竹村公作「力道山が死んだ」(2003) 泥棒やひったくりもやる嘘もつくそんな自叙伝書いている嘘|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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現代短歌むしめがね
2017年2月10日

泥棒やひったくりもやる嘘もつくそんな自叙伝書いている嘘
竹村公作「力道山が死んだ」(2003)

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世間に嫌われやすいものに、いわゆる不良自慢というのがあったりする。その一方で、正義を主張するよりも悪意を投げつける方が「本音で生きる人」だなんて言われて、もてはやされたりすることがあったりもする。それを繰り返して権力をつかむ人すら、今や登場する時代である。

この歌の主人公もまた、「本音で生きる人」と思われたい小市民的な一心から、泥棒だのひったくりだのと犯罪を並べ立てる自叙伝を書いている。しかしそれは全部嘘だというのだ。「よく思われたい自分」を虚飾しようとするあまり、倫理観がおかしな方向に崩れてしまっている。

作者は1949年生まれの団塊世代で、いつだって個人ではなく集団で括られてきた世代であることの実感を詠み続けてきた。そのためか「異なる人格が入れ替わる」など、人格の同一性に疑問を投げかけるタイプの歌が昔からやたらと多い。「私は私である」だなんてことを、簡単に信じることができない。そもそも「個人」なんてものは、時代によって最初から圧殺されている。「個」を持てずに育った人間が初めて「個」を主張しようとするとき、犯罪というかたちでしか社会への刻印を残せるものが思いつかなかった。だから嘘の犯罪歴を並べ立ててしまっているのだ。

現代でもなお、犯罪者になるくらいしか新聞に顔と名前を出すすべのない人間はたくさんいる。この世に何も残せなかった人間の悲しいぼやきは、今日だって三面記事を賑わせている。
2017年2月10日 新聞掲載(第3176号)
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