼくだって去年大晦日にころんで骨折。この年になると陽炎みたいに気体みたいに躰がふらふらして、ころぶんです。日本に来た時はぼくのアトリエに来ると落ちつくんだって。「いつでもどうぞ」。「じゃあ、今度いつくればいい?」。「エニイタイム、エブリデイOKよ」。まあわれわれにはNYとTOKYOの時差は〇よね。

ローリング・ストーンズのコンサート以来、田島照久君どうしているかな、と電話をすると、「ころんで足骨折しちゃったんですよ」。アッチでもコッチでも人はコロコロコロブ。

では階段からころんだ土屋嘉男さんは? 連絡とれず、事務所の人も知らない、どこへ行っちゃったんだろう?90歳だから心配よね。

わが家のホームレス猫しばらく姿見せない。病気気味で食欲なし。死期を察知して姿を消した? と思ったら夕方、ふらりと何日振りかで現われ、妻の生肉サービス。こんなに食べたの初めて。誰だ、死期だなんて?
2016.8.10
 東京医療センターの眼科へ定期診断。変りナシ。耳鼻咽喉科の角田先生、レストランで昼食のご馳走に。「センセ、痩せましたね?」。「ミス東大の美人が来るようになってガンバッたんです」。美人でも病気になるんだ。

未完の絵がイーゼルの上から睨んでいる。睨まれているこの間が実は愉しいのよね。その気になれば、一、二時間で完成するんだけれど、あえて描かないことが大事なんだ。

送られてきた佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』を読む。モノが見える人でないとここまで言えない。こーいう人こそ天国に迎えられるに違いない。変にクソ真面目な、余裕のない、結果の良し悪しに拘り、勇気のない人、ガードのかたい人、事を荒げない人、いい人風の人、こーいう人は最も芸術から遠い人なんだよね。

昼食のあと三省堂へ。五木寛之さんの『玄冬の門』立ち読みしてしまった。だから立ち読みのお礼に785円+税を払って帰る。

玄冬の門とは老年期のこと。老年の生き方がその人間の最後を決めるが関心を持つのもよし、無関心でいるのもよし、私流にいえば「なるようになる」。これしかないのよね。
2016.8.11
 老年も何歳生きたと時間で数えちゃ寿命はすぐやってくる。何をどれだけやったか、その回数だ。

ところで本日の祝日「山の日」とはなんぞや。知らなきゃそれでいい。休めという事。
2016.8.12
 午前中オイルマッサージ。骨折の後遺症で足の裏の肉球の異変。元々人間にはないものだ。猫にはある。妻は「猫になったと思えば?」と言う。
2016.8.13
 電話もなく誰とも会わない退屈な日。テレビの中だけがオリンピックで騒々しい。そんな騒動から逃れて夜の町内をパトロール。

今年は不作の年、ほとんど絵を描かず。アイデアはある。子供時代やれなかったこと、または時の忘れもの、そんなものを非物語的に。この年になりゃ孫の一人や二人はいてもおかしくないが、運命がそーさせない。だからか孫に代って幼年時代の環境の再現に興味ある。無意識というより本能だろう。

夕方、散歩中に眼鏡紛失。帰宅後「アソコ!」と閃き、自転車で行く。再会の瞬間は感嘆! 幸せってこーいう小さいことだと思う。(よこお・ただのり氏=美術家)
2016年8月19日 新聞掲載(第3153号)
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