より大きな希望 / イルゼ・アイヒンガー(東宣出版)ラジカルな文学的試みで描かれたナチ支配下の迫害経験|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
2017年2月24日

ラジカルな文学的試みで描かれたナチ支配下の迫害経験

より大きな希望
出版社:東宣出版
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昨年末アイヒンガーの訃報が届いた。享年九五歳。同世代のツェランが七一年に自殺、バッハマンが七三年に変死したことを思えば、破格な天寿の全うぶりだった。生まれながらにユダヤと女性という二重の傷痕を帯びていたこの詩人は、創作においても時流に流されるのを嫌い、傍流に踏みとどまりつづけた。生誕の災厄からの遁走に心を砕いたペシミストにとって、人知れずひっそり消えることほど似つかわしい死に方はなかった。

それにしても何たる子供時代だったろう。六歳で両親が離婚。ウィーンの親戚のもとで小春日和のぬくもりを味わうのもつかの間、ナチドイツに併合されて平穏は息の根を止められる。ハーフだった本人は命こそ救われるものの、「生粋」ユダヤ人の祖母と叔母が通行人の罵声を浴びて連行されていく姿が幼い瞳に焼きついた。

このナチ支配下の迫害経験に取り組んだのが、彼女のデビュー作にして唯一の長編となった本書である。戦時下の体験を戦後初めて重厚な小説に昇華させたとされる『ブリキの太鼓』に十年以上も先駆けていた。同じく子供の視点から語るものの、饒舌なグラスと比べて、アイヒンガーは出来事本位な語りを潔しとせず、謎の多い寡黙な語り口をとった。もしセンチメンタルな粉砂糖をまぶしてリアリズムの約束通りに物語っていれば、体験の重みが重みだけにもっと万人受けしたはずだったろうに。それでもまるで喋りすぎたのを恥じるかのように、以後ますます自伝の臭みを消し、架空の時空間でシュールなイメージを展開するミニマリズムを極めていった。そんな彼女に文学史は特等席を割り当てたものの、扱いに困り敬して遠ざけてきたというのが実情に近い。

物語は、召集された父と海外に亡命した母と離れて「間違った祖母」と住む少女エレンの姿を大戦前夜から終戦直前まで追う。確かにストーリ展開は時系列に沿い、祖母の死など山場もある。けれども、時や場所は決して名指されず、「黄色い星」をつけるエレンの遊び友だちもユダヤ人と明示されはしない。歴史的現実との照応を意図的に曖昧にして、すべてを現実と幻想のあわいに漂わせることにむしろ主眼が置かれている。こうして戦後小説一般に見られるような威勢のいい社会批判性は鳴りをひそめる代わりに、安易な分類や意味づけからの遁走というよりラジカルな美的抵抗が追求されていく。

エレンの約束の地は外国というより、青一色の海と空という深淵だし、塀で囲いこまれた公園に入場を拒まれたユダヤの子供たちは、橋や道路などの往来や人の寄りつかない墓地を遊び場に変える。空間が開かれているばかりか、人物像にも固定化しがたい揺らぎがある。ユダヤの血を引く雑種性は、死者の仲間に入れないという後ろめたさをエレンの心に呼び覚ます一方で、民族や国家など境界線を引いて内外を分ける領土的思考法をすり抜けさせもする。脱領域性はとりわけ本書を書く行為に刻まれている。蝶の標本のように何もかもを不動のものとして確定しようとする調書の発想を乗り越えて、ペン先から流れ出すインクが植物のように多方向に繁茂していく可能性に賭けられるからだ。

再読して、災厄を想起するにとどまらず、「所有」「定住」「管理」を是とする近代社会とは別のノマド的な生存を文体レベルにおけるまで追求した本作が、戦後文学の規範的な作品よりも遥かにラジカルな文学的試みであると改めて痛感した。文学史を書き直す時期がきている。(小林和貴子訳)

この記事の中でご紹介した本
より大きな希望/東宣出版
より大きな希望
著 者:イルゼ・アイヒンガー
出版社:東宣出版
以下のオンライン書店でご購入できます
2017年2月24日 新聞掲載(第3178号)
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