写真家の記憶の抽斗―北井一夫写真エッセイ集 書評|北井 一夫(日本カメラ社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年2月3日

被写体との関係性を写すことに賭けた人生

写真家の記憶の抽斗―北井一夫写真エッセイ集
出版社:日本カメラ社
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一九七〇年代に「アサヒカメラ」に連載した『村へ』が読者から熱烈に支持され、近年も東北の被災地を歩いた写真集『道』など精力的に活動を続ける写真家の自伝的エッセイ。図版も多数収録されている。単行本用の紙に、おそらく一色刷で刷られているため、プリントの再現性は高くないが、写真家が何を見ようとしていたかは十分伝わってくる。作家活動五十年を超える写真家の回顧録として、また、自作解説として貴重な一冊だ。

私が北井さんと知り合ったのは二十年近く前。写真の世界に関わり始めたばかりの駆け出しだったが、その頃といまの印象はまったく変わらず、いつもにこにこと笑顔を絶やさず優しさが全身からにじみ出ていた。しかしその一方で、時折飛び出す写真作品や写真家についての鋭い批評に、作家としての硬い“核”を感じもした。本書にもそれは現れていて、敬愛する写真家、木村伊兵衛との交流を描く一方で、同時代を生きた著名写真家に対する反発を隠さずに書くなど、その筆致は率直そのもの。飾りのないノンシャランさと、こうと決めたら貫く意志の強さから、北井さんの写真作品の土台をつくっていることが伝わってくる。

ところで、北井さんはカメラ雑誌やグラフ雑誌で作品を発表することで写真家としてのキャリアをスタートしたが、一九七八年のツァイト・フォトサロンでの個展から、日本の写真家のなかではいち早く写真プリントを販売する作家に転じた。そのとき、マスメディアの友人知人たちはこう批判したという。「プリントは印刷原稿であって作品ではない。写真を作品というならそれは印刷物のはずだ」。印刷物として流布されることに写真の価値があり、版画のようにうやうやしく飾って売るとは邪道だ、ということだろう。いまでは写真をギャラリーで展示販売することはあたりまえであり、隔世の感があるが、短い間に写真の社会的な立ち位置が大きく変化したことの証左でもある。本書は、一人の写真家がど
のように作品を制作し、どのように発表してきたかの証言でもあるのだ。

しかし、発表の場所が変わろうとも、対象に向き合う北井さんの姿勢は変わらない。「被写体と自分との関係性を記録するドキュメンタリー写真を撮りたい」と一九六九年に三里塚で考えてから、現在までその姿勢にはブレがない。変わったとしたらそれは時代だ。一人の写真家の写真と言葉から、この国が歩んできた道のりが見えてくる。
この記事の中でご紹介した本
写真家の記憶の抽斗―北井一夫写真エッセイ集/日本カメラ社
写真家の記憶の抽斗―北井一夫写真エッセイ集
著 者:北井 一夫
出版社:日本カメラ社
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年2月3日 新聞掲載(第3175号)
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