【横尾 忠則】完成の放棄、未完への願望 画家とは問いを描く者。|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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日常の向こう側ぼくの向こう側
2017年3月3日

完成の放棄、未完への願望 画家とは問いを描く者。

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2017.2.20
 ノンレム睡眠の時間が短く、そのまま朝を迎える。不眠のせいか首と肩が痛む。

油絵具が乾かないことと、不眠疲れを理由に制作返上。

今日のように終日人に会わない日は難聴はあってないようなもの。

2017.2.21
 アトリエへの道を四歩早足、四歩遅足法というテレビで知った健康歩行を実践してみるがいちいち歩数を数えながら歩くのはストレスになる。

向こうからベージュ色のロングコートにグレーのニット帽の田村正和さんが散歩とはいえないほどソロリソロリと近づいてくる。「久し振りですね」と、何か言いたそうな素振りだったけれど散歩の邪魔をしちゃいけないと思ってそのまますれ違う。とここで目が覚めたといえば夢で通じるが、現実の話。

穂村弘さんの文と長女美美の絵で絵本を企画する中川ちひろさんら三人来訪。天使が色々の動物や物などと話すが、その内にこの本を読む読者に絵本の中の天使に気づかれ、読者がクローズアップされた天使の目の中に吸い込まれて両者がひとつになって、そこで読者は天使の住む世界のビジョンを体験するという物語。

2017.2.22
 郷里の小学校の講堂で現代美術のシンポジウムが開催。コンセプチュアルな現代美術の現状に疑問を呈するぼくの発言に対してアメリカから帰国中の故石岡瑛子さんが今日的視点からズレているので「ヨコオちゃんの負けね」と言った。ぼくは世間とズレている自分に大いに満足して、ニンマリする夢を見る。

2月22日は「ニャン、ニャン、ニャン」の猫の日。

描きかけの未完の絵をアトリエに並べていると、こちらが絵に問いかけるのではなく、絵がこちらに問いかけてくるのがよくわかる。その問いかけは禅の公案のように考えて判るようなものではない。絵を描くということは答えを出すのではなく問いを描くことである。ぼくの場合、完成がないので従って答えがない。答えを出すために絵を描くのではなく、問いを描くことで鑑賞者がその問いに答える。それが両者の関係だ。だから絵は肉体的体験なのである。画家とは解答者ではなく質問者なのである。

鈴木清順さんが亡くなった。以前ファンレターのようなものを出して、手製のコラージュ作品の葉書を頂いたことがある。

2017.2.23
 神津善行さんと虎の門病院へ。定例ピクニックという気分で診断の結果が楽しみでもある。結果は病気はない。深夜のトイレを気にせずに水分をタップリとって脱水症状を起こさぬように。

ディズニー製作の「海底2万マイル」を観る。ヴェルヌの原作では未解決のまま終っているが、映画では「神秘の島」の結末と結合させている。二作品で同一人物が再登場するという方法はルブランなどもこの手を活用しているが先人にはバルザックやゾラがいる。ぼくは自作で半ば常習犯だ。

2017..2.24
 夢が思い出せない日は人生の一部が欠落してしまったような記憶喪失感に襲われる。

玄関前の水甕の水が日照りで渇水状態、数匹生存していたはずのメダカのことが心配。見たところ生存者はいるように思えない。

あれもこれもとしたいことがあり過ぎて、結局妄想だけで一日が終ることがある。だけどこんな日がないとまた描く日がやってこない。結局人間は、というかぼくはだが、怠ける方へ、怠ける方へ、気持を移動させているが、これはこれで一種の逃避であるが、また怠ける快楽をたっぷり味わわないと本番に真の快楽が爆発してくれない。

難聴は放っておくと認知症になるリスクが高いと聞いた。難聴によって脳の萎縮が促進される傾向があるらしい。人と会わなきゃしゃべる機会がなく、言葉も不要になる。不用になると文も書けない。そして言葉が失われる。そこで意識も意志も後退する。そして私の消滅?×☆◎!
寝室のおでん(撮影・筆者)

2017.2.25
 昨夜就寝前にコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズの冒険」の中の<ボヘミアの醜聞>を読んだせいか、ホームズの徹底した観察眼は眠りの邪魔になる。もっといい加減で無頓着な心地よい眠りを誘う本はないかいなあ。

七割がた出来上った絵にベタベタと白い絵具を塗りたくって怪しい作品に仕立てる。一種の完成への放棄、未完への願望でもあろうか。次第に崩落していく絵の心地よさは当人にしかわからない。絵で推理小説を書いているようなものだ。

四年前に事務所の中で三匹(その一匹はおでん)の子猫を産んで出家した親猫が四年振りに帰ってきて、当時テリトリーにしていた一番高い場所を記憶していてそこで寝ている。野性の超能力は文明を超えてまっせ。

ああでもない、こうでもないと思って描く絵には自然に迷路ができる。鑑賞者にとってこの迷路が魅力なんだよね。

2017.2.26
 わが家は農家らしい。庭で長机を並べて客を接待している。主客は吉永小百合さんのようだ。こんな素朴な一場の夢。

早朝、ベッドの中で『鏡の国のアリス』を読む。まるでボッスの絵の世界にまぎれ込んでしまったようなこの居心地の悪さは夢を見ない人のための本ってとこかな?

日曜美術館でテイツィアーノを観る。解説者は描かれている人物の性格や物語的属性のみに関心を向けるんじゃなく、キリコが彼の絵から何を描くかではなく、如何に描くかという啓示を受けた、そこんとこの絵画としての本質について触れてもらいたかったね。絵画は心理小説と違いまっせ。
2017年3月3日 新聞掲載(第3179号)
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