”あり得べき最良の精神”を模索して 『カブールの園』(文藝春秋)刊行を機に 宮内悠介インタビュー|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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2017年2月3日

”あり得べき最良の精神”を模索して
『カブールの園』(文藝春秋)刊行を機に 宮内悠介インタビュー

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カブールの園(宮内 悠介)文藝春秋
カブールの園
宮内 悠介
文藝春秋
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『盤上の夜』で第百四十七回直木賞候補と第三十三回日本SF大賞受賞、『ヨハネスブルグの天使たち』で第百四十九回直木賞候補と第三十四回日本SF大賞特別賞受賞など、エンタテインメントの分野で活躍し注目されてきた宮内悠介氏の、日系アメリカ女性を主人公に、母と娘の確執を描いた新作「カブールの園」が第百五十六回芥川賞の候補作となり話題を呼んだ。結果は最終選考に残った二作のうちの一作となりながら惜しくも受賞は逃したのだが、宮内氏は今後もエンタテインメントと純文学を横断して作品を発表してくれることが期待できる作家の一人である。今回『カブールの園』の刊行を機にメールインタビューを行った。(編集部)

現在と過去の双方にしかと目を向けたい

 ――以前は『盤上の夜』と『ヨハネスブルグの天使たち』の二作が直木賞の候補となり、そして今回は「カブールの園」が芥川賞の候補となりましたが、両賞の候補作に選ばれたということについてご自身は何か思うところはありますか。
宮内
助かったかもしれない、というのが率直な本音です。といいますのは、私はエンターテイメントを多く書いているのですが、複数のジャンルをまたいだり、とかく、ごった煮のようなものを作りたがります。しかし、そうすると文脈が取りづらくなるため、難しいと言われてしまうことも少なからずあります。ですので、今回の一件で、「こういう変な人なんだよ」と、一種の補助線が引かれればよいな、と……。

――「カブールの園」と単行本に同時収録されている「半地下」は昨年「文學界」に掲載されたものですが、この二作品は純文学作品として書かれています。それは文芸誌に執筆するにあたって意識的にされたのでしょうか。
宮内
最初の「半地下」は、ひょんなことから『文學界』に掲載されたものだったのです。というのも、私はニューヨークの育ちなのですが、文藝春秋さんの編集のかたがニューヨークを訪ねた際、私が育った家を見つけ出して、写真を撮ってくれまして。そのとき、寝かせたままにしていた原稿があったことを思い出し、お渡ししてみたところ、なんとそれがそのまま『文學界』に。自分でも意外であったのは、一度はエンターテイメントで行こうと決めたのに、そのことが本当に嬉しく、自分のなかの文学への憧れがいかに強いかを思い知ったことでした。

二作目となる「カブールの園」は、もともと書きたいと構想しながらも、エンターテイメント向きではないので保留していたものです。それが今回、幸いにも場を与えられましたので、これで行こうと決めました。

文学を意識したかといえば、実現できたかどうかはさておき、少なくとも意識はしました。意識しない人などいるのでしょうか(笑)。もっとも、たとえば私のデビュー短編の「盤上の夜」は、谷崎の『春琴抄』を下敷きにしたものです。が、文芸誌でそれをやっても仕方ありませんので、今回はなるべく素直に、てらいなく書くよう心がけました。

――「カブールの園」の主人公はまもなく38歳を迎える女性であり、彼女と母親との確執が描かれていますが、作者とは性の異なる女性を中心とし、父と息子の話にしなかったのはなぜでしょうか。
宮内
父と息子の話については、『エクソダス症候群』『アメリカ最後の実験』という二つの長編で反復しましたので、つづけて読んでくださっているかたは食傷してしまうだろうと。ただ、それとはまた別に、今回の日系人収容所の話は、母と娘の物語でなければならないという漠たる直感がありました。桜庭一樹さんの『赤朽葉家の伝説』のような、女性三代の物語への憧れもあります。

作者と性が異なる点については、別に女性の書き手が父と息子の話を書こうと、男性の書き手が母と息子の話を書こうとかまわないし、問われるべきは出来であると考えています。

――宮内さんは幼少期をアメリカで暮らしておられますが、作品中にはご自身が体験し感じたことなどもある程度は投影しているのでしょうか。
宮内
それはもちろん、ある程度どころではなく投影されています。ただ、私が育ったのは「半地下」と同じ八十年代でしたので、それをアップデートしなければならないと考え、「カブールの園」を書くにあたって西海岸を訪ねました。

――主人公のレイは強制的に取らされた休暇で第二次世界大戦期に日本人および日系人が収容されたマンザナー強制収容所を訪れます。宮内さんご自身がこの収容所のことはいつ頃に知られたのでしょうか。
宮内
アメリカの小学校で習ったような気もするし、ドキュメンタリーか何かを通じて知った気もします。アメリカで育ったころにはすでに知っていて、自分に関係することとして意識していたように思うのですが、ことによると、あとから学んでそう思いこんでいるだけかもしれません。そんなものです(笑)。

――作品の中では加川文一の「鉄柵」という詩や、日本人強制収容所での文学活動から誕生した文芸同人誌「南加文芸」に野本一平が書いた「伝承のない文芸」が引用されています。作品の中ではとても重要なものとして扱われていると思いますが、これらの存在をどのようなかたちで知ったのでしょう。それらを知った時にいずれ小説に取り入れたいと思われていたのですか。
宮内
日系人が細々とつづけていた同人誌があったことは、「カブールの園」を構想したころに調べて知ったことでした。プロットの段階で、引用しようとも考えていました。ですが中身までは知らず、いざ企画がスタートしたところで、取り寄せたのでした。

ただ、「伝承のない文芸」については、私が期待していたもの、そのものずばりすぎて、引用することに若干の抵抗はありました。しかし、一度読んで知ってしまった以上、もはやこれ以外なかろうと。
母と娘の物語でなければという漠たる直感が  


――宮内さんはこの作品について「日系女性三代の確執の物語。あるいは、マイノリティとしての私たちのこと」とおっしゃっておられます。ここでのマイノリティというのは単純にアメリカの中でのという捉え方だけでいいものなのでしょうか。
宮内
アメリカの中というよりは、世界の中です。

――ここに描かれる女性三代の確執には同時にアメリカ社会の中での日系人の世代間の確執もしくは断絶が象徴的に現れていると思うのですが、同時に人種間の断絶や歴史の断絶なども重ね合わせて見ることが出来るのではないかと思うのですが、作者としてはその点はどのようにお考えでしょう。
宮内
私の考えは、作中で示してしまいましたので……。ただ、歴史の断絶については、アメリカは戦勝国ですので、日本ほどではないかもしれません。

――レイは収容所時代から祖母が世話になり、のちに母親も世話になった三宅氏の息子から渡された「南加文芸」にあった野本一平の「伝承のない文芸」を自ら翻訳しながら読み、その行為自体が伝承できないものを伝承しようとする私たちのささやかな抵抗なのではないかと感じていますが、これは宮内さんご自身が感じておられるものですか。
宮内
作中でレイが感じたことは、著者である私の考えがどうあろうと、レイが感じていることですので……。ですから、私自身の考えに意味はないと前置きさせてください。その上で、もちろん、私自身の考えを重ね合わせています。ちなみに、この箇所は「想像できないことを想像する」とした山田正紀さんへのオマージュでもあります。

――作品の中にレイがリトルトーキョーに住むミヤケ氏の息子に会いに行った時と、レイ自身が同僚とのテレビ通話で会話をするシーンの二ヶ所で「日本人の目」という表現が出てきます。これはアメリカに住んだことがない私にはなかなかイメージしにくいものでもあるのですけれども。
宮内
この箇所は政治的に正しくない表現ですので、書くかどうかでかなり迷いました。理念としては、どんな人種や出自であっても、色は違えど同じ目であると言わなければならない。私のこの一文は、地の文に「同性愛者の目」と書いてしまうような一種の暴力です。しかしこれは、母との和解めいたものと引き換えに、皮肉にもアメリカの理念から疎外されるという、必要な箇所でもある。

あの一文が取るべき姿が正しかったかどうかは、いまもわかりません。ただ、比較いただくことは簡単です。ウェブでアメリカ国内の広告などをご覧になれば、そこにアメリカの東洋人の目を見ることができますから。

――ここでは時間の経過ということについても読者に想起させるようになっているような気がします。時間を経ることで当初の怒りや問題もゆっくりと溶け出すように曖昧になってぼんやりとしていく。それは穏やかな解決でもあると同時に断絶をも生み出す忘却につながるものでもあるのではないかといった気もします。宮内さんご自身は時間というものについてどのようなお考えを持っておられるのでしょう。
宮内
時間は忘却、ひいては救いに似た何かをもたらすことがあるというのは、作中に書いた通りです。他方、時間は発酵や醸成をもたらしもします。そんななか、私たちは仮想現実やAIと、目先のテクノロジーに振り回されてしまう。しかし、そうかといって、現在を無視するわけにもいかない。現在と過去、その双方に、しかと目を向けていきたいところです。

――作品の中に「ありうべき最良の精神」という言葉が出てきます、宮内さんにとっての最良の精神とはどのようなものですか。
宮内
すみません、こればかりはお答えできない問題なのです。といいますのは、これがまさに本作の根幹にある問いで、そして作中のレイが旅を通して、著者の私が創作を通して模索するものですから。お答えすることが、創作の根拠それ自体を失わせてしまうのです。

――細かいことですけれども、この作品では音楽が重要なモチーフとして頻出しているかと思います。特にこの中ではブルースが「最良の精神」と繋げられていますが、ブルースをはじめ宮内さんご自身にとっての音楽とはどのようなものなのでしょう。
宮内
音楽についての考えは『アメリカ最後の実験』という長編でかなり開示してしまいましたので……。ただ、つけ加えるならば、「音楽に国境はない」というのは嘘です。少なくとも、きわめて困難な努力目標だといえるでしょう。しかし、さらにその上で、音楽に国境はないと平然といわなければならない。それが、私と作中のレイが抱えるもう一つの葛藤です。

――今回の作品はいわゆる純文学のジャンルに入れられる作品ですが、今後もSFだけでなく、このような分野の作品も書いていきたいとお考えですか。
宮内
これまでエンターテイメントは挑戦する対象、文学は憧れの対象という感じでしたので、まだ現状に戸惑っているというのが正直なところです。しかし、いわゆる純文学のような形でしか書けない、そして私にとって書かねばならないことは、まだあります。ですから、せっかく場を与えられた以上、挑戦しつづけてみたいと考えています。

――ありがとうございました。
宮内
ありがとうございました。これからも精進してまいりますので、どうかよろしくお願いいたします。

この記事の中でご紹介した本
カブールの園/文藝春秋
カブールの園
著 者:宮内 悠介
出版社:文藝春秋
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年2月3日 新聞掲載(第3175号)
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