芳川泰久氏インタビュー 漱石の物語の"それから"  「漱石三部作」(河出書房新社)の刊行を機に|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
哲学からサブカルまで。専門家による質の高い書評が読める!

▲トップへ

  1. 読書人トップ
  2. 特集
  3. 芳川泰久氏インタビュー 漱石の物語の"それから"  「漱石三部作」(河出書房新社)の刊行を機に・・・
読書人紙面掲載 特集
2017年2月17日

芳川泰久氏インタビュー
漱石の物語の"それから" 
「漱石三部作」(河出書房新社)の刊行を機に

このエントリーをはてなブックマークに追加
夏目漱石の没後百年、生誕百五十年の節目に仏文学者で文芸評論家の芳川泰久氏が、漱石の小説のその後を描いた小説を刊行した。『坊っちゃん』『吾輩は猫である』『それから』(『こころ』も)の登場人物たちの小説が完結した後のそれからはどうなったのだろうか。一作ごとに異なるスタイルで描かれたそれぞれに独立した作品でありながら、大きな一つの世界を形成しているこの三部作についてお話を伺った。 (編集部)

作中人物にもそのあとの生がある

道後温泉と坊っちゃん列車 画=山本 擴
――昨年は夏目漱石没後百年、今年は生誕百五十年となる節目の年に、芳川さんの漱石三部作が刊行されましたが、実は芳川さんご自身は特にそれを意識したわけではないとか。
芳川
 ええ。これらの小説を書く前に、プルーストの『失われた時を求めて 全一冊』(新潮社)という企画をやったんですが、それから一年半ぐらいの間にバルザックの『三十女』と『二人の若妻の手記』(共に水声社)という日本では長篇になる二冊を訳して、残った時間でフローベールの『ボヴァリー夫人』(新潮文庫)を訳したんです。長篇四冊分の分量を一年半ぐらいでやって、あとでこれは無理なことをしたなとは思ったのですが、訳している時は締切に対して乗っていくので、あまり気づかなかったんです。それで二〇一五年の九月ぐらいに小説が無性に書きたくなった。でもしばらく書いていないので、試しにひとつ書いてみようと思い、書いてみたら書けたんです。その小説を書いている時にある場面のイメージで、『吾輩は猫である』で猫が甕に落ちて溺れるシーンをなんとなく連想したんですよ。それでこの物語のその後を書きたいなと思ったのが最初のきっかけです。

もうひとつ、フランス小説の中でも五本指に入るような大きな小説を訳して、正確に翻訳することは当たり前ですが、その小説をちゃんと日本語の小説に移さなければいけないと強く感じたんですね。それは、小説を書くこととはもちろん違うのだけど、ある種の疑似体験として小説を仕立てるように訳語を、文を考えていくことをしました。特にフローベールの『ボヴァリー夫人』には、自由間接話法を使った語り方が出てくるのですが、これ自体小説が作り出した話法で、これを字面通りに訳すと間接話法になってしまうので、どうしても小説がこれを必要としたかたちに訳さないと、フローベールが託したものが活かされないんです。そのことで、非常に鍛えられました。そのような体験が小説を書きたいというシグナルというか、自分でも小説の言葉を出したいと思ったのだとあとで気付きました。

――それで書いたのが漱石の小説のそれからだった。
芳川
 思いついた瞬間には分かっていなかったんだけど、漱石の物語ってここで終わるというところがはっきりあって、その作品にとっての終わりがどれもきっちりしていますよね。これは漱石の凄いところだと思うんだけど、ただ、物語とか小説とか、作者が書いたものは半分読者のものでもあるじゃないですか。読者の目線で見ると、物語が終わったあとでも作中人物は死んでいないんですよ、そこには書かれていないだけで。作品が終わったあとの作中人物が生きている時間、これも一種の物語の時間でしょうが、そんな時間があることに気づいたんです。物語とか小説って、作者が最後のピリオドを打っても、作中人物の余韻のようなものが読者の中で動きうるし、そこに見えていない可動域みたいなものがあるなって。その可動域を新しい物語に仕立てることで、僕の漱石三部作はみんな漱石の物語の“それから”になっているんです。作中人物は漱石の物語ではピリオドを打たれているけれども、そののちの生、いわば「後生」みたいなものを独自に持ったものとしてその後を描きました。もちろんこれは、漱石がそういう生を感じさせるぐらい強いキャラクターの登場人物を創ったということなのですけれども。

特に『先生の夢十夜』は、作者の漱石も亡くなったあとの設定で、漱石が自分の書き残してきた登場人物に未練というか心配があって、小説は終えたけどあの人物はそのあとどうしているのだろうという漱石の問いみたいなものをフィクションとして考えたんです。登場人物のそれからを調べてくれないかと、死んでいる猫=吾輩に探偵を依頼するという構想で物語をひとつ書けるなと。

僕がフランス文学でやっているバルザックに、人物再登場法というテクニックがあって、ひとつの作品で主人公を張った人間が他の作品にも登場するのですが、例えば『ゴリオ爺さん』のラスティニャックなんて、そこでは若者だったのが、他の『幻滅』や『浮かれ女盛衰記』といった作品では、大臣になって政治の世界で幅を利かせているような年齢と境遇の人物になって脇役で顔を見せるんです。作中人物にもそのあとの生があるとバルザックは気付いていたんですね。じつはかなり早い時期から、これを漱石の作品でやったら、どうなるだろうと考えていて、それを具体的に一つの物語にしてみたいという気になったんです。漱石の小説の中で、このあとどうなったんだろうと気になるものを僕なりに考えると、やはり『それから』の代助と美千代が二人でこれから新しい愛のかたちをどう育むのか、それが許されないのか、ということでした。それを物語の軸に据えて、あとは『こころ』の先生が殉死をするような手紙を主人公に書きましたけど、はたしてあのあと本当に自殺したのかどうかとか、その方向に線は引かれていますが実際にはそこまで書かれていない。その部分を物語の可動域と考えて、そこで可能になる物語を自分なりに考えたらどうなるかなと試みたんです。
明治の歴史をサブ主人公に

――芳川さんは二〇〇九年に第一小説集の『歓待』(水声社)を出されていますね。
芳川
 前の小説は今と比べると、批評家意識が抜けきれていない。むしろ、それを抜かずに書いたのだと痛感したのです。批評家目線で自分の作品を見てしまうことで生じる縛りがもの凄くあるんだなということが分かって、今回、これを取り払って物語を書こうと思いました。別に批評をやめたわけじゃないけれど、自分が構想した物語を活かすには、批評家目線は取り払おうと覚悟を決めたんです。

――芳川さんは1994年に『漱石論 鏡あるいは夢の書法』(河出書房新社)を出されていますが、漱石論を出された批評家としての目線では書いていないということですか。
芳川
 大きく言うと、生き方としてみたいなことに繋がるのかもしれませんが、漱石を論じた批評家を引き継いだまま漱石に関わる物語を書くというのは、やはりそれまでの批評の領域から抜け出ていませんよね、どうしても過去に書いたことに縛られる。これまでまったく別な物語や小説への加担の仕方があるんじゃないかということです。批評家は批評家なりの視点で作品の隠れているものを明るみに出すのだけど、小説家も小説家独自の接し方や見方、判断、読みがあるんだという当たり前のことを、今回書いてみてつくづく感じました。書きながら、ここはこうした方がいいとかああした方がいいと常に選択に迫られるので、小説家には批評家目線じゃない判断と選択の仕方があるんだと痛感しました。どっちがいいとか悪いとかではないし、どっちが小説をよく読めるということでもないのです。ただ、違いを書く中で体感した。

――今回の三部作は刊行の順番では最初に『坊っちゃんのそれから』になりますね。
芳川
 すでに『坊っちゃん』に書かれていることを活かしながらどうするかと考えた時、直感的にサブ主人公は明治の歴史にしたいと思ったんです。その中で坊っちゃんと山嵐の二人がどのような物語を辿れるだろうかと。すでに指摘されていますが、坊っちゃんと山嵐は江戸幕府が崩れる時の幕府側なんですよね。坊っちゃんの江戸も山嵐の会津も。ということは負ける側にいる物語を潜在的に背負っているので、二人のそれからは上昇志向の物語にはどうにも出来ないんです。細かくは書きませんでしたけれども、中学校の教員から街鉄の技手になると給料は下がるんです。つまり下がる方向で漱石はラインを引いているから、下がる線で行くしかないんです。ただ二人とも違うタイプの正義漢なので、その正義の差異がそれぞれどういう人生を選ばせるかというところで物語を考えました。

――明治の歴史ということでは、この中では日比谷焼打ち事件が物語の中で大きなポイントのひとつになっています。
芳川
 明治の歴史がサブ主人公だと思った時に、僕なりにですが、日比谷焼打ち事件が一番の分岐点だなという思いがあったんです。だからそこを中心に据えようと物語を考えました。大国ロシアと戦争して、勝ってナショナリズムみたいなものが高揚しているのに、賠償金も得られないし、樺太も半分とか、戦勝国の見返りがほとんどないので民衆は怒るわけです。軍はこれ以上戦いを持続すると資金的にもたないのが分かっているから、ここで勝ったかたちで終えなきゃいけない。だけど条件面で国民が納得しない。その中での焼打ち事件はナショナリズムの暴発です。しかしその暴発を、社会主義の連中が見たら、東京市民も気付いていない形でその時に見せた力の発露の中に、新しい可能性があると思えたのではないか、と僕は感じたし、そう思いたかったのかもしれません。幸徳秋水の手紙とか書簡を調べてみると、英語で書かれたものの中に焼打ち事件の様子が書かれていました。それで秋水をこの事件に対峙させることに出来ると考えたんです。もう一つは、この時期、片山潜はたまたま日本にいなかった。その目で騒擾の様子を見ることがなかった。その差が、やがて間もなく二人が袂を別つ原因になるのではないか、幸徳は直接的な行動を肯定し、片山はそれを忌避する、と思えたのです。そうした分岐点になるような事件の中で、坊っちゃんと山嵐は袂を別つ側に置きたいと思ったのです。そうすれば、片方は過激な社会主義の方に傾き、片方はそれを抑える側に身を置いていく物語に出来るんじゃないかと思いました。
死んだ猫=吾輩を語り手にするには

吾輩のそれから(芳川 泰久)河出書房新社
吾輩のそれから
芳川 泰久
河出書房新社
  • この本をウェブ書店で買う
――幸徳秋水と言えば大逆事件ですが。
芳川
 大逆事件を調べれば調べるほど、率直に言って、こんなに大きな事件は書けないと思った。僕の物語の中では、日比谷焼打ち事件が分岐点の一番の切所だなという感覚があって、その一つの方向が大逆事件に繋がってゆくという理解なんです。もちろん明治の歴史を見ると、あれで世の中の雰囲気ががらっと変わるので、大逆事件は何より無視できない。だから書きたいのだけど、あまりにも大きすぎて、自分には書けない。しかし物語から外す訳にもいかない。それでどうしようかなと思っていたとき、大杉栄の日記を読んだんです。すると大杉は大逆事件の前に捕まっていて、その時には監獄に入っていた。その監獄で、逮捕された幸徳秋水を見かけているんです。それで大逆事件を監獄の中の視点で書こうと決めたんです。監獄のなかから見える大逆事件にすれば、見えるものが限られている。表の世界に視点を置いて大逆事件を書いていくと、大きすぎて物語としてコントロール不能になる。ぎりぎり物語に取り込めるとしたら、これを監獄の中にいる人物に視点の中心を置かなければならない。そのためには山嵐が捕まって監獄の中にいなきゃいけない。これは物語の逆算ですけれども。

――漱石の作品のそれからを書くわけですからその時代を調べるのはもちろん当然ではあるんですが、その前から明治ものにはまっていたとか。
芳川
 小説を書きたいなと思うその直前に、翻訳とちょっと違うことをやってみたくなったんです。もともと漱石論を書いた時にも明治のことは必要なので読みましたが、そのとき、歴史ものを読んでみようと思って集中的に読んだらじつに面白かったんです。そこに山田風太郎の明治ものの世界に繋がるような面白さを感じて、歴史の情報を活かしながら物語を作れるんじゃないか、明治時代というものを物語に活かせないかなと思ったんです。それが漱石に結びついた。

――『坊ちゃんのそれから』ですが、実はこの作品は三部作の中で二番目に執筆されたもので、一番最初に書いたのが『吾輩のそれから』だそうですね。こちらは誰が吾輩を殺したのかが物語としては一番大きな部分となっています。
芳川
 はい、吾輩が殺されたのではないか。これが物語を引っ張って行くメインの要素です。

――この物語では甕に落ちて死んでしまった吾輩が語り手となるわけですけれども、作中では吾輩の視点はきわめて自由で、あちらからこちらへ、過去から未来へまでと時空が自在に動きます。
芳川
 『吾輩は猫である』の吾輩のそれからは、とにかく死んでなきゃいけないわけですよ。漱石だって猫目線で猫が語るという相当新しいことをやっているのだけど、それを今度は死んだ猫の魂が語るのだから、それ自体にハードルがあるんですね。でもありがたいことにフィクションはそれをも可能にしていくところがあって、普通に考えれば不自然でありえない超自然的な事態も、物語の力で運んでいけるんです。つまりディティールを固めてきちっと作れるかどうかが瀬戸際で、それがうまく出来なければ、その語り自身も嘘っぽくなるということです。それでこの猫はただ死んだだけではなくて、いちおう向上心があって魂をさらに高めようとして、仏教で言えば成仏を目指すことでそれまでになかった能力を獲得して、未来も過去も脳裡の走馬灯、まあ死んでいるんだから脳裡も何もないから(笑)心の鏡でもいいんだけれど、そういうものに映して見ることが出来る猫として登場させました。

――先ほどの山田風太郎的明治小説で言えば、この『吾輩のそれから』のほうが『坊っちゃんのそれから』よりもその側面はより強くなっているような気がしました。『坊っちゃん~』は明治時代の社会的事件などを描いた側面が強いように思えますが、『吾輩~』はもっと自在で山田風太郎的な感じがします。
芳川
 そう読んでいただけると、有難いです。それは快楽亭ブラックという人物によるところが大でしょうね。明治の歴史に興味を持った時に、こんな人がいたんだと発見したんです。簡単に言えば外人タレントの第一号ですよね。外人なのに日本語がかなり流暢だったこの人物を、何とか物語に絡めたいと最初から思いました。『吾輩は猫である』の中に、胃弱の苦沙弥先生が医者に催眠術をかけられる場面があるので、初めて舞台に演し物として催眠術をのせた快楽亭ブラックを物語に上手く使えないか考えたのです。歴史とフィクションの兼ね合いが、多少山田風太郎的な雰囲気と重なったのかもしれません。
作者に向かって叛逆する作中人物

――『坊っちゃんのそれから』は現実の中に作中人物が放り込まれるかたちであり、『吾輩のそれから』は作中世界の中に現実の人物が投入されるという印象は強くありました。
芳川
 その通りです。
先生の夢十夜(芳川 泰久)河出書房新社
先生の夢十夜
芳川 泰久
河出書房新社
  • この本をウェブ書店で買う
――それによって別々に話の流れが生み出されているのですが、三作目の『先生の夢十夜』ではその二作がしっかりと接続されて、最後のほうで坊っちゃんも重要な人物として登場します。
芳川
 人物再登場なんです。

――先ほど話されていたバルザックですね。それぞれに独立した作品でありながらも繋がりを持っているという。そして『先生の夢十夜』では修業を続ける猫=吾輩の夢の中に、猫を作中猫として産んだ夏目漱石本人が現れて、自分の書いた小説の登場人物はそのあとどう暮らしているのかを調べさせようとすることで、すべてがひとつの世界に入り込むこととなります。
芳川
 そうです。

――この『先生の夢十夜』は十夜というかたちで十章仕立てではあるのですが、これは漱石の『夢十夜』そのものからは離れた物語になっていますね。
芳川
 漱石の『夢十夜』の中で個々に語られる夢より、今回はむしろタイトルにものすごく惹かれました。「夢十夜」という語にインパクトを感じて、この言葉をどうしても使いたくなったんです。そこから『先生の夢十夜』を十章仕立てにして、吾輩の夢枕に漱石が十回立つという趣向にしたんです。夢の中で亡くなった漱石と吾輩が対話をするので、こういうタイトルにしました。

――この小説で漱石が気にしている自分の作品の登場人物というのが『それから』の代助と三千代、それと『こころ』の先生で、いわば「『それから』のそれから」ですが、この作品は前の二つの小説ともまた違う雰囲気で作られています。それぞれに変えていこうとされたのですか。
芳川
 いや、変えていこうという意識はさほどなくて、思いついた物語をどう書いてゆくかという過程で変わっていったのだと思います。『坊っちゃんのそれから』は明治の歴史をサブ主人公に活かそうとしたところから物語のかたちが決まったし、『吾輩のそれから』だと吾輩が甕に落ちて死んだと言っても実はそこには殺された可能性があるとした時、どんな物語を作れるかということで出来た小説です。『先生の夢十夜』の場合は、死後の作者が出てきて自分が生前に作った小説のそのあとが心配になったら、どういう物語になるのかなという感じで、それぞれ最初の構想にあったものを推し進めていった結果、たぶんテイストが違うものが三つ出来た。

――『先生の夢十夜』は、反乱と言うとちょっと極端かもしれませんが、作中人物が作者の手から離れてどんどん自由になっていく物語ですよね。
芳川
 批評的視点には縛られないと言ったけれども、これは三作の中では一番批評的な感じするかもしれません。やはり本体は批評家なのでしょうね(笑)、作者が書いた物語に対して作中人物が反抗して自由を獲得するという発想は。作者と作中人物を闘わせてそれが物語になっていくのは、やはり非常に批評っぽい。そういう発想が物語の根底にあるのかなと思います。

――ここでは作中人物が作者(漱石)の意図に反してどんどんと思わぬ方向に行ってしまいます。代助は早々に死んでしまうし、病弱だった三千代は元気になり、『こころ』の先生は自殺しない。作中人物がそれぞれ作者の思惑を逸脱して生きはじめます。先程批評的とおっしゃいましたが、そこには作者は全能の神なのかといった問いも出てくるのではないでしょうか。
芳川
 作中人物は作者の手によって生まれるもので、そこには創造主がいるわけだから、神と人間に類比出来るものなんだけれど、作者によって作られた登場人物にも、作品が終わったあとの生があって、これは作者といえども承知していないというところは、さっき言ったフィクションの可動域になっていると思います。そこを推し進めていくと、作者が作中人物に対して揮うことができる権力みたいなものとぶつからざるを得ない。だからある意味でテクストの自由みたいなものを、そのような言葉は使わずに作中人物たちが作者に向かって叛逆し、守ろうとしている、とも言えるのです。そういうところを書いてみたかった。

――井伏鱒二の『山椒魚』などのように、作者が生きている間はいくらでも作品に対して権力を揮うことが可能ですが、『先生の夢十夜』では漱石はすでに死んでいますから作品に介入することがもう出来ませんしね。
芳川
 死んだあとの設定にしないと書けない物語ですよ(笑)。まあ漱石の没後百年と生誕百五十年が年をまたいで続くなどというのは本当に珍しいことなので、やっぱり深いところでは漱石へのオマージュみたいな意識が働いていると思います。そういう意味では、やはり漱石論で出て来た人間としては、漱石にある種のもの凄い負債というか恩恵をいただいている感触がある。それを批評のかたちで出すのか、別な物語として出すのかという違いは、こちらの何十年かの歩みと関係あるのでしょうね。
新たな小説の文と物語を作った漱石

――漱石は日本の近代小説の創始者の一人であり、その中でも今でももっとも影響を与えている作家であると言えると思うのですが、逆に漱石の呪縛のようなものを感じられたりはしますか。
芳川
 やはりこれだけ強い物語を作ったということは、後の時代に対する呪縛を残したし、それは僕自身にもありますね。あの時代に漱石という存在が、留学から帰ってきて英文学の研究者だけで小説を書かなかったら、日本の小説はどういうふうになっていたんだろうと考えてみると、呪縛の力が分かるかもしれない。あの時期に漱石が短期間であれだけの小説を残したのは、よほどの事件ではないでしょうか。文学史的には余裕派とか言われて孤立するような、いいかたちで脇に寄せられちゃったようなところがあるけど、やっぱり漱石の小説って無視できないと思います。やっていることも新しいし、物語も新しい。大きな物語が小説を運んでいってそれがこんなに魅力的なんだという点で、あの時代の他の小説を見ても、漱石に敵う作家はそう多くないような気がします。ただ物語が大きければいいかというとそういうことではないですが、物語の強い力が今の時代に読み直してもまだまったく生きているということです。だからその物語が秘めている余りある力に触発されて、別の物語、その後の物語を書くことが出来たんだなと思っています。

――さらに言えばその当時の他の作家の小説の文章だと、今読もうとするとものすごく読みづらいのに、漱石は今でも読めてしまいますね。
芳川
 読めるんですよ。これは凄いです。つまり当時、新しい文を作ったということですね。新たな小説の文と新たな物語を一緒に作り出した功績はもの凄いと思います。時代による小説の文章というものがあると思いますが、当時の小説の文とは漱石が新しく作った小説の文はまったく違う。これによってその後の小説の文章そのものが切り拓かれていった。それは大きなことだと思います。漱石以外の作家を今読むと、漱石ほど表記の揺れがない作家だとしても今の文として読めないんですよ。時代感が残っていて、そのような読み方になってしまう。漱石だってこれだけ時間が経っているけれど、表記を別にすれば本当に今と地続きで読める文章なんだなと思います。

――今回芳川さんの作品は出版社から漱石三部作と名付けられていますが、漱石ものに限らず、これからも小説を書いていきたいと思われているのですか。
芳川
 ええ、書きたいと思っているし、どのようなかたちになるか分かりませんけれども、今ふたつのことをちょっと考えています。翻訳に後を押されるように小説を書きたい気持ちになった時に、翻訳も小説の言葉遣いも僕の中では極端に違うものではないという体験をしたんです。翻訳を小説の文章に近づける試みをしたせいだろうし、それとどこかで関わっているのかなと思うのだけど、たとえばジャンル的に分かりやすい例で言うと、純文学とそうじゃない小説という区分がかつてあったじゃないですか。そういう区分も今の自分の中ではあまり意識していません。それでひとつは明治の初期に材をとった物語と、もうひとつは結果的に純文学の領域が似合う話になるのかなと。ようするに、この物語であればリーダブルな書き方をした方がいいだろうというものと、このテーマであれば純文学と呼ばれる書き方が適しているだろう、くらいの分かれ方があって、結果的に物語の種類によってジャンルが分かれるだけで、思いついた物語を育む作業は同じなんです。普通、小説を書いていく時は自分の傾向とかをはっきりさせたほうがいいのだろうけれど、翻訳小説を経て来た人間としては、そういったジャンルの区分ではなくて、どちらも区別なく、自分の中で生まれた物語を活かす方向で書いていければと思います。

――ジャンルは結果にすぎないと。
芳川
 そうですね。だから物語の水脈と言うと大げさですけど、それがこんなふうに自分の中にあるんだと知らなかったし、こんなふうに書けると思っていなかったので、こういうものを思いつく人間だったんだって自分を新発見したような気持ちなんです。これには本当に驚きました。今から思うと僕の場合はそうした部分を批評的な視線が抑圧して塞いでいたのかなということではないかと思っています。当時は、抑圧したかったのでしょうね、きっと(笑)。そのような意識を取っ払ってみた時に、こういうことを思いつくことも出来るんだなと。これは本当に新発見でした。たぶんその感触の新しさと発見の驚きみたいなものが原動力となって、今回三作を書けたんじゃないでしょうか。思いついた物語をぜひかたちにしようということが推進力になったのだと思います。

――では芳川さんの新しい小説が世に出てくるのは近々ということですか。
芳川
 そうだといいですね(笑)。
2017年2月17日 新聞掲載(第3177号)
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事の中でご紹介した本