日常の向こう側ぼくの内側 第257回

昨夜、不眠気味なので整体院へ。
おでん依然として屋根の軒下に籠城したまま。猫でもすねるんだ。おでんに代ってホームレス猫は家の中で安住。変なの。
妻夫木聡さんに会うのは2年振り、「実生活でも映画の中でも結婚おめでとう」。
いとうせいこうさん来訪。下町のコメディ映画祭のプロデュースで山田さんにトーク出演をしてもらうそうだ。
ホドロフスキー監督の次回作の日本人美術デザイナーが訪ねる。そーいえばホドロフスキーと対談した時、映画を準備していると言っていた。歌舞伎の影響で黒子を使うそーだが、ソフィストケートしてもらいたいものだ。彼は日本の影響受け過ぎて時々、直接表現をとることがあるから。
虎の門病院の石綿先生から体調不良は心因的なものと診断されて以来、自分に暗示をかけて体調はいい。
アトリエの地下で古い資料を整理している風間君が高校時代の模写作品やボブ・ディランからの仕事の依頼状や彼のポートレイトが出て来たと興奮。
箱根・彫刻の森美術館の個展が終り館長の森英恵さんから沢山の果物が届く。
今日も東宝スタジオにお迎えの車で。サラリーマン重役になった気分だ。
毎日のようにラッシュフィルムを観せてもらう。客の小林稔侍さんが二階で死んだ。そのことがわかって家中大騒ぎのサスペンスとユーモアの渾然一体化した場面は面白いやらオカシイやら、怖いやら。喜劇は悲劇でなきゃ成立しません。
撮影所の生活は実に愉しい。仕事に飽きるとセット撮影を見学したり、出演者と話したり、訪ねてくる新人女優さんやベテラン監督さんらが往来していたり虚実一体の人生の縮図を見ているようだ。
昨日からサングラスが行方不明。「確かに掛けてましたよね。私見てますから」と最首さん。それが失せたのである。シャーナイと思うしかしゃーない。
夕方、頭痛と動悸がするので隣家の水野クリニックへ。心電図を取るが別条なし。喘息の症状が出ているのでそのせいだろうと。秋は喘息の季節です。
午後、また昨日みたいになる。つまり頭ズキズキ、心臓パクパク。映画の稔侍さんみたいにコロッとは死なないけれど、アトリエで横になりたい。濱田さんらが自転車をワゴン車に積んでアトリエまで運んでくれる。紛失したはずのサングラスがアトリエにあった。2日前サングラスを掛けて東宝に行ったのも、またそんなぼくを見たというのも一種の集団心理で単にイリュージョンだったのだ。人間っておかしいよね。そんなことを考えている内に頭も胸も治ったみたい。
わが家の裏隣りの橋爪さんちは夜になって華やか。きっと出演者が遊びに来ているに違いない。
午後からピーカン。やっと秋の気配がしてきた。
集英社『テーマで見る世界の名画』第5巻ヌード編のエッセイ10枚書く。
瀬戸内さんと長電話。何んぼでも眠って、何んぼでも食べて、何んぼでも本が読めて、どこも悪くないそうだ。人間だと思わないで怪物だと思って下さい。(よこお・ただのり氏=美術家)
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2016年9月9日
実に愉しい!撮影所は 虚実一体、人生の縮図

東宝スタジオにて山田洋次さんと(撮影・房俊介)
2016.8.29
朝食を糸井重里さんと。彼先きに帰京。さてどうしよう? 寂庵へでも行こうと思って電話するが来客あり、では次の機会にと帰京。急に東宝スタジオに立ち寄りたくなり徳永と。スタジオ内で撮影中の橋爪功さんと小林稔侍さんのからみを見る。橋爪さんの家で稔侍さんが死ぬ前夜の様子を撮影中。昨夜、不眠気味なので整体院へ。
おでん依然として屋根の軒下に籠城したまま。猫でもすねるんだ。おでんに代ってホームレス猫は家の中で安住。変なの。
2016.8.30
最首さんの迎車で東宝スタジオへ。所変れば絵も変る。人の出入りは逆にくつろげ、能率上る。昼は松竹の会長の差し入れ弁当の御相伴に与かりながら、山田さんとポスター用の写真について簡単な打合わせ。妻夫木聡さんに会うのは2年振り、「実生活でも映画の中でも結婚おめでとう」。
いとうせいこうさん来訪。下町のコメディ映画祭のプロデュースで山田さんにトーク出演をしてもらうそうだ。
ホドロフスキー監督の次回作の日本人美術デザイナーが訪ねる。そーいえばホドロフスキーと対談した時、映画を準備していると言っていた。歌舞伎の影響で黒子を使うそーだが、ソフィストケートしてもらいたいものだ。彼は日本の影響受け過ぎて時々、直接表現をとることがあるから。
2016.8.31
おでん何を思ったか屋根の軒下から降りて家の中に何日振りかで入ってきた。猫の習性は一ヶ所にしばらく定住するが、すぐ飽きる。虎の門病院の石綿先生から体調不良は心因的なものと診断されて以来、自分に暗示をかけて体調はいい。
アトリエの地下で古い資料を整理している風間君が高校時代の模写作品やボブ・ディランからの仕事の依頼状や彼のポートレイトが出て来たと興奮。
箱根・彫刻の森美術館の個展が終り館長の森英恵さんから沢山の果物が届く。
2016.9.1
アトリエよりも東宝スタジオの方が絵が捗る。サラリーマンの会社勤めの気分になったみたいでセッセと仕事に励む。ぼくも猫に似て同じ個所では長居ができず、すぐテリトリィを変えたくなる習性がある。仕事に飽きるとブラリとセットを訪ねて、出演者たちと談論風発までいかないが割って入る。2016.9.2
残暑とはいえ日中は猛暑なり。今日も東宝スタジオにお迎えの車で。サラリーマン重役になった気分だ。
毎日のようにラッシュフィルムを観せてもらう。客の小林稔侍さんが二階で死んだ。そのことがわかって家中大騒ぎのサスペンスとユーモアの渾然一体化した場面は面白いやらオカシイやら、怖いやら。喜劇は悲劇でなきゃ成立しません。
撮影所の生活は実に愉しい。仕事に飽きるとセット撮影を見学したり、出演者と話したり、訪ねてくる新人女優さんやベテラン監督さんらが往来していたり虚実一体の人生の縮図を見ているようだ。
昨日からサングラスが行方不明。「確かに掛けてましたよね。私見てますから」と最首さん。それが失せたのである。シャーナイと思うしかしゃーない。
夕方、頭痛と動悸がするので隣家の水野クリニックへ。心電図を取るが別条なし。喘息の症状が出ているのでそのせいだろうと。秋は喘息の季節です。
2016.9.3
昨日のことがあるので午前中静養するが、やっぱり東宝に足が向く。昼食はどなたかの赤飯弁当の差し入れに与かる。食後、ラッシュフィルムを観る。俳優は誰も見ないらしい。スタッフだけである。稔侍さんの死後のドタバタ騒ぎはやっぱりおかしい。人が死ぬことがこんなにおかしいとは。死はシリアスだけれど状況は喜劇です。午後、また昨日みたいになる。つまり頭ズキズキ、心臓パクパク。映画の稔侍さんみたいにコロッとは死なないけれど、アトリエで横になりたい。濱田さんらが自転車をワゴン車に積んでアトリエまで運んでくれる。紛失したはずのサングラスがアトリエにあった。2日前サングラスを掛けて東宝に行ったのも、またそんなぼくを見たというのも一種の集団心理で単にイリュージョンだったのだ。人間っておかしいよね。そんなことを考えている内に頭も胸も治ったみたい。
わが家の裏隣りの橋爪さんちは夜になって華やか。きっと出演者が遊びに来ているに違いない。
2016.9.4
久し振りの休日で山田さんと増田屋へ。ラッシュフィルムで観た死体を巡るドタバタ劇の演出が面白かったと話す。アドリブだと思っていた小さい演技も監督の指示だと知って二度、三度驚く。午後からピーカン。やっと秋の気配がしてきた。
集英社『テーマで見る世界の名画』第5巻ヌード編のエッセイ10枚書く。
瀬戸内さんと長電話。何んぼでも眠って、何んぼでも食べて、何んぼでも本が読めて、どこも悪くないそうだ。人間だと思わないで怪物だと思って下さい。(よこお・ただのり氏=美術家)
2016年9月9日 新聞掲載(第3156号)
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